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懐かしきドバイ④:貴重な経験~その1


前回の7は、以下ご参照願います。

8.ラッキー?な経験いろいろ

酷暑の気候、イスラム教国独特の生活習慣などを紹介したが、この国で生活している間に、貴重でラッキー?な体験をいくつかしたので、書き留めておこうと思う。

UAE大統領の逝去

2004年11月2日、UAE大統領兼アブダビ首長のシェイク・ザイードが逝去するという、国家の一大事に遭遇した。
このお方の正式な名前:ザイード・ビン・スルターン・アール・ナヒヤーン、は「ナヒヤーン家スルターンの息子ザイード」の意味。ナヒヤーン家はすなわちアブダビ首長家。シェイクとは王族などの偉い方々の呼称で、訳すなら「閣下」か。

ムハンマドUAE大統領と岸田首相の奥の肖像画のお方こそ、シェイク・ザイードです。

シェイク・ザイードは、卓越した人望とリーダーシップを発揮して他の首長国をまとめあげ、英国から独立しアラブ首長国連邦を結成した、いまも全国民から敬愛される建国の父である。

この頃には既に高齢で公務はままならず重篤説が流れていたが、その訃報に接した際は、国中を挙げて喪に服すことになった。
テレビやラジオはすべてレクイエムが流れ沈鬱とした雰囲気となり、町中のあらゆる商店が次々に閉店となった。
なにしろ、この国始まって以来の前例が無い事態。政府の発表が無い限り、いつ喪が明けるのか誰にもわからない。私も仕事どころではないと判断し、事務所を出て家内と慌ててスーパーに駆け込み、数日分の食材や必需品の買い出しに行った。

それから数日間は休日となり、世界中の王族・皇族、国家元首が、シェイク・ザイードの葬儀参列のためアブダビを訪れた。
ちなみにこの時、我が日本から弔問に訪れたのは、外務大臣のみ。
UAEの石油や天然ガスが日本の経済発展にどれだけ貢献したかや、昭和天皇が崩御した際の「大喪の礼」にはシェイク・ムハンマド(現UAE大統領・アブダビ首長)が来日したことを思うと、総理や皇族が来ない対応には甚だがっかりしたものである。
中東ってウェットな人間関係、義理人情が決定的に重要な社会(かつての日本に似てる)なのに。大使館は本国に何を伝えているのか、と思った。

逆にアラブ諸国の連帯感はすごくて、近隣の湾岸諸国などもみんな、服喪のため数日間は休日になった。
私は仕事は休みになりラッキーであったが、最も困ったのはおそらく、ビザ申請のため、在外公館にパスポートを預けていた方々だったと思う。一時帰国も出張にも出られなくなってしまったのだから。

ドバイから西方に伸びる、その名もシェイク・ザイード・ロードという幹線道路をアブダビに向かって一直線に1時間半程走ると、砂漠の向こうに巨大な白亜のモスクが忽然と現れる。
これぞ、シェイク・ザイード・グランド・モスク。現在は観光スポットとしてもすっかり有名である。
なにせ巨大なモスク、私が帰国する時にはまだ工事中で完成していなかったが、いつかドバイを再訪する際は、偉大なるUAEの父が眠るこのモスクに足を延ばしたいと思う。

米国大統領の来訪

ジョージ・ブッシュ米大統領(息子の方)が2008年1月に中東諸国を歴訪、ドバイにも来た。
当時はイラク戦争直後。決して口には出さないものの、米国に対し決して良い感情を持っていない人々が、中東には多かったように思う。その張本人が来るのだから、国を挙げての大変なイベントであった。

しかも時期が悪く、1月。涼しいのはいいが、年間で唯一、雨が降る時期なのである。
最近ドバイで豪雨で町中が冠水したというニュースがあったけれど、少々の雨ですぐに町中がパニックになるので、VIP来訪に伴う超絶の厳戒態勢・交通規制と雨のダブルパンチで、町中の道路は渋滞だらけ、事故だらけ。完全に都市機能が麻痺したのでした。。

しかも私は仕事で、運が悪いことに会社の出張者をアテンドせねばならず、トリプルパンチ!
宿泊するホテルに迎えに行き、空港に送り届けることすらままならなくなったので、まじで大変でした。。

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