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【短編小説】おせっかい堂〜お悩みのない方、お断りします〜

 はぁ、と小さく溜め息を吐き、北川夏菜は最寄駅の改札を通った。改札にタッチした流れでスマホの画面を見ると、時刻は21:53と表示されている。
 今日は残業していて、いつもより2時間も遅い。時間的にも確実にお腹は空いているのだが、なんだか何を食べたいのかよくわからない気分だった。

 自分が教育係となり指導している後輩がミスをした。今日の午前中が締め切りだった案件のことをすっかり忘れてしまっていたらしい。幸いにも、個人的にも何度か呑みに行ったことのある付き合いの長い取引先だった為、腹を括り正直に事情を説明すると、今日中までだったら大丈夫と返事を頂けた。その作業を手伝っていた為、遅くなったのだ。

 怒りが湧いた。自分に対して。
 確認不足だ。少し手のかかる案件を引き受けていた為、後輩のことが疎かになってしまっていた。後輩からは何度も謝られたが、内心しっかりしてよ〜と思いながらも、『大丈夫、ミスは誰だってするからしょうがないよ。次は気をつけて』と、なんてことないかのように答えた。

 実際、私だってミスをして先輩に迷惑をかけたことがたくさんある。お客様からクレームが来てしまったことだってある。その度に、落ち込んで、自分ってダメだなぁと、枕を濡らしてなかなか眠れない夜だって経験した。

 今回は後輩のミスとはいえ、自分にもダメージを受けていた。どんなミスも最終的にはどうにかなると言えばそうなのだが、何も感じなくなるにはまだまだ社会人としての経験が足りないか、もしくは、そんな時は訪れないかの2パターンのような気がした。

「ちょっと夜風にあたってから帰るかな」
 気分を切り替えたくて、そう呟くと、いつもとは反対側に足を進め、階段を降りていく。ちょうど最近は散歩がしたくなるくらいの心地良い気温になってきていた。

 線路沿いを歩いていると、少し脇に入った細い路地の先にうっすらとオレンジ色の光があるのが目に入ってきた。なんとなく、暖簾がかかっているのが見える。その暖かな光の出所を知りたくて、夏菜はその路地に入って行った。

 『おせっかい堂』

 暖簾には、そう書かれていた。お店が出来てから新しいのだろうか。柔らかな檜の香りに混じって、お出汁の良い香りが漂ってくる。引き戸の脇には、こんな看板が出ていた。

「お悩みのない方、お断り
あなたのお悩みを話してくれたら、一品サービスします
二名様以上でのご来店もお断りします
御予約、受け付けておりません

ピンと来たタイミングで、扉をお開けください

美味しいおばんざいとお酒をご用意しております

営業時間:22時〜」


 悩みのない方、お断り?そんなふうに謳っているお店、聞いたことがない。お店なんてみんなウェルカムにしたいんじゃないのか?そう思い、一応時計を見ると22時を少し過ぎたところだった。

 悩みはある。しかも、ほやほやのやつ。
料理の値段が書いていないことだけが気になったけど、ちょうど先日の給料日にお金を下ろしたままお財布に入っているから、何とかなるだろう。

 なによりも、お出汁の良い香りがお腹を刺激した。何を食べたいのかまだ思い浮かばなかったけど、ここにならありそうな気がする。

 一歩進み、引き戸に手を掛ける。扉はするっと静かに開いた。
「いらっしゃいませ」
 大きすぎない声がした方をみると、厨房にひとり、店主らしき人が立っていた。他に店員はいないみたいだった。
 店内はカウンターに5席のみで、こぢんまりとしたお店だ。清潔感のある厨房が席から丸見えになっている。カウンターにはおばんざいが入った大きめのお皿が5つ、均等に並べられて置かれていた。 
「お好きな席にお座りください」
そう店主に言われて、私は真ん中の席に座ることにした。他にお客さんはいなかった。
 目の前にあるメニュー表を手に取り、開く。

【ご飯もの】
おばんざい盛り合わせ
・お好み3種
・全5種
おにぎり
(具は日替わりです。材料があるものでしたらご希望もお伺いできます)
本日のお味噌汁
ここにないもので、食べたいものがあればお作りします

【お飲み物】
日本酒
ビール
ウイスキー
その他、店主の気まぐれで置いています

 気になっていた値段は特別高すぎるわけでもない、良くある居酒屋くらいの価格だった。それよりも、メニューの少なさに驚いた。とりあえず夏菜はほっとして、注文をした。
「おばんざいの5種をお願いします。あとは、ビールも」
 かしこまりました、と店主が返事をして、すぐに瓶ビールが出てきた。グリーンの瓶に手を伸ばす。ひんやりとした温度が手に伝わる。小さなグラスにビールを注ぐと、透き通った黄金色の液体がキラキラと輝いてみえた。

 あぁ美味しい。一口を味わって、その黄金色に輝く液体を喉に通す。モヤモヤした気分まで一緒にお腹に流れていく感じがした。

 いつからだろう、ビールが美味しく飲めるようになったのは。初めは苦くてあまり好きではなかった記憶があるが、遠い昔のことのようであまり覚えていない。実際にはそんなに年数は経っていないはずなのだが。目の前の仕事をこなす毎日の中で、いつのまにかビールも美味しく飲めるようになっていた。

 「はい、お待たせしました。おばんざい盛り合わせです」

 大きなお皿に品良く並べられた、色とりどりの5種類のおかずたち。どれから食べよう。夏菜は、何が食べたいのか思い浮かばなかったことも忘れて、そのおかずたちに箸を伸ばした。

筍とひじきの煮物
アスパラガスのきんぴら
新生姜と蛸の酢の物
揚げ豆腐とそら豆の餡掛け
山菜と菜の花のお浸し

 春の野菜が存分に使われたおかずは、お腹だけでなく、まさに目でも味わうという感覚だ。大切に作られただろうそのおかずたちを、夏菜も大切に口に運んでいく。噛み締めるたびに溢れ出る春の優しい味と少しのほろ苦さを味わった。

「後輩がミスしちゃって、相手に迷惑をかけてしまって。でも私が確認不足だったのがいけないんです。私がもっとちゃんと見ていたら、防げたのに。後輩だってミスを経験しなくて済んだのに」

 気がついたら、そう言葉にしていた。

「あ、すみません、突然。なんだか急に話したくなってしまって」

「いいんですよ、ここは悩みを持つお客様だけが入れるお店ですから。しかも、お話ししてくれたら一品サービスいたしますよ」
 店主が優しい笑顔で、そう答えてくれた。「あの、悩みを持つ人だけって珍しいですよね。ていうか、そんなお店初めてです。いいんですか?そんなふうにお客さんを断ってしまって。普通なら、誰でもいいからいっぱい来てほしいものですよね」
 夏菜は、入り口の看板を見て思っていたことを思い切って訊いてみた。
「悩みがない人なんていませんから」
 店主は答える。夏菜は、はっとした。確かに、日々色んなことを悩んでいたかもしれない。昨日のことを思い返してみたら、今週末にデートで着ていく服をどうしようかと、インスタグラムで寝る前に探していた。今となってはそんな悩みなんて、今感じている悩みよりなんてちっぽけなんだと笑ってしまうが。

「この店は、大体ご新規様がご来店されます。
リピーターっていうのは、あんまりいないんですよ。もしあっても、しばらく間が空きます。だから、私を除いたらもう会わない人しかいないんですね。まぁ今日は他に誰もいないんですが。そう思ったら悩み事を話すのも気が楽になりませんか?心にモヤモヤを溜めておくと、身体に悪いです。吐き出してしまった方が楽になりますよ」
 そう言われて、夏菜はまるでずっと誰かに話したくて仕方がなかったかのように、今日起きた出来事を話していた。話し終えると、なんだか裸になったような少しの恥ずかしさを感じた。
「すみません、こんなにベラベラと自分のことを話してしまって。初対面なのに」
 店主はそれには何も答えずに、スッとお皿を夏菜の目の前に置いた。
「こちらはサービスです。よかったら召し上がってください」
 目の前に現れたのは、ヤングコーンだった。夏菜は食べるのは大好きだが料理はあまり得意ではないので詳しくは分からないが、多分揚げてある。一口齧ると、にんにくの良い香りがしてまさにビールが止まらなくなる逸品だった。
「美味しい...。ありがとうございます」
「ヤングコーンの唐揚げです。まだ春だけど、少しずつ季節は進んでいるんですよね。野菜達を見ていると、それをとても感じます。大丈夫ですよ。あなたのその悩みも、いつのまにかあなたを成長させてくれる経験になっていますから」
 店主はさらに続けて、
「悩みを抱えている人は、心が優しい方なんです。誰かのことを思いやる気持ちがない人は、自分が人を傷つけているとも思わず、厚かましく生きていますよ。失敗した分だけ、今度は誰かの失敗を優しく受け止めることができるんです。きっとあなたにはそれが分かるでしょう?だから、自分の失敗を責めすぎないでください。その後輩さんは、あなたに教えてもらえて幸せですね」
 夏菜はなぜだか泣きそうになり、誤魔化すようにビールをぐいっと飲んだ。少し緩くなったビールの温度のせいか、一口目よりも苦く感じたが、嫌な感じには思わなかった。

 「ご馳走さまでした。とっても美味しかったです。また来ます、と言いたいけれど、ここではNGなのかな」と笑って言う。
「いつでもどうぞ。あなたのタイミングで」
 店主はそう答えてくれた。

 外に出ると、ひんやりとした気持ち良い風がお酒のせいか少しほてった頬を撫でた。まだ夏の気配は感じないが、今年もきっとうんざりするくらい暑くなるのだろう。明日、後輩には笑顔で、何事も経験だから大丈夫だよと言ってあげよう。私の過去の失敗談も付け加えてもいいかもしれない。そんなことを考えながら、ここに来た時よりも軽くなった足取りで、夏菜は帰り道を歩いていった。


〜最後まで読んでくださった方へ〜
初めて小説を書きました。

あなたのお悩みも他の誰かへ生きるヒントを与える、そんな経験になっているのかもしれません。
もしよければ、そんな経験をコメントで教えてください。


全てのことに意味がある。
そう思えたら、目の前で起きる出来事に感謝の気持ちが湧いてきます。
あなたの今日はいい一日になりました。

ありがとうございました。

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