毒親の解毒
私は自分の父親の顔を知りません。
2歳の時に両親が離婚したらしく、それ以来、「厳しい」の意味をはき違えたような母に育てられました。
そんな、私にとって毒性強めだった母がこのたび、50年の親人生の中で初めて私の味方をしてくれました。
子どもの頃は、私の意見を聞いてもらえたことはなく、
「私が敷いたレールの上を歩け」と言っていた母。
締め付け、押さえつけ、支配することでしか母親の威厳を保てないとでも思っていたような母。
私にやりたいことがあっても、母に興味がなければやらせてもらえず。
逆に、私はやりたくなくても母の好みでいろんなことを強制的にやらされた子ども時代。
気づけば私は自分を守るために、母に隠し事をしたり嘘をつかないと、生きていけないようになっていました。
大げさではなく、私のすべてを否定してきた母。
なのに、私が何とか母を突破して何かをやり遂げたときには、自分の手柄のように人に自慢する。そんな母が嫌いでした。
大人になってその気持ちをぶつけたとき、「貧しい母子家庭の子だからと、ぐれないように厳しくするしかなかった」と言っていましたが。
ほんと、よくグレなかったと思います。
そんな母と私は、完全分離二世帯住居と言う形で、一つ屋根の下に暮らしています。
母の住居は一階の一部分。
我が家とは内扉で繋がってはいるものの、月に一度顔を合わせればよい方。
お互い避けながら生活をしていました。
この二世帯住宅に引っ越してきたのは18年前。
そのタイミングで、私は離婚問題を抱えていました。
はたから見たら、新築の新居への引っ越しは、とても幸せそうな家族に見えたことでしょう。それがまた私を辛くさせました。
「離婚したい」
母にそう話すと、母の第一声は。
「私はどうなるの!?」
でした。
怖い顔でそう言われると、今まで暮らしていた家を引き払ってもらって一緒に住み始めたところで、子どもは5歳と2歳。私一人で母の面倒を見る自信がなく、その時は私が我慢すれば… ということで事態を収めるしかありませんでした。
母は「子どもは親の面倒を見るために生まれてきた」と、平然と口に出すような人。私の人生は自分のものだと思っていたのでしょう。
そこからさらに数年後、やっぱり無理だと思い、また同じことを母に伝えると。
「私はどうなるのよ!?」
前回より強い口調で離婚を反対されました。
どんな時も自分のことしか考えられない。
母のことをますます嫌いになるしかありませんでした。
私も、母の今後の生活の面倒を見ますと言えるだけの力もなく。ただただ自分の置かれた環境を恨めしく思うだけ。私は一生こうやって不満を抱えて生きていくのかな… そんな風に諦めたこともありました。
今年、下の子が社会人になったことをきかっけに、私はまた離婚について考えるようになりました。
今が最適なタイミングな気がする。
そう思えたのは、離婚をしたいと考えたときに、今までこの生活をできたことに対して、夫に感謝の気持ちが湧いたからだと思います。
別れたい。そればかりだったのに、今なら別れることでお互い今後の人生がより良くなるようなそんな気がして。
次こそは母が何と言っても、私の思うようにしよう。
そう思いながら、決裂覚悟で母に3度目の「離婚したい」を、決定事項として「今度こそ本当に離婚します」と伝えたところ。
「今まで私のことや家のことで我慢させてきたことは分かってる。あんたがそれで幸せになるならそうしなさい。私のことは気にしなくていいから」
こう言ってくれました。
絶対反対されると思っていたので、戦闘態勢で話に臨んだのに拍子抜け。
反対されたら、「もうあなたのことは知りません」と言って、家を出る覚悟もしていたのに、です。
母は、今まであんたにはたくさん我慢をさせてきたと泣きました。
そうなると不思議なもので、何度も「私の人生の邪魔をする人」だと思っていた母に、優しくしようと気持ちが湧いてきました。
鏡の法則、というやつでしょうか。
この日以来、急に母と普通に話ができるようになりました。
月に1度程度しか顔を合せなかったのが、日に3度ほどお互いの家を行き来するように。
昨日なんて、プリンもらっちゃいましたよ。
私は、自分の親のことが嫌いな自分、というのが何よりのコンプレックスでした。人として、親が嫌いってどうなのよ? と思うけれどどうにもできずに苦しんできました。
私はこれから、お金ない老人の母の面倒を見なくてはいけませんが、たった一度こうして味方をしてくれただけで、「面倒見なくちゃ」から、「面倒見ますよ」に気持ちが変化しました。
面倒見させて、の境地にはまだほど遠いですけど。
親の心子知らず
この心親知らず
私は娘でもあり、子どもたちにとっては母親でもあります。
50歳、子どもが独立したという節目で今後の自分の人生を考えたとき。
今まで気づかなかったいろんなものが見えるようになってきた。
そんな風に感じています。
離婚については、娘もとても嬉しい言葉で応援をしてくれました。
娘はお父さんが大好きです。それなのに、です。
夫は、良い人だと思います。ただ、私たちは合わなかっただけ。
新しい道を選ぶことで、幸せになってほしいなと思います。
母と娘に応援された嬉しい気持ちで、アボカドを切っているところを動画にしてみました。
動画だけ見た人は、で? 何があったの? とモヤモヤするものなっていますが、こういうこと、でした。
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