「だから」の因果関係

「アスペルガーだから空気が読めない」
「高学歴だから仕事ができる」
「努力してたから結果が出た」
「性格が悪いから顔も悪くなる」


因果関係や属性の結び付けを間違うこともあるだろう。
「高学歴だから仕事できる」というのも必ずではない。
東大卒で要領が悪い人もいる。

僕は学歴は人間性に比例すると思っていた。
しかし早稲田のスーパーフリー事件でそうでもないと知った。

卵が先か鶏が先か

アスペルガー認定というのも、先にアスペルガーという診断が付くのではなく、不適応や変な行動をするからカテゴライズされるわけで。だから、要はそのレッテルやカテゴライズには意味がない。鳥を見て「あれは鳥ですよね」と確認し合っているだけというか。

 診断やカテゴライズというのは後付け。《オタク》などもそう。状態としては最初からあったが、周りの人間が共通点を見出し、カテゴライズし、オタクというレッテルを貼った。最近だと《チー牛》という名称になっているのだろうか。

同じく「チー牛だからキモい」のではなく「キモいからチー牛」という順序関係なのだ。卵が先か鶏が先かという問題において、レッテル問題には答えがある。状態が先にあり、名称は後から。「〜だから」というのは、最初に状態があるだけ。

そしてそのレッテルやカテゴライズの基準は時代によって変わる。
アスペルガー症候群も、元々は自閉症とされており、定義が狭かったが、今は連続体スペクトラムとして扱われている。
チー牛というのも今は《キモくてメガネ掛けてガリガリのアデノイド骨格》と定義付けられているが、この先変わる可能性があるのだ。名称も変わるかも。豚丼おじさん…ブタおじ、とかになる可能性も全然あり得る。


話を戻す。
「〜だから〇〇」というのは、合っていれば良いのだが、人間は間違った思い込みをする生き物だ。たまたまその個体がそうだっただけであるとか、たまたまその環境でそうだっただけという可能性がある。
「大谷翔平は日本人だから、日本人はみんな大谷翔平のような身体能力がある」というような価値観は間違った思い込みだろう。
実際海外では日本人は勤勉という偏見が一部ではあるらしい。
「日本人だから勤勉」ということだが、これも全員が全員じゃない。怠惰な個体もいる。

人間は属性が複雑に組み合わさっているわけで、1つのカテゴライズでは説明できない。

《日本人》の《男》かつ《血液型B型》で、《ゲーム》が好きな《オタク》。《野球が好き》な《野球オタク》。
《ラーメン好き》。《身長170センチ未満》であり、《東大卒》。《仕事ができない》ことに悩んでいる…。

この例でもう様々な属性が付いている。

《仕事ができない》というレッテル1つとっても、個体による。壊滅的に仕事ができない個体もいれば、微妙に仕事ができない程度の個体もいる。
《身長170センチ未満》といっても、169センチの人間もいれば、150センチの人もいる。
《オタク》といってもめちゃくちゃお金を使い込んでのめり込む個体もいれば、あまり使わない個体もいる。
《ラーメン好き》といっても、たまに食べるだけの個体もいれば、毎日食べる個体もいるわけで。
《東大卒》といってもピンキリらしく、林修曰く「東京大学にも格差があり、ピラミッドのようになっている。頂点と底辺では天と地の差がある」とのこと。
確かに同じ東大卒入学に至った過程も違う。《一浪》《八浪》《独学》《塾通い》《裏口入学》といった属性も様々あるだろうし。

つまり個体によるのだ。集団では一括りにはできない。
無理やり一括りにしようとするから、間違ったレッテルに繋がる。《早稲田卒》というのも数ある内の属性の1つに過ぎない。
スーパーフリー事件の加害者の個体は、そこに《倫理観の欠如》《前科持ち》という属性が独自に付いた。
同じ《早稲田卒》の属性を持っている早見沙織は《声優》《アイムエンタープライズ所属》という属性が独自に付いた。《前科持ち》の属性は無い。
タモリは《早稲田卒》の他に《お笑い芸人》という独自のレッテルが付いた。《声優》の属性は無いはず。
言葉で縛るから、同じように錯覚するが、実は違う。
単語1つで全て表せるほど、人間1人1人の個体は単純じゃないと思う。

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