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ゲームが観戦競技にならない理由

鉄拳8が発売直前ですね。
僕は検討中です。

最後の7大会がやっているが、これを観て僕はつくづくゲームは観戦ものとしては向かないなと思う。

何をやってる?

サッカーとか野球なら、ファインプレーが分かりやすい。
ホームラン入ったとか、シュート入ったとかでわかりやすい。
しかしゲームはファインプレーをしていても、そのゲームに詳しい人でないと分からない。
ゲームで最も有名なファインプレーとして、梅原大吾氏の《背水の逆転劇》がある。しかしあれも会場の歓声で「なんかすごいことやってんだろうな」と分かるだけで、歓声が無ければ全く凄さが分からない。
背水の逆転劇は、ブロッキングという技術を使っている。これは《捌き》だ。
体力が微量であるため、ガードすると削られて死ぬのだ。だから捌いているのだが、そのタイミングが難しい…という過ごさなのだが、そもそも削りで死ぬというシステムも、ストリートファイター3をやっていない人は分からない。ブロッキングの難しさも分からない。
だから過ごさがよく分からないのだ。そんなものを観戦していてもよく分からない。

将棋とか囲碁とかもそうだと思う。どういう状況が王手になったとか、二歩とかも分かりづらいだろう。オセロとかトランプのババ抜きならまだ見る人いると思う。

強いて言うなら体力ゲージの減りで有利不利が分かるぐらいだ。
競技者本人からしてみると、感覚が麻痺していて、大多数の世界観とは合わない。
フレームが一般常識だと思っている人がザラにいるぐらいだし。

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