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朝鮮半島や中国の工作下にあると言っても全く過言ではない野党と同様の実態である朝日新聞や…特に、NHKのwatch9は、為すべき事から国民の目を逸らす為と…

朝鮮半島や中国の工作下にあると言っても全く過言ではない野党と同様の実態である朝日新聞や…特に、NHKのwatch9は、為すべき事から国民の目を逸らす為と…
2019年07月18日
以下は、金九…ウィキペディアから。と題して2012-08-28に発信した章である。
韓国の文在寅は昨日、この男の記念館!で…戦時を除いて(朝鮮戦争の事だろう)政府庁舎以外での初めての閣議を行った(今朝の産経新聞一面から)文在寅は日本と世界に取って極めて危険で悪質な人間である、と言うよりも、韓国歴代大統領のなかで最低の極左活動家、北朝鮮の主体思想の信奉者が韓国の大統領に成っている。
彼は実態は北朝鮮の工作員であると言っても全く過言ではない人間である。
例えれば全共闘や、革マル、中核、民青などの活動家たちが国を支配して革命家気取りで政治ごっこをしている…それが今の韓国の実態だが…、
北朝鮮に吸収される韓国という構図が明らかな今、喫緊の課題として日本の防衛をどうするか、日本の安全保障体制の再構築を急がなければならない時に、
そのためにはGHQから押し付けられた、日本を永久に弱体化させるための憲法を改正しなければならない事が緊急である時に、
朝鮮半島や中国の工作下にあると言っても全く過言ではない野党と同様の実態である朝日新聞や、
特に、NHKのwatch9は、為すべき事から国民の目を逸らす為と、
(中国と朝鮮半島にとって最大の目の上のたんこぶ…それだけ安倍首相が本物の政治家で自由主義世界で最も大きな影響力を持っている政治家である事の証明なのである)
その安倍首相が率いる自民党を参院選挙で敗北させ影響力を弱めるために、
つまり、正に中国・朝鮮半島のエージェントとして、売国奴・国賊としての言動…厚労省の小役人(霞が関で最も蔑視されている役人達らしいが、言うまでもなく野党と通じた自治労…沖縄で基地反対闘争を繰り広げている主要なメンバーの一員である…の組合員たちの、言わば意図的な…いかにも共産主義者に相応しいサボタージュで国政を混乱させる意図もあるだろう)の統計作業の不正だとかなんだとかを日本国の緊急の課題であるかのように印象操作して自虐史観そのもの反日思想そのもの、売国奴、国賊そのものの活動を繰り広げて中国と朝鮮半島に奉仕しているのが、野党の政治屋達であり、朝日、毎日、東京、中日新聞、NHK等なのである。

沖縄の二紙などは完全に中国や朝鮮半島、或いは共産党の工作下にある新聞会社だから議論の余地もない。

さて以下が2012-08-28に発信した章である。
史上最大の図書館であるインターネットを、その最も素晴らしい所で在る関連事象の並列に沿って尋ねて行ったら、金九、という初めて聞く名前があった。韓国では英雄扱いなのだという。
韓国と云う国には知性は在るのだろうかと、私は真剣に懸念する。

以下はウィキペディアから。
金九
…大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、首相代理、国務領(首相)などを務めた。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席である。
1896年 鴟河浦事件。食事を注文した時に女性の給仕が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人・土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。
金九は後に土田を日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身(貿易商・大久保機一が雇用)の商人であった。
殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらにのち、脱獄する。
*こんな者に嬲り殺された土田譲亮さんは本当に浮かばれない、これ以上ない無念な死に方なのであるが、今頃、金九は地獄で閻魔大王の責め苦に遭っている、或いは土田さんが復讐を遂げているであろう事だけが唯一の救いだろう*
『土田譲亮撃殺の件 取調べ調書』
長崎縣平民土田譲亮なる者朝鮮人1名(平安道龍岡居住林学吉二十歳)を隨へ、黄州より帰仁の為め鎮南浦へ向ふの途次、黄州十二浦より韓船一隻を僦ひ大同江を下り、3月8日夜治下浦に泊し、翌9日午前3時頃同所出帆の用意を了へ、喫飯の為め同所旅宿業李化甫方に到り再び帰船の際、同家の庭前に於て同家宿泊韓人4、5名の為め打殺せられたり。
—アジア歴史資料センターレファレンスコード:A04010024500, 『在仁川領事館事務代理萩原守一ヨリ仁川港ノ情況ニ付続報ノ件』
雇韓人林も亦殺害の難に遭はんとせしも、辛ふじて危険を逃れ、同12日夜平壌に来り同所駐留平原警部に右の顛末を訴へたるを以て、同警部は巡査2名、巡検5名を率ひて同15日現場に臨み検視を行はんとせしに、右旅宿主人は警部等の到を聞きて逃走し、殺害者の屍体は既に河中に投棄したるを以て検死することを得ず。
—アジア歴史資料センターレファレンスコード:A04010024500, 『在仁川領事館事務代理萩原守一ヨリ仁川港ノ情況ニ付続報ノ件』
倭奴(ウェノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。
二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。
わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭(ウェ)の血をわたしの顔に塗り付け…
—金九, 『白凡逸志』日本語版 平凡社 (1973年) 79ページ

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