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私の母の面白い子育て

宮田亮果です!
友人からはりょうちんと呼ばれています。

前回は母の強い部分について色々お話しました。
今回は面白い部分について語らせてください。笑

1度母の理想の親子像を聞いたことがあります。
いつもと変わらず夕飯前にテレビをみていたところ、母から『友達のような親子』になりたいと急に言われたのを覚えています。
「一緒に買い物に行ったり、何気なく恋バナしたりしたいんだよね♪」と。
その時は、そうなんだーと流した私でしたが、後日「そこの〇〇取って」とちょっとしたお願い事をした際に、「自分でやりなさい」と言われるので、「友達だったら聞いてくれるよね?」と返すとしぶしぶやってくれる時期が一時ありました。笑

また、小学校で使っていた紅白帽子を洗濯した際に、たまたま白と赤で半分ずつになったのをみて、私に「帽子半分ずつになって壊れちゃったー」と声をかけたら、私が泣いてしまったことを半年に1回は思い出して、私に笑いながら話すのです。

また、中学の時、ちょっとした反抗期に入ろうとしており、咄嗟に母に「うるせぇ、くそばばあ」と1度だけ言ったことがあるのですが、娘に言われたことがかなりショックだったのか、すかさず、母のグーパンチが鼻を直撃し、鼻血を出したことがあります。
それ以降、反抗期が訪れることはありませんでした。。。
やはり母は強し。。。

他にも、ある会話の後に、母が「だから私はりょうかに似ているのか」といったことがあり、思わず「いやいや、私を生んだのはあなたよ?私があなたに似てるんです」とツッコんだことを覚えています。

もし、生まれ変わったら私の子どもになるなんてことも言ってたっけな。笑
いつのことになるのやら。。
密かにですが、私の子どもには母の名前から『光』を入れられたななんて。
将来の旦那様に要相談ですね。笑

こんな母ですが、組合長を20年以上やっていたり、実家の近所が年配の方ばかりなので、定期的に色々な方の顔を見に回ったりと頼りになる母でもあります。

色々な一面があり、とても愛情深い人です。

「あなたは何歳になろうと私の子どもなの」といつどんな時も私の健康を心配して、連絡をくれる。
どんな時でも「やってみたら、新しいことには障害はつきものなんだから」と背中を押してくれる存在に、本当に感謝です。
早く稼いで母を楽させねば。
恩返しできるように、私も精進します!

最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた。

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