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生きてるだけで有難い

忘れがちだが、生きているだけで不自然なことだ。
本当に何もしないと餓死するのだから。

しかし人間は常に有る事を忘れがちだ。
食べ物が有る事…仕事がある事…家族がいる事…。
当たり前ではないが、有るうちは有難みに気付かない。
失って初めて気付く。

ただ人間は《有るもの》ではなく《無いもの》に目が行く。

しかしそれが人間の本能なのだろう。その欲深さこそが文明や技術を発展させてきたのもまた事実である。
楽に速く移動をしたいから自動車を作る。楽に効率よく家事をしたいから家電を作る。

洗濯機やスマホが壊れた時を想定した事があるだろうか?
家族や友人が死んだ時を想定した事はあるだろうか?
自分の目が見えなくなった時を想定した事があるだろうか?

大抵の人は「もっと性能の良いスマホが欲しい」とか「新しい人脈を築きたい」とか、新たなるものを得ようとする。
悪くはない。良い悪いではないが、生きているだけで不自然な状態であることは認めよう。そしてそのうえで何をするか?なのだ。
生きていること以外は全てオマケという認識は持たなければならない。
最新のiPhoneを所有するのも、ディズニーランドに行くのも、SNSでのいいねも、ゲームも恋人もテレビもブランド物も、自動車免許や学歴、仕事ですらも全部オマケなのだ。

ただ生きているだけではつまらないから無理やり意味付けをしているだけ。

この《生きている以外オマケ》の考えだと、執着や、失った時の喪失感が確実に減る。オプションが無くなっただけなのだから。
生きていることに大して差は無い。違いはオプションだ。蕎麦がトッピングでバターチャーシューラーメンになったくらいだ。どちらでも腹が満たせて生命維持ができることに変わりがないなら問題はなかろう。

ちなみに努力もオマケだ。
食べ物を探す努力ならば生命維持のための最低限努力だろうが、SNSでいいねを稼ぐための努力はオプションでしかない。iPhone 14 Pro Maxを買う努力もオプションだ。
LINEさえ出来ればいいなら中国製のAndroidモドキでいいただろう。

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