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チコちゃん、大人を叱らないで!

 NHKの人気番組の一つに「チコちゃんに叱られる」がある。5歳のチコちゃんが難問を大人にぶつけてくる。答えが分からないでもじもじしていると、「ボーっと生きてんじゃねえ」とすごい怖い顔して、大人を叱りあげるという設定である。一種のクイズ番組だと思えば、それなりに面白い。しかし、私はどこか違和感を覚え、さらに私自身が馬鹿にされた気持ちにすらなることがある。

 違和感を覚えるのは、大人を少し馬鹿にしたように「岡村」のように、呼び捨てで呼ぶことである。5歳の子どもに呼び捨てで呼ばれると、どんな気持ちになるだろうか?「この子は大人に対して口のきき方をしらないのか、それても少し生意気で、ひねくれているのか」とつい思ってしまう。

 次に、質問に答えられないと、大人を「ボーっと生きてんじゃねえ」と𠮟りつけるけれども、果たして「ボーっとしないで生きていれば」答えることのできる問題であるだろうか。今まで数多くはないが、いくつか番組を見てきた感想を言えば、かなりマニアックな質問や専門的な質問が大半である。その証拠に、正解を説明するのはその分野の専門家である。その分野の専門家でないと知らないようなことを知っていないからと言って、大人が𠮟りつけられる必要があるのだろうか。

「5歳の子どもの言うことを、そんなにムキになって反論しなくても良いではないか」と読者の皆様にたしらめられそうです。しかし、私はチコちゃんが大人になった時、どんな人になるのだろうかと少し不安になります。

 第一の理由は、物知りであることを自慢し、知識の無い人を馬鹿にする態度が気になります。この現代において、「インターネットて何?」とか「eメールって普通の手紙と何が違う?」と、もし私が言ったらどうでしょう。「それは余りにもものを知らないのでは」と言われるでしょう。しかし、チコちゃんがする質問は現代社会を生きるにあたって、必要不可欠な知識でしょうか。マニアックなことや専門的な知識を知らないからと言って、人を馬鹿にする人が自分の近くに実際にいたらどうでしょうか。「何を偉そうに。それを知っていることが、そんなに偉いのですか?」と私は皮肉を言いたくなります。

 第二の理由として、確かに「知は力なり」という言葉がありますが、知識はそれ自体に価値があるのではなく、知識を今後の人生の中で、どのように活用して、日々の生活に生かし、創造的な活動に繋げていくかが大切であると思うからです。知識だけであれば、インターネットで検索すれば、瞬時に得ることができます。

 かつて物知りの人を「○○博士」と呼んでいました。しかし、今そんな時代ではありません。知識の量はどんなに頑張って競っても、AIに負けてしまいます。知識があることを自慢し誇る時代ではありません。

 チコちゃんを責めるのは、酷なことでしょう。なぜならチコちゃんの背後には番組制作者がいて、その人たちがチコちゃんに話させているからです。番組制作者は「物知り博士」に絶対的な価値を見出しているのでしょうか。少し時代錯誤の考え方ではないでしょうか。

 私たちが求めるべきことは、AIにはできない一人の人間としての魅力を磨くことではないでしょうか。チコちゃんが大人になった時、知識があることを自慢したり、知識が無い人を馬鹿にしないような人になることをねがうだけです。
(この結論は、参考文献の田坂広志さんの本からヒントを得ました。)

参考文献 田坂広志(2019)『能力を磨く ― AI時代に活躍する人材「3つの能力」』
     日本実業出版社

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