見出し画像

勉強は、才能ではないのか

こんにちは、endeavor です。今回は、私がずっと考えていたことについてお話し致します。これはあくまで私の考えですので、不快に感じられる方もおられるかと思います。嫌だ、と思ったらブラウザバックを。

皆さんは考えたことがありますか?
なぜ、スポーツは才能が無いから諦めよう、となるのに勉強は成績がいくら頭打ちになっても勉強し続けるのか。

これは学校や塾の先生が生徒に囁く、“勉強はやればやるだけ伸びる”という言葉が原因です。その根拠は一体どこにあるのかしら。

冷静に考えてみるとおかしな話です。ピアノやスポーツなどは才能の世界などと呼ばれ、才能が無いと感じたらプロを目指すのはあっさり(?)諦める。その一方で、言い方は悪いですが、勉強で平々凡々な成績しか出せないままであっても、自分は頑張っているのだからいい大学に合格できる(=勉強の道のプロになれる)と信じて頑張り続ける。そして成績が大して上がらずいい大学には行けない。皆さんはなぜ地頭という名の才能という存在を信じないのでしょうか。

人間の能力には限界がある。その能力の限界を越えようとするのはほぼ不可能だと言って良いでしょう。仮に可能だとしても、時間の効率が悪すぎます。受験勉強などでずっと真面目に勉強しているのに成績が上がらないのであれば、そこが自分の限界では無いでしょうか?であれば、時間を成績を上げる勉強ではなく、他のことに用いて自分にしかできないことを見つけ、面白い人間になることの方がよっぽど価値があります。

…もっとも視野を広げて考えると、高学歴が高い給料をもらうこの日本という国の学歴社会にも原因があるのでしょうが。

以上です。お読みいただきありがとうございます。最後に一つだけ、私は勉強をやめろと言いたいわけではありません。やりたければ、やればいい。この考えに出会って、少しでも気が楽になる人がいれば嬉しく思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?