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1つに集中することの偉大さ

何事にも結果が出るのは1万時間かかるといわれている。
いわゆる1万時間の法則と呼ばれるものだ。
確かに成果といえるようなものは、短時間で出すこともできるが、実際にそれを結果になるまでにはそれくらいかかるだろう。
1日は24時間で睡眠が7時間〜8時間だとすると、起きている時間は17時間くらいか。ご飯やお風呂、移動などの時間を含めると1日に2時間くらいは生命維持活動的なものに費やすことになる。
とすれば、残りの15時間くらいが活動していることになる。
1日15時間を365かけてみると5475時間と出てきた。そうすると、単純計算で、何事も同じ対象に1日起きている時間の全てを捧げると2年間くらいで1万時間は達することになる。そう考えると無理なことではない。

もちろん、移動時間は積み重なると大きな時間になるのでそれを1つのことに思考を及ぼすことだけでも少しのプラスになるだろう。

大人になってくると一つのことに集中するということは意外と難しいということがあるなと感じることがある。
大体集中してすべき対象は、スポーツと勉強のどちらかだろう。
学校というのはそのどちらかをちゃんと集中してできるような環境を提供している場所なんだと捉えられる。
スポーツが飛び抜けていくと、甲子園とかに出場し、ドラフトでプロ野球選手になることができる。今メジャーリーグで活躍している大谷選手も同じ道を歩んでいる。小中高と野球に打ち込み、体を鍛え、素振りをし、投げ込みトレーニングにより野球人としての基礎が作り出された。その後、メジャー挑戦を表明するも、日本ハムの栗山監督の二刀流の提案により、日本ハムへの入団を決めるということになる。そこで自分の肉体改造を繰り返し、日本での実績を作り出し、メジャーで活躍するための土台をさらに磨くことになる。その結果が今の大谷の活躍である。
野球選手というと大谷選手が浮かぶが、彼の私生活面の様子を聞くと本当に野球を中心に生活しているような感じだ。メジャーに上がってからもそうだが、基本的には自宅と練習場と野球場の往復という。お金も散財せずに、一般人でも普通に持っているようなものだけで生活している(スポンサー契約していることにより、もらえるポルシェとか化粧品はあると思うが、それは自らの意思で勝ったというよりかはもらえるということによるものだろう。)つまり、それだけ1つのことに集中しているということである。

正直、これはすごいことだと思う。
他の野球選手とかの話を聞いてみると高級時計や高級な車を購入し、アナウンサーや元アイドルのような美女と付き合い、休みの日はハワイに旅行に行き、優雅にゆっくりと過ごす。という形のイメージがあるし、多くの野球選手はそのような過ごし方をしている人が多いだろう。
これは普通のことであると思うし、頑張ったご褒美にということもあるし、稼いだお金をどう使おうが自由ということはある。
けれど、その余暇の時間の使い方をどうするかによってその人の本当の願いがわかる。余暇をどう過ごすかが意外にもその人の本質的な部分が見えてくるのかもしれない。

大谷翔平の話が盛り上がりすぎた。笑

1つのことに集中してきた人という例でいうと、バレーボール選手でいうと石川祐希選手や、石川真佑選手がいる。この二人は本当にどちらもバレーボール好きで石川真佑選手については、他のことにもハマることなく、試合が終わったら家に帰り、ストレッチをして休みに入るといった感じらしい。
そしてまたバレーをするという。なんと素晴らしいバレー一筋感。
確かにそれだけ一つのことに集中していると結果はついてくるよなという感じがする。実際に石川祐希選手は大学卒業後からイタリアのリーグに入団し、そこで磨かれて今ではチームの主力として活躍している。石川真佑選手も高校卒業後、プロの実業団として活躍し、現在ではイタリアへの移籍を決めてイタリアの最高峰のリーグで日々バレーボールを突き詰めている。174cm?と小柄ながらアタッカーとして活躍することは本当にすごいと思う。過去に海外に行った木村沙織選手や狩野舞子選手などはどちらも185cmくらいあったと考えると10cmくらい差があるながらそもそも入団できること自体がすごすぎるとしかいえない。
好きということが本当に大きな力を生む。

現在、大谷選手と、石川兄弟の例を具体例示として示したが、どちらもスポーツという学校でやっていることを突き詰めた結果として成果が現実に出ていることだろう。それはもはや1万時間とかそういうレベルの話ではない。笑

学校で教わるスポーツと勉強という話をしたが、その他の領域もあるだろう。例えば、将棋だ。
有名な人でいえば、羽生善治さんや藤井聡太がいる。
彼らのすごさがどれだけのものか自分はそこまで語ることはできないがすごいことは間違いないだろう。
そのすごさを少しでも明確にしたい。
そこで参照したいのが、3月のライオンという映画だ。
主人公は桐山零。この子も高校生でプロになった天才と呼ばれていた。しかし、彼の生い立ちは決して恵まれたものではなかった。両親を早くに亡くし、プロ棋士の人の養子に入ることになり、毎日将棋三昧。
学校で教えてもらったということでは無いだろうが、学校においても毎日のように詰将棋や将棋の本を読み漁り、友人と呼べる人は将棋好きの先生くらいだ。あとは同じ騎士の仲間。

けれど、毎日将棋盤と向き合わざるを得ないような状況になり、向き合っているとかなり強くなっていく。印象的なシーンは、40代くらいの人と戦って相手は負けを確信してその場をさる。しかし、桐山はまだ勝負はわかりませんよねとその一手を示す。相手は俺にはその手が見えなかったんだよと苛立ちその場をさって行く。これは将棋に集中できていたか、その先を本気で考えていたかの差であるように思う。
おそらくだが、その40代の人はそこまで深く将棋と向き合えていなかったのだろう。しかし、桐山はそのシーンの後に、将棋しかねぇんだよ。弱いのが悪いんだろ。と騒ぐようなシーンがある。
これは本気で将棋と向き合った人ならわかる一手だっただろ。そこまで集中していないあなたが悪いんだろ。こっちは全てを将棋にかけて生きてきたんだよ。そう言っているように聞こえた。
その桐山の魂の叫びがすごく印象に残っているとともに、1つのことに集中して生きている人というもののメンタリティーはそういうことかと知るようになった。そうしたメンタリティーは何かを突き詰めている人でないと実感できるようなものではないと思うが、逆に突き詰めることを経験した人ならわかるものなのかもしれない。

ということで、ここまで具体的な例示を3つ挙げることになったが、特定のものにハマりすぎて他のものが見えないくらい集中していたという例は他にもたくさんあるだろう。
思い出したものとして、アニメメジャーの茂野吾郎がマイナー1年目で自分のことに集中しすぎて余裕がなく日本のことを気にする余裕がなかったと親父に話しているシーン。そしてそれを聞いた親父が余裕がなかったか。そりゃ結果がついてくるわけだ。と笑顔になるシーンを思い出した。
まさにこれまで述べてきたことを言い表すようなシーンだろう。

ということで、他にも例はあると思うので、知っている方いたらコメントで何か書いてください。笑
とりあえずここまで書いてみました。( ・∇・)

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