随筆: いつかは来る自分の死と、どのように向き合えばよいのだろう?
メメント・モリ(死を忘れるな)という言葉がある
いつの日か、確実にやってくる自分の死と
どのように向き合えばよいのだろうか?
新聞や週刊誌の広告欄、テレビのコマーシャル、YouTube
高齢者用の情報が溢れんばかりである
60歳、70歳、80歳とそれぞれの年代用に本がある
いずれもどのようにしたら
健康に長く生きるか詳しく紹介している
運動のこと、食事のこと、趣味やボランティアのこと
友人や知人との付き合い方などなどである
しかし、どんなに気をつけても
ほとんどの人は病気にもなるし
やがては死んでいく
健康上どこも悪いところがなく
ろうそくの灯が最後まで燃え尽きるように
老衰で亡くなっていく人は、多くないだろう
回復の見込みのない病気になった時
残されたわずかの時間を
どのように過ごせばいいのだろうか
その短い時間で、自分の人生を振り返り
どのように納得して
自分の人生を終える心の準備をすれば良いのだろうか
もちろん、人それぞれであるだろう
立花隆さんはジャーナリストの視点から
「脳死」「臨死体験」など死について長年調査された
彼が晩年取り組んできたのが、自分史の書き方の指導であった
これを済ませておくと
自分の死を受け入れる準備の一つになるだろう
立花さんは死ぬ直前には
「もう死ぬことは怖いと思わない」と述べていた
達観したような心境だったらしい
キューブラ・ロスの「死ぬ瞬間」という名著がある
医師から回復の見込みがまったくないと宣告された患者は
どのような心理的なプロセスや段階を踏んで
最期に自分の死を受け入れるのか
臨床医の視点から克明に述べてある
自分の死については
学校では余りに深刻でデリケートな問題であるためか
クラスで討議することはまずないであろう
定年退職で職場を去っていく人対して
退職者の説明会において
今後の第二の人生をいかに生きるかを講師が詳しく教えてくれる
しかし、自分の最期をいかに迎えるか語られることはない
医師も、現代の医学では助からない患者やその家族に向けて
病気を告知し、病気について詳しく説明する
しかし、残された時間をどのように生きるべきか
自分が死ぬことをどのように受け入れるべきなのか
適切にアドバイスできる医師はどのくらいいるのだろうか?
アドバイスを求められても多くの医師は困惑するだろう
「亡くなった人」に対して、僧侶は丁寧に読経を挙げてくれる
しかし、「亡くなりかけた人」に対しては
どのくらい親身になって声をかけるのだろうか?
僧侶と言えども、余りにも重いテーマであるのだろう
結局、「亡くなりかけた人」に対して、真剣に向き合い
話相手になる人があまりいないのが現実ではないだろうか?
このことを真剣に実践した人に
マザーテレサがいた
路上に倒れ、死にかけた人々に対して
言葉をかけ、人々の言葉を聞き、寄り添い、最期を看取った
それらの人々はマザーテレサにたいして
心から感謝の言葉を述べて安らかに亡くなった
我々は皆、自分がいつの日にか
やがて死ぬことを知っているのに
どこかこの問題を避けるようにしている
正直言って、私も避けてきた
残念な現実である
もう一度自分に言い聞かそう
メメント・モリ(死を忘れるな)
願わくば、人生の終わりが迫った頃
人間として生まれ、生かされ、生きてこられた
そのことに感謝の気持ちが持てるようになりたい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?