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自分勝手過ぎる猿

負けると文句を言うくせに、勝つと何も言わない。
そういう人は社会制度にも文句を垂れる。

資本主義は勝ち負けがある。
所得格差、恋愛格差、能力格差などだ。
文句を言う人は決まってこれらに恵まれなかった人だ。
親ガチャ、金持ちヘイト、美形性悪理論…。

自分を弱者として、強者たちは悪だと決めつけ、富のリソースを配分しろと主張する。弱者男性でいうところの《女をあてがえ論》だ。

ならば自分が何かがきっかけで強者側になったとしたら、同じようなことをいうのだろうか。いや、言わない。

ゲームでもよくある。
強いキャラがいたとして、その人はそれを使っていると。で、勝つ。勝ちまくる。
そういう人は「このゲーム最高!」という評価をする。
しかしその人が別の弱いキャラを使って勝てなくなると「ほんまクソゲーやな!」と主張しているのも見る。
自分が勝っていればそのゲームは神ゲーで、負けていればゴミゲーなのだ。
僕もXはエコーチェンバーとフィルターバブルで思想が偏るゴミアプリだと思っているが、それはいいねが無いからそう言っているだけで、例え身内からの評価だと分かっていても、いいねがたくさん貰えれば、神アプリ認定しているかもしれない。

これが資本主義というゲームそのまま置き変わって怒っている。
結局ゲーム全体を見ているのではなく、自分のことしか見れていない。
都合が良すぎる。
「自分は弱者だったけど、人生ってクソゲーだよな」という強者はあまりいない。
弱者の時は「ゴミゲー!」「強者悪!」。
強者の時は「神ゲー」「弱者は努力不足でしかない」のどっちかだ。

撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけ。
惨めな奴を笑っていいのは、惨めになる事を許容できる奴だけ。それが出来ないならただの自己中だ。
そんな自己中人間に、慈悲はいらない。
努力不足だろうが天性の才能だろうがなんだろうが、勝てば総取り負ければ受け入れが礼儀。

金持ちを貧乏にしても、貧乏人が金持ちにはならない

マーガレット・サッチャー


強者側で《資本主義ゴミゲー理論》を提唱して、弱者の味方をしているのは、マイケル・サンデルくらいしか知らない。

嫉妬は猿でもするらしい。他の猿ばかりがエサを貰っていると怒るのだ。

人間も生き物だから、エサを貰えなかった猿のようになるのだろう。

周りの奴は車持ってて女もいて幸せそうだ。
SNSで承認までされて不平等。格差社会。

ああ〜人生クソゲ〜〜!!

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