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人間万事塞翁が馬レジ

マックスバリュに行った際、会計はなるべく列が少ないレジを選ぶだろう。

しかしだからといってそちらの方が早く自分の番になるとは限らない。
次の番まで順調でも、前の客がチャージやら現金不足やらで手間取ると、別の列が長かったレジの方が結果的に早かった…なんていう事態になる事態が非常に多い。 
予想は不可能だ。顔見知りでもない限り、前の客の残高やチャージ不足なんて分からない。いや顔見知りでもチャージ状況や現金の過不足なんてその都度変わる。予想は不可能なのだ。
僕はこれを人間万事塞翁が馬レジと呼んでいる。

「人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじさいおうがうま」と読み、人生の幸不幸は予測が難しいことを意味するたとえです。一見、不幸せに思ったことが幸せに転じたり、その逆だったりすることがあるので、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないという意味です。

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人生も同じだ。
誰が見てもひと目で順調に行きそうな能力の人。その人が立てる人生計画。非の打ち所の無いように見えても、進んでいくと思いもよらない場面で計画に狂いが発生する…なんてコトが起きる。
岡田有希子や中森明菜のように、華やかな芸能界デビューが出来ても、スターがゆえ不幸になったり、結婚もして子供もいた松田聖子も、30年後その子供を失ってしまうという悲劇に見舞われた。
これは子供がいなければ味わうことのなかった苦しみである。まさに人間万事塞翁が馬。
その他、三浦春馬や竹内結子、りゅうちぇるや上島竜兵といった人間が、華々しい芸能界で出世をしたことでかえって苦しんだという皮肉がある。

芸能人だけの話ではない。我々庶民にも言える免許を取れても事故を起こしたり、結婚してもDVや性格の不一致で離婚したり、妊娠しても流産したり、最悪母子共に亡くなるなんてこともある。無事産まれても障害児になったり、犯罪者になったりしてしまうなど、落とし穴はたくさんある。
得ると失う余地が増えるので、苦しみが増すということなのだろう。
最初から孤独ならば、孤独死の心配をする苦しみはないだろう。なぜ孤独死が怖いかというと、今までは人に恵まれていたからだ。孤独死を恐れる人は《人間関係を得ていた》過去があるのだ。

逆にレジでいうと誰が見ても長い列で時間がかかりそう、人生でいうとあまり良い人生になる予想ができない人が、予想に反して大成功したりするなんてこともある。
仮に大成しなくても、失う恐怖に苛まれる人生にはならない。
老いを恐れる理由は、身体が思うように動かなくなるということと、美貌が失われるというところだ。
元々不細工なら、老いる恐怖や若さへの執着も半減するだろう。
そして元々評価されるような人間でないなら、人の期待というプレッシャーを感じる必要もない。
人から幻滅されるのが怖くなるが、幻滅の前には必ず期待というテストがある。
このテストが非常にストレスなのだ。
期待に応えることが出来れば恩恵が継続する。悪く言うと現状維持。
しかし期待を裏切ると幻滅されるので恩恵が無くなる。期待されることと、応えることが当たり前になると、人生が減点方式になるのだ。
しかし最初から期待されていないと他者からの評価も自分が感じる人生の質も加点方式になる。
ゲインロス効果だ。

人生に期待しなければ、常に加点方式でいられる。足るを知るのだ。

起こったことに一喜一憂しないようにしたい。
人生に幸不幸という白黒したジャッジもつけられないのかもしれないが。


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