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いい機会だ。日本も徹底的に彼の傲慢を叩こう。そしたら北方四島どころか樺太も取り返せそうな気がする。

いい機会だ。日本も徹底的に彼の傲慢を叩こう。そしたら北方四島どころか樺太も取り返せそうな気がする。
2022年03月31日
以下は、先ほど届いた定期購読専門月刊誌テ―ミスに掲載されている高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
プーチンの傲慢を叩き北方四島&樺太を取り戻せ
スターリンは条約を破り日本を攻め60万将兵を連れ去った
豪奢なマンションが死刑囚監房
先の戦争の前、日本は米国の苛めに対して日独伊枢軸同盟を結んだ。
さらにソ連とも中立条約を結んだ。
松岡洋右は将来、ソ連を含めた4か国枢軸同盟に拡大するつもりだった。
壮大な構想だが、ただタマが悪すぎた。
独のヒトラーは加藤シヅエと同じく人倫に欠けた男だった。
不具や知能遅滞児を処分するT4作戦で20万人を殺していた。
加えてアーリアンが一番と思い込んでスラブ人、ロマ人、さらには有色人種を忌み嫌った。
因みに加藤シヅエは戦後、日本衰亡計画を進めるGHQの引きで社会党幹部にのし上がり、念願の優生保護法を作った。
協賛は朝日新聞で、心の弱い父母の背中を押して子供の断種をやらせた。
その朝日は今、「断種は国家犯罪」とかいって被害者に国を訴えろと嗾けるが、だれも進んで応じないのは、老いた親に自責の念があるからだ。
話を戻す。
そんなヒトラーに加えてもう一人おかしいのがスターリンだ。
生まれはグルジア。
性格が悪いうえに背丈がやたら低い。
こっそりシークレットシューズを履いていたことは有名だ。
彼はそういうコンプレックスもあって性格は残忍。
人を殺すのが好きだった。
実際、政権を握るとさっそくウクライナで人為的飢餓状態を作り、数百万を餓死させたホロドモールをやっている。
モスクワ川の中州に豪奢なマンションを作り、高級幹部を住まわせた。
そして気が向くと幹部の一人をクレムリンに呼び出し、十月革命通りを上った上のKGB本部の地下牢獄で処刑した。
幹部の家族もいつの間にか消えて、多分シベリアのラーゲリ(収容所)に消えていく。いつ呼び出されるか。
「赤軍幹部にとってそれは執行を待つ死刑囚監房に等しかった」と産経新聞の「20世紀特派員」にある。
そんな変質者がメンバーだ。
うまくいくはずもないし、実際、日ソ中立条約が結ばれた1941年4月13日から僅か2か月後の6月22日、独軍がソ連に侵攻した。
独軍はその年のうちにモスクワの近郊、今、シェレメチェボードバー(第2)空港のあるところまで進んだ。
ソ連軍はすでに1千670万の戦死者を出し、抵抗は限界点にあった。
独はあと1日でソ連を滅ぼせたが、そうはいかなかった。
一つは日ソ中立同盟成立で極東に張り付いていたソ連軍が引き返したこと。そしてもう一つがマロース。
極寒猛吹雪とでも訳すか。
日本海全域の支配も画策した
ソ連崩壊の特ダネを取った斎藤勉がまだ産経新聞モスクワ支局長だったころ、そのマロースの怖さを話してくれた。
その日、人々は窓を開け放つ。
酷寒の冷気が家に入り込んだ瞬間あちこちでぱちぱち音がする。
体内の水分が一挙に凍ってゴキブリが弾け散るという。
夏服できた独軍はほとんどゴキブリ状態で凍り付き、300万が捕虜になった。
スターリンは陰険だ。
捕虜収容所の看守をユダヤ人にやらせ、ソ連版アウシュビッツにして独軍捕虜を殺させた。
そんな卑劣なスターリンが、もはや戦う余力もない日本に襲いかかった。
だいたいロシアは非白人国家、日本に大敗した汚辱の歴史がある。
その仇を取ろうと昭和14年には、ジューコフ指揮下の7万機械化部隊がノモンハンで戦争を吹っ掛けた。
戦いの結果、露側の戦車は9割方800両がすべて破壊され、露軍機も1千673機がすべて撃墜され、2万5千の死傷者を出して撤退した。
対独戦を含めさまざまな戦いのなかでジューコフは「最も苦しかった戦い」とノモンハンの敗北を認めている。
しかし、強い日本軍だってポツダム宣言を受諾して武装解除したら勝てるはずだとスターリンは考えた。
日本降伏から3日後の昭和20年8月18日、小1万のソ連軍が54隻の艦船でカムチャツカを進発、千島列島伝いに南下を始めた。
これを前にスターリンは「宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡の支配」を語っている。ソ連は北海道を取り、ウラジオストク港を活用して日本海全域を支配するという意味だ。
ところが出だしの占守島で躓いた。
第5方面司令官、樋口季一郎中将は国籍不明の航空機攻撃と上陸用舟艇の大軍発見の情報に接し、「徹底的に殲滅」を命じた。
占守島の守備隊は3昼夜にわたって上陸ソ連軍を叩いた。
2機の97式艦攻は露艦に体当たりして撃沈した。
結果、日本側の戦死者256人に対しソ連は全将兵の4割、3千人を失う大打撃を蒙り、北海道占領の夢は潰えた。
9月2日。ソ連も含めた連合軍の各国代表がミズーリ号艦上で降伏調印式に臨んでいたころ、ソ連軍はまだ択捉に着いたくらいで、歯舞色丹上陸は9月3日以降にずれ込んでいた。
戦勝記念日を9月3日に変更
安倍首相(当時)はプーチンに歯舞、色丹の2島先行返還を求めた。
対してプーチンは何をしたか。
ロシアは戦後ずっと9月2日に対日戦勝記念を祝ってきたが、プーチンは俄に戦勝記念日を9月3日にずらした。
そうすれば歯舞、色丹領有の辻褄が合うんじゃないかと。
江川卓の空白の1日じゃあるまいし。
それで「北方四島はオレのもの」といい張った。
スターリンは条約を破って瀕死の日本を攻め、60万将兵を奴隷として連れ去った。
千島列島も樺太も奪った。
火事場泥棒そのものだ。
占守島でやられて実にザマがいい。
そしてプーチンだ。
その火事場ドロと60万人奴隷問題の謝罪も賠償もしないどころか傲慢にも開き直ったのだ。
彼はその傲慢を今回、ウクライナでも披歴した。
発狂としかいいようがない。
いい機会だ。日本も徹底的に彼の傲慢を叩こう。そしたら北方四島どころか樺太も取り返せそうな気がする。


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