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関東学院大の林博史は「マレーで日本軍が赤ん坊を放り上げて刺した」。早大の後藤乾一は「日本軍がスマトラの村民3000人を底なしの穴に突き落とした」。藤原彰一橋大教授は日本軍の煙幕を毒ガスと言った。

以下は2023/12/15に出版された高山正之の最新刊「変見自在 安倍晋三を葬ったのは誰か」の序章からである。
本書は、週刊新潮の名物コラムを製本化したシリーズの最新刊だが、原文を推敲して一層読みやすくなっている。
私は、この1冊だけでも、彼こそがノーベル文学賞に値する作家であると断言する。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。

はじめに 
米近代史家ジョン・ダワーの著作『敗北を抱きしめて』には日本軍の素行について「占領地で略奪し、女を襲い、赤ん坊を放り上げては笑いながら銃剣で刺していた」とか信じがたい話が幾つも書き連ねられている。 
それはみな聞いたことがある。
第1次大戦さなか、ベルギーを占領した独軍は民家まで襲い暴虐の限りを尽くした。
将来の抵抗勢力になる子供たちは銃が持てないよう、その手首を切り落とされた。
産院も襲われ、看護婦は犯され、保育器の赤ん坊は放り上げて銃剣で刺した。
「日本軍の蛮行」と全く同じ話だ。 
米市民はその蛮行に怒り、ウッドロー・ウィルソンは参戦を決め、大戦は決着した。 
戦後、米資産家が手首のない子供たちを引き取ろうと探したが、見つからなかった。 
そうした「戦時下の報道を検証したら犯された看護婦も殺された赤ん坊もいなかった」(アーサー・ポンソンビー『戦時の嘘』)。 
嘘の後ろには実は米広報委員会(CPI)が存在したことも分かってきた。
CPIはウィルソンが創った組織で、米国務長官、陸海軍長官と新聞界代表の4人で構成された。
独軍の残虐さを新聞報道や映画、ラジオ番組などで拡散し米世論を参戦に向かわせる役割で、それはまんまと成功した。 
それと同じ残虐話が日本軍についても語られた。
ただ不思議なのは戦時下ではなく、戦後、東京裁判史観がGHQによって推し進められるのと歩調を合わせるように後追いで語られ出した。 
関東学院大の林博史は「マレーで日本軍が赤ん坊を放り上げて刺した」。
早大の後藤乾一は「日本軍がスマトラの村民3000人を底なしの穴に突き落とした」。
藤原彰一橋大教授は日本軍の煙幕を毒ガスと言った。
いずれもポンソンビーに頼らずとも嘘とバレた話だが、ダワーの見方は違った。 
彼は「日本軍の残虐行為は検証の必要もないほど明らかな事実だ」と断定し、日本人は野獣より残忍なのだと主張する。 
ダワーは同じ調子で「南京大虐殺」も「マニラ10万人大虐殺」も事実だと言い切る。 
この当時はまだ存命する南京戦の関係者から話も聞いていない。
マニラ大虐殺はもっとふざけている。
マニラ決戦を前に日本軍はサンドトーマス大に抑留していた3800人の欧米民間人を米軍側に引き渡した。
彼らが戦火に巻き込まれないようにという人道措置だった。
その証言も映像も残っている。 
しかし米軍はその翌日、つまりマニラ市街がフィリピン人と日本軍だけになった途端、数千トンの砲爆撃をマニラ市に食らわせ、街は廃墟と化し、多くの市民が死んだ。 
そしたら終戦後、GHQは「マニラ市民10万人は日本軍が虐殺した」と言い出した。
己の残虐さを日本軍に擦り付けたのだ。
朝日新聞が「ふざけるな」「検証しろ」と反論したら廃刊にすると脅し、沈黙させた。 
そういう米国の不都合にはすべて目をつぶって昭和天皇を侮り、日本人を見下す描写に終始したのがこのダワーの本だ。 
しかしニューヨーク・タイムズはこの本が世に出ると同時に絶賛し、その流れでピューリッツァー賞が与えられ、さらに歴史書として評価するバンクロフト賞、学校教材に相応しいとする学校図書賞まで与えられた。 
「日本人は残忍な民族」だから「2発の原爆も正義の鉄槌だった」という東京裁判史観が半世紀たって上書きされた。 
この本を貫く史観はその「序」にある。
「日本が近代国家として興隆していった姿は、目撃者を驚かせるものであった。それは誰が予想したよりも急速で、果敢で、順調であり、しかも最後には、誰も予想しなかったような狂気にかられ、残忍となり、みずから破滅していった」 
開国から「上下心を一にして」近代化に勤しんだ日本人の姿は頷けるが、その先。
ある日、日本人は発狂し、八つ墓村みたいに暴れ出して自滅したと言っている。 
中国も米国もただの傍観者で、日本が独り相撲を取ってこけたと言っている。
実は東京裁判史観も同じ独り相撲史観に立ち、戦後の日本を縛ってきた。
村山富市談話も同じ。
「日本は遠くない過去に国策を誤り戦争への道を歩んで侵略し周りに苦痛を与えました」 
蛸壷に入ったまま自省する。外も見ない。
これでは国家の立ち位置も見失うと首相談話で指摘したのが安倍晋三だった。 
「百年以上前の世界には」で書き出された談話は「圧倒的な技術優位」を持った「西洋諸国」が力ずくで第三世界を植民地化していく姿を描き出す。
その危機感から立ち上がった日本がロシアを破って「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と続く。
歴史とは一つの国が個々に作るのではなく多くの国が絡み合い、様々な力学が働いているのだと言っている。 
それからの世界史は植民地帝国主義に固執する西欧が異質・日本を排除していく局面に入る。
それは日本の敗戦後も未だに続いていると安倍さんは示唆している。
白人優越主義を引きずる米国の執念がそれを牽引してきたが、安倍談話はそういう現実の歴史を俯瞰し、皮肉も込めて語っている。 
戦後史観の拔けない日本人には新鮮な視点だったし、米国は安倍さんの言葉に恐怖を覚えたかどうかはともかく、威厳あるかつての日本人を見たように思ったのではないか。 
その安倍さんが暗殺された。
戦後史観に浸る朝日新聞などはなお安倍さんを否定してかかるが、事件を機に逆に安倍史観に納得する人も多く出ている。 
それがどんな景色か。
本書がその一部でも見せられれば幸せだ。
もしかしたら安倍さんをやった者が誰かも見えてくるかもしれない。                                     
高山正之

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