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一般入試とAO入試で問われる力

今回は、大学入試における問われる力について考察していこうかなと思います。
自分は、一般入試の対策をしていましたが、途中からAO入試に挑戦してみようと思い、AO入試経験者です。高校3年生の8月から11月くらいまではAO入試の対策を必死でやりなんとか合格を得ることができたという感じです。
結果として、一般入試でやってきたことはそのまま使わずにいたという感じ。センター試験は受けましたが、クラス全員受けることになっていたので受けざるを得ないから受けたという感じです。

体感として、二つの試験は全然違うと思います。
一般入試は主に、純粋なペーパー試験の力が問われる。
具体的には、数学、国語、英語、理科、社会の5科目の点数で合否が決まる。国立は科目多く、私立は3科目。
そうなると、やることは当然、教科書や基礎的な知識が書いてある本を読み、覚え、演習を通じて、苦手な部分を潰していき、点数を上げていくことをする。
範囲は多いが、合格するために必要なすべきことは割と決まっているような印象。つまり、分野は決まっていてその分野の知識が習得して、適切な解を選ぶことができれば点数がもらえるという形。そこにオリジナリティなどは本当に必要ない。逆にいうと、知識を覚えて使いこなす力が問われている印象。

AO入試は、自分が何をやってきて、何をやりたいか、今後どうやって活躍していくか。という人間力のような数値で測りにくい力が問われているように感じる。
AO入試では、主に高校3年間で何をやってきたのかを記載することがメインである。勉学に打ち込んできた人や、生徒会、部活に打ち込んだり、学生団体を立ち上げて活動してたりという感じで、人によって全く異なる印象だ。
そして、バックボーンの異なる人により、目指すべき大学、学部、場合によっては専門的にやることについても考察し、志望理由書を書き上げていく。
そこで、一般入試と異なる点は、正解が決まっていないということだ。

一般入試は、問題に対して、正解が用意されており、何問あっているかということが重要な点で、いかに正解に近づけるかの精度を上げていくような力が問われる。これに対して、AOは、正解はないので、自分にとっての正解、最適解はこれなんじゃないか?ということを過去の経験と未来を考えて、これが自分の適性などを考えた上でいいんじゃないか?ということを考えて言語化し、大学へ自分をアピールする力、自己プロデュース力のような力が問われる。
そうなると、2つの力は全く異なる力のように思える。

AO入試を受けると、自分と否が応でも向き合わざるを得ない。
自分が何をしてきたのか。何をやりたいのか。どういう将来を切り開いていきたいのか。何を学びたいのか。どんな職業に就きたいのか。何を成し遂げたいのか。
そうしたことを自問するプロセスが必須になってくる。
中には、歌手になりたい、政治家になりたい、官僚になりたい、経営者になりたい、貧困について勉強したい、語学留学へ行きたい。
そうした声を持つ者もいる。そして、そうした志を持って大学へ志望するということだ。ちなみに自分は政治に興味があったので、政治家になりたいということを志望理由としていた。

そうした問題意識を持ち、大学へ進学することで、大学で何をするかが変わってくる。個人的には、問題意識を持った上で、一般入試で学ぶような知識や演習のようなものが意味を持ってくると感じている。知識などは必要だが、一般入試では点数を取るために勉強するという感じになっているが、本来は知識を獲得し、学びを深め、より良く生きるために学ぶということが必要になる気がする。政治についても、政治経済という科目は有用で、個人的にはすごく好きだった。一般入試の対策もしていたけど、点数を取るための勉強は結果として少しだけするにとどまったが、仮に政経の知識がより深まっていればより深く自己分析の参考にもなったと思う。
そう考えてみると、一般入試も、AO入試もどちらも重要な力を図っているように感じる。点数は取れるが、やりたいこともわからず、知識だけ増えて自堕落な大学生活を送ってしまうこともナンセンスだし、志があっても、一般入試で問うてくる基礎的な知識などについて知らないことも問題があるように思う。
そのような観点からはどちらも重要な力であるから可能であればどちらにも挑戦するというのがいいのかもしれない。
個人的には、AO入試でやってきたことは、就活や将来の進路について考えること、小論文などで自分の考えを示すときなどに大いに役に立つ。
一般入試は物事を深めたい時に、学ぶプロセスや知識の使い方を学ぶのに適している。
そうした二つの力を同時に養っていくことがこれからの時代ますます大切になってくるのではないでしょうか。

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