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姓という看板

学校を卒業して四半世紀、私は自分の姓を看板として仕事をしてきた。傍から見たら「ただの会社員じゃねーか」との声もあるだろうが、私は自分の看板は自分で創る!位の気概でやってきた。時に空回りしてる時もあったけどね。笑。

結婚して夫の姓になってからも元の職場では馴染み深い旧姓で通してきた。


ところが、だ。

昨年冬に仕事を辞め職業訓練校に通っているが、誰も私のことを旧姓で呼んでくれない。当たり前だ。職業訓練校はハローワークとの絡みもあるので訓練期間中だけ旧姓で、というのもお願いしづらく、結果的に今の姓=夫の姓で通っている。

訓練校のクラスメイトや先生は本当にいい方ばかりだし、がんのことも含めて受け入れて下さったことには感謝しかない。


でも、なんだろう。一抹の寂しさというか、違和感というか、憤りというか、何かが私の中で引っかかってる。

だって、この20年以上の間自分の看板を磨いてそれに恥じぬ仕事をしたいと真剣にやって来たのに、結婚しただけで私の意思とは無関係にあっさり看板が架け替えられちゃうって何だよ…。


うちの夫は入籍の時も「俺がそっちの姓に変えようか?」と言ってくれたし、私も夫の姓になることが嫌だった訳じゃない。夫のことは出会った時も今も変わらず好きだし尊敬している。
ただ、夫婦別姓が選べたら私は旧姓のままでいることを選択しただろう。


国が未だにモデルとしている、夫婦と子ども2人の核家族で主な稼ぎ手は夫、的な家族のかたちって、いつまで高度経済成長期だよ!!ってツッコミたくなる(笑)
姓のことも含めて「こうあるべし」が多すぎて、それに嫌気がさしている人の一部は未婚や非婚という消極的選択をしているのではないか。

今や経団連だって夫婦別姓を提唱しているんだから、早くやってよ、と言いたい。


別姓だと家族の絆が弱まるとお考えの方もいると聞いた。そういう方は従来通りでいい、そして私みたいに違和感を抱く人は別姓にすればいい。

要するに、選択の自由が欲しいってことだね。

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