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ネガティブな情報からはひたすら逃げた方が正解かも

Xで社会的弱者関連ポストを結構見かける。
「メンタルはいきなり壊れる」とか
「無理をすると取り返しがつかなくなる」
とか。

僕も弱者か強者で判断するなら弱者なので、共感できることもあり、いいねするのだが、SNSの機能で、弱者関連ばっかの投稿がオススメされる。
「死にたい」
「今日死にます」
「社会に報いを」
みたいな投稿見ると具合悪くなる。

自分と同じ弱者側の人間がするポストのはずなんだけど、気持ちに差がある。

僕は現在ネガティブじゃない。 
でもそんな投稿を見てたら、僕までネガティブになってくる。

ネガティブな意見、情報で、役に立ったり、自分のためになるものもあるのかもしれない。
ただ、見分けがつかない。
メンヘラの死ぬ死ぬポストと、専門家の口苦薬ポストは同じに見える。
 
逆に自分の弱者性を肯定するポストも役に立たない。
悪い気もしないんだけど…。


どんな意見を参考にすればいいのか分からない。何が役に立つのかも分からん。

少なくとも、Xの死ぬ死ぬポストは役に立たないし、不快だ。非表示にする。
これが正しい行動なのかは分からないけど。

不快だから役に立たないというのも一概には言えなそうだから困ってる。

そもそもSNSって自己満足だよなどのみち。



全てを受け入れた結果

そういえば《不快だがおそらく役に立つのだろう情報、意見》を受け入れた過去があったことを思い出した。

結果どうなかったか?


メンタルが壊れた


で、やる気もなくなった。


そして全てを諦めたダメ人間が生まれた。


 他者からの情報や助言は正しかったのかもしれないし、自分の解釈も正しかったのかもしれない。

しかし皮肉なことに、それが自分の可能性を狭めてしまった。

だから否定的な情報は、なるべく遮断するのがいいのかもしれない。
どのみち人生自己満足だから、どうせなら楽しい思い出を増やしたい。
ストイックに生きなきゃいけないっていうのも、他の誰かが決めたこと。

自分のことは自分で決める。自分の行動も自分で戒める。


だって池田大作も細木数子もジャニー喜多川も、周りから何も言われずに成功したまま一生を全うしたんだぜ?

権力という歪んだ力が、正しさもねじ曲げたのだ。

で、死んでからあーだこーだ。

世間なんてそんなもん。

因果応報が存在するなら、生きてるうちにめちゃくちゃ苦しんでも良かったし、もっと早死にしても良かったと思うね。
とくに細木数子さんは。
人を散々地獄に落ちると脅迫して、自分はちゃっかり大金を儲けて私腹を肥やし、自然死。



だから僕の現実逃避も、正しさをねじ曲げたとてバチは当たらないはず。
人生の全うに正しさはいらないから、なんの問題もない。
それは前述した人たちが証明してくれてる。

自分にとって毒になる情報は無視するのがいい。

牛丼を食べる時、屠殺現場を思い浮かべていいことあるか?牛丼がマズくなるだけさ。


 PS.

かつては僕も「成長のためだ」と思い、興味のない情報も、苦手だと感じるクリエイターの投稿も見ていた。
「能登半島地震は人工地震だ!」とか「ワクチンは毒だ!」とか。


その結果____


全然役に立たない…。


よく、良薬は口に苦しとか耳に痛いことを言う人は大事にしようとか聞くから、それを信じて実践するわけ。

努力と苦労の違いみたいなもんだろう。

自分にとって苦しく感じる事が役に立つわけじゃない。
むしろ毒なのかもしれない。

そして自分にとって不都合な情報を遮断した結果、皮肉にも精神が安定するという事例もありそうだし☝ 

正当化

いっそ不快な情報からはひたすら逃げて、自尊心だけは守るのがいいのかもしれません。不都合からはひたすら逃げて、現実から目を逸らし、自分を正当化する。

どうせ地獄に等しい世界を生きるなら、少しでも苦痛は減らした方が良い。
自分から望んで生まれたわけでもないし。

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