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少年野球⑦:受験生と新生チーム

投稿を1年さぼっているうちに時は過ぎ、息子は小学校を卒業し中学校に進学、野球チームも卒団。
朝晩はグラウンドまで車で送り迎え、ママはお弁当作りと泥んこのユニフォームの洗濯、試合となれば必ず応援に駆け付けた毎週末。
大変だったけれど、終わってみると寂しいもので、少年野球オンリーだった週末が一気に暇になってしまった今日この頃。
記憶が薄れないうちに、卒団までの活動を書き残そうと思います。

ちょうど昨年の今頃、桜が舞い散るグラウンドで始まった春の大会。最後の代の1年が始まりました。
息子含めた6年生8人、前年から先輩をおしのけレギュラーに定着していたエース級(投手だけでなく、走攻守すべて上手な中心選手、という意味)の子2人を軸に、5年生の力も借りた、新生Aチーム。
うちの息子も、希望していたファーストの定位置を掴み、中軸の打順を任され、サヨナラヒットも打ったりして、試合に出られる喜び、自分がメンバーとして戦う試合で勝つ喜びを覚えるようになってきた。

また、前年の先輩たちの好成績のお陰で、県大会級の上部大会に出場が認められ、横浜スタジアムでの開会式で行進するという貴重な経験もできた。

しかし、である。
チームを引っ張るエース級がなんと2人共、中学受験準備に集中するため、夏でチームを離脱。
打力と足が自慢のトップバッターとして、出塁すれば盗塁や相手のエラーで走りまくり必ず1人で1点取ってくるし、守ってはショートとピッチャーをこなし抜群のセンスを発揮する、押しも押されぬ背番号10のキャプテン。
それに、背番号1を背負ってエースピッチャーを務め、キャプテンが投げるときはショート、サード、それにキャッチャーまでできる万能選手。

その2人がいなくなるのだ。

前年は勝利至上主義のあおりで、息子を含む控え組は満足に練習で上達できないまま、もっぱら彼ら2人に「おんぶにだっこ」で戦ってきたチームだから、替えがきかない。全く別のチームになると言っていいくらい。

特に困ったのはピッチャーで、別の6年生の子が頑張ったものの、肩を痛めドクターストップ。次代のエース級の5年生の子も、Bチームとの掛け持ちで投げ過ぎが祟り、やっぱり頼れない。

そんなこんなで、ついにうちの息子までピッチャーもやることに。
すでに、精力的な声出しがチームに認められ、後継のキャプテンに指名され10番を背負うようになっていた息子に、新たな重荷がまた加わった。。

チームの監督コーチにまともに教わらないままの急造ピッチャー、当然最初はストライクを投げることに汲々としたけれど、本人はまんざらでもないようで、試合を重ねるごとにそこそこ形になってきた。
でもその過程で肘を痛め、スポーツクリニックに通うことに。幸い炎症で済んだものの、そこのドクターに投球フォームを教わったのが、唯一の技術指導でした。。

やはり彼ら2人の穴は容易に埋まらず、苦しい試合の連続。反省会ではいつも、監督やコーチには「所詮お前らの実力はこの程度」とか「あの2人がいればなぁ」とか、いちいち嫌なことを言われる。

残ったメンバーでこれでも一生懸命やってるんだよ、そんな言い方しなくてもいいだろ、というのと同時に、うちの息子が引っ張ってこのチームで勝てるようになればきっと感動するぞ、どうか頑張ってくれ、と思うのでありました。。


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