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【連載小説】恥知らず    第8話『史上最大の修羅場 前編』


ルミの妊娠発覚に端を発した一連の騒動は、俺が念書に承諾のサインを記す事で一応収束した。                                            俺は今後ルミが産んだ子を認知しなければならない。                   3日振りに帰宅した俺は一晩中悪夢にうなされ、翌朝目覚めると全身が脂汗でびちゃびちゃに濡れており、激しい疲労感でぐったりしていた。                                                

本日は金曜日。いつもなら週末の解放感に満たされてゴキゲンなのだが、さすがに今日は気分が沈み気味で体調も優れない。                          出社するとユミが手作り弁当を持って待ち構えていた。                       「フユヒコくん、おはよー。今日はデートやね~楽しみー。」                  朝一から能天気なユミの弁当攻めに遭うも、ルミの妊娠と出産後の認知の件で脳ミソが許容過多の俺は、心ここにあらずな状態だった。                               「どうしたん?最近のフユヒコくん、なんか様子がおかしいよ。」               「ああ、なんもないで。大丈夫。今日はどこ行く?行きたいとこある?」 俺はユミに悟られまいと、適当なリアクションでやり過ごそうとしていた。「そうやなぁ……MOSAIC行こ。美味しい中華の店あんねん。」                        中華なら南京町でええやんと軽く返して話を進めたい所だが、あまりにも体調不良が顕著故、正直な所本日のユミとの逢引はやはり断念した方が良かろうかと躊躇していた。                                         しかし愛くるしいユミを目の前にするとどうしてもユミを抱きたいと思う不埒な煩悩と劣情が勝ってしまい、加えて昨夜はルミとの性交が不発に終わったのもあって、多少の無理を押してでもユミとの逢引を予定どおり行う事を決断した。苦渋の決断であった。

いつもの如く外回りに出た物の本来のパフォーマンスが発揮出来ぬ為、売上は著しく伸び悩んでいた。                                     脈拍120、血圧150、熱が40度?近くもある、加えて排尿時の違和感…体調不良の原因は一体なんや?まさか、各曜日担当女史のいずれかより流行り病の伝染に至ってしまったのだろうか?俺は得体の知れぬ恐怖に人知れず怯えていた。  
コンビニ駐車場での昼休憩を終えて午後の顧客回りに出向いた矢先、俺は瞬間的なめまいに襲われ、気が付いたら信号待ちをしていた見ず知らずの車両の後方に追突していた。
あちゃー、やってもうたぁ、と絶望するも後の祭り。観念した俺は営業車を路肩に停めて、事故相手の車両へと歩み寄った。                         車体後方が微妙に凹んでしまった橙色の軽自動車の運転席から、細身で長身の二十歳前後と思われるいかにもチャラそうな遊び人風の若い男が、俺をどやしつけながら降りて来た。                         「お前なぁ、なにすんねん!どあほ!!」                         「すんまへん、大丈夫でっか?」                              俺は平身低頭で事故相手の若い男に謝罪した。が、その瞬間とんでもない光景を目の当たりにして愕然とした。橙色の軽自動車の助手席から水商売風のケバい出で立ちの若い女が降りてきたのだが、なんとその女は土曜日担当・佐々木マイだった。マイも俺に気付いたのか、目を丸くして俺を凝視していた。                                   「なんでマイがそこにおんねん?」「フユピーやん、どないしたん?」  若い男は俺とマイの関係に困惑していた。                            「へ?お前ら知り合いなん?どう云う事?」

目の前に現れたマイの姿は、俺が認識しているマイの姿とは著しくかけ離れていた。第一、今は金曜日の午後1時前後である。そんな時間帯に一般企業に勤めるOLがなぜに水商売風の派手な装いで、俺が知り得ぬ男が運転する車の助手席におるんや?お前こそ一体なにしてんねん?俺の脳内にはマイに対する疑念が駆け巡っていた。マイは見られてはならぬ物を見られた事による背徳感を滲ませた表情で男に弁明していた。                     「あ…あのね、この人地元の同級生やねん。めっちゃ久しぶりに会うたからびっくりしてん。な?そやろ?」                             おいおい、それってなんか俺ら今ここで何年ぶりかに再会した間柄で、交際しているなど微塵もございませぬわっちゅう事か?                          俺は自尊心を著しく損なわれ甚だ立腹したのでマイとの関係をこの男に洗いざらいぶちまけてやろうかと思ったが、いや待てよ、ここは一つマイの虚偽の弁明に便乗した人物を演じる事でマイに貸しを作り、今後のマイとの関係を俺に有利になるように進めてやろうと閃いた。早い話が本件の貸しを餌にする事でマイに対して優位な立場になれると踏んだのだ。そう結論すると話は早い。俺は遠慮なく躊躇なく気兼ねなく、本日ただいまこの場所で実に10数年ぶりに同級生のマイに出くわした気の利かぬ田舎者でございますと名乗りを上げた。                                             「ああ、そやで。ほんま驚いたわ。こんな偶然ってあるんやねぇ。」                俺の機転を利かせたリアクションで、微妙に焦りを滲ませていたマイの表情に微かな安堵の笑みがこぼれた。俺は「してやったり」と胸の内で自画自賛していた。
さてここで俺とマイの茶番劇の犠牲となった橙色の軽自動車・オレンジマシーンのドライバーであるチャラ男くんは、俺らの虚偽の報告に納得したようで満面の笑みを浮かべたドヤ顔で以下のやり取りを展開していった。                       

「そうなんや。こんな事ってあるんやな。ほな、警察呼ぼか。」                「そやな。俺は会社に言わなあかんから、電話させてくれ。」                  マイは俺とチャラ男の迅速な対応を横でぼんやり眺めながら、どこか他人事のような振る舞いでスマホをいじったり、だらしなく大口を開いて大あくびをしたりと、終始緊張感を欠いていた。                                        マイは昔から周囲の空気を今一つ読み切れぬ極めて天然でマイペースな性質を持ち合わせている故に眼前の振る舞いも特段気にならなかったが、チャラ男は軽薄な見た目に似合わぬどこか神経質な側面があるようで、最前からのマイの挙動に著しく苛立ちを露わにしていた。                           俺はとりあえず直属の上司である波平に電話して事故の顛末を一部始終丁寧に報告した。器の小さい波平は案の定俺の失態をざまーみろと言わんばかりにむやみやたらと高圧的な対応で返してきた。                                 やがて兵庫県警のパトカーが事故現場に到着した。その時分には、どこからともなくうじゃうじゃ湧いてきた暇人達で形成された大勢のギャラリーが、オカマを掘った事故の張本人である外回り途中の営業マンの俺と、オカマを掘られて立腹しているチャラ男と、我関せずな態度でひたすらスマホをいじっているケバ女・マイの主要登場人物3名及び事故の被害車両である車体後方が微妙に凹んだオレンジマシーンを取り囲み、好き勝手な憶測を含んだ会話を交わしていた。                                     中にはスマホを俺らに向けて動画を撮りつつSNSに上げている不届きな輩も数名いた。奴らの傍若無人ぶりには甚だ呆れるばかりで、思わず「見せもんちゃうぞ、あほんだら!」と抗議の意を唱えそうになった。

中肉中背の警察官2名により事情聴取と現場検証は滞りなく進行していった。と同時にチャラ男の素性も明らかになった。本名・芥川スエキチ、21才、本籍・兵庫県三木市、現住所・神戸市長田区、独身、一人暮らし、F大学中退の無職で現在はパチプロで生計を立てている模様。デリヘルで人気嬢のマイと出逢い交際に至ったとの事。って、おい、どういう事や?マイは俺に対しても虚偽の報告をしていたのか…随分とナメられたものだ。いい面の皮である。                                   今回の一件で今まで俺が知り得てなかったマイの二面性が計らずも露呈した事により、マイに対する疑惑や疑念が新たに膨れ上がっていった。隠している事がまだまだ存在するのではと思わずにはいられなかった。                     俺とスエキチは示談を円滑に進めるべく互いの連絡先を交換した。そうしてマイとスエキチはオレンジマシーンに搭乗して何処へと走り去っていった。彼らと別れてから3時間程経過した頃にマイからLINEの着信があった。 「お疲れ様です。上手いこと話を合わせてくれてありがとうね。助かりました。スエピーって嫉妬深いから大変やねん。明日会うた時に詳しい事はお話します。事故ってもうて大変やけどお仕事頑張ってね。私もそろそろ出勤します。ほな、またね。」 
・・・スエキチもスエピーと呼ばれてるんや・・しょーもない感想は置いといて、俺は急いで帰社した。
                                        「おう、九条よぉ、やってもうたなぁ…部長には俺から報告いれとるから、はよ始末書提出せぇ。然るべき処分が下ると思うから覚悟しとけよ。」    波平は開口一番、俺に向けて言いたい放題苦言を呈してきた。その表情はどこか勝ち誇ったように口角が上がっていたので、俺はすこぶる気分を害していた。                                            始末書作成に集中していた余り定時を超過していた事に気付かなかった為、心配したユミが俺の部署を訪れた。                           「フユヒコくん、大丈夫?事故ったんやね。怪我はなかった?」                ユミは大きな丸い瞳をうるうるさせて俺の顔を覗き込んできた。いつもならそのあざとい振る舞いが少々鬱陶しく感じられる瞬間もあるのだが、今日に限っては不運の連続で疲弊し憔悴している俺のメンタルに救いを差し伸べてくれる天使か女神のように感じられた。                             俺は思わずユミの手を引っ張って最寄の給湯室へとなだれ込んだ。                「あかん、辛抱たまらん。ユミ、やらせてくれ!」                          俺は欲望の湧き上がるままに、狭い給湯室内でユミに壁ドンして強引に唇を重ねていた。ユミはされるがままに俺に身体を預けてのけ反っていた。                                       「どうしたん?最近のフユヒコくん…何か悩みでもあるん?」                   図星やった。今の俺は明らかに病んでいる。病み過ぎて脳内の起爆装置がカウントダウンを始めていた。                                  もはや後は野となれ山となれと言わんばかりにヤケクソになった俺は、ユミを社内の多目的トイレに引きずり込んで、思う様ユミを犯していた。           ユミは今までにない異常なシチュエーションに激しく興奮していた。

夜も更けて社内に残っている人は殆どいなかった。                       俺とユミは多目的トイレでの行為を終えて退勤した。                       「フユヒコくん、かなり疲れてるみたい。今日は帰ってしっかり寝てね。」ユミに促された俺は、ユミと別れて一人で帰路に就いた。 
日中の残暑はまだまだ続いているが夜はぐっと気温が下がって、ひんやりした秋の空気が火照った身体と五臓六腑に深く沁み渡っていった。                  

事件は起こった。                                          自宅マンション手前の路上で、俺は複数人の暴漢に襲撃された。                     ふいに後方から角棒のような物で全身を情け容赦なく殴打され、抵抗できぬままその場に倒れ込んだ。                                                            俺の脳内ではレッドツェッペリンの『天国への階段』の前奏が流れていた。                           俺の意識は天国への階段を一段づつ登っていった。

                   つづく

                      


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