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幸せは絶対評価


生まれつき両腕がなく、足の骨の変形など、重度の身体障がいを持っています。高校卒業後、名寄市役所に就職。足の指を使って、仕事をこなします。

不幸だと思った。

僕がこうなったら絶望する。
ゲームもスマホも自慰も満足にできん。


仮に自分以外の人間がこうなったら、皆僕より不幸に見える。

じゃあそうなって実際のところ僕が世界一幸せなのかといったら分からない。

両腕を失っても、五体満足の僕より幸せを感じている人はいるかもしれない。幸せは可視化できないし、真に比べようがないから分かんないけど。


でも僕の幸福度は変わらないとして…。幸せかどうかも分からない。

少なくとも現状僕は満たされていない。
 
孤独だし。


傍から見たらでの幸せ定義で仮定しよう。

芸能人は世界一幸せそうだ。
金も名誉も人脈もある。


でも自殺する芸能人がいる。


最初に書いた定義で言ったら、乙武弘匡は自殺してないとおかしい。傍から見たらめちゃくちゃ不幸。
絶対ああなりたくない。

傍から見た幸福定義って、間違ってるのかもしれない。

価値は相対的だが、幸せは絶対的。

他者の幸せ不幸せを、自分のものさしで測ってはいけないのかも。



別の考え方

最初から無かったから感じる不幸度は低かったのかも。
乙武弘匡も今村柚月も、生まれつき五体不満足だった。

ならば後天的に、事故などで失ったなら?

僕は成人時に知的障害が発覚したのだが、生まれた時から発覚した世界線とでは、幸福度に差が出たのかもしれない。


後に発覚した今の世界線だと、受け入れるのに時間がかかったというか、失った感覚がある。人生が減点方式になったということ。


自分の信じてきた、過ごしてきた世界がフィクションみたいな感覚だ。

最初から気づいていれば、加点方式になっていたかもしれない。


芸能人が不幸なのは、得るものが多い分、反動で失うものも多いから。
美貌、金、人脈、地位。
盛者必衰、栄枯盛衰、会者定離。
全ていずれ手放さなければいけない定め。
だからその恐怖で死ぬんじゃねえかな?と思う。


失うのが怖い


僕もそんな莫大な富とか、評価とか、人脈とか手に入れたことないから分かんないけど、ゲームでちょっと連勝しただけで、負けるのが怖くなる経験はある。
それの増幅バージョンでしょ?やばい。

まあ真の理由は本人たちにしか分かんないんだけどね。
全然違う理由で自殺してる可能性も充分あるし、そもそも不幸だから自殺してるかどうかすらも分からん。

確かなのは、同じ状態でも、最初から無いより後から失う方が不幸を感じるということ。

真の絶望は希望から生まれる

ベイン/ダークナイトライジング


そしてその落差が大きければ大きいほど不幸度は増す。
落ちた先が地面なのは変わらなくとも、落下し始める地点が上であればあるほど落下ダメージは大きい。


僕は健常者の幸せを味わってから障害者になった。
どうせなら最初から障害者がよかったな。あとあんまり友も金も得たくなかった。


日本人に生まれたのは全世界の幸福度としては上の方。
でも日本人でも自殺している。この理屈だと貧困国で生まれた人間は全員不幸だから、全員自殺してなきゃおかしい。

幸せは待遇や環境では決まらない。
人とも本来比べられないハズ。


他者と比べてばかりいる人

欲望の興味が自分の内面に向いてない。周りばっかり見てる。だから自分が何を求めてるのかも分からない。他人の願望が自分の願望とゴッチャになって、本当の自分が何を望んでるのかも分からない。

他者と比べて得る幸せは、偽りの幸せ。幸せだと勘違いしているだけ。

矢印を自分に向ければ、本当の幸せが見えてくる。

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