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シナリオライターになろうとした話

古い話である。
半世紀以上も昔のことである。
当時私は獣医学科の1回生だった。
色んなことがやりたかった高校時代から、やっと獣医師を目指すことに決め獣医学科に入学した当時のことである。

ある日、教授の用事で日本獣医師会の事務所に書類を届けに行った。
事務所は青山の駅を降りてすぐの3階建ての建物だった。1階が日本獣医師会で2階に「シナリオ作家協会」の看板があった。

教授の用を早々に済ませて、2階のシナリオ作家協会を覗いてみた。
どうしてか…って?。
すごく興味があったから。
当時の私はミーハーで、なんにでも興味があった。
それに、高校時代の夢の1つが作家になることだったからでもある…。

ここで「新人シナリオ作家養成講座」受講生募集!のパンフレットを見つけた。講師陣には私の知ってる新藤兼人(※1)や倉本聰(※2)などの有名脚本家の名前もあった。

心が躍った。
『ぜひ受けてみたい!』
若い頃の私は、興味を持つと、後先考えず飛び込んで行ってしまう短絡的で無鉄砲なところがあった。後で辻褄合わせをすればいいことにして、その場で来季からの受講を申し込んだ。

一度決めた獣医の道を辞める気は毛頭なかった。
あわよくば、二足の草鞋を履こうという姑息な魂胆があったわけだ。

講義は新鮮で面白かった。
6ケ月の講義全体を通して私が学んだことは脚本家と言う仕事は、私の最初に持っていたイメージとはずいぶん違って、“作家”と言うより“職人”と言う感じだった。

当時私は何か伝えたいことがあった。
言葉で伝えても伝わらない何かを伝えたかった。
だからドラマと言う映像表現を借りて伝えたかった。
それが何だったか今は全く覚えていない。
多分若者にありがちな独りよがりの妄想だったんだろう。

2~3作のドラマを作ったことは覚えている。
それ以降、何か伝えたいという気持ちは失せてしまった。
多分、『私を理解して~』…という承認欲求の捌け口が欲しかったのかもしれない。

老婆心ながら言っておきたいことがある。
『私を理解して~』
『言葉を尽くせば必ず理解し合える』
などといった…他者の理解を期待する子供じみた欲求は無駄な努力に終わることが多い。

あいにく、言葉はそれを伝える道具ではない。
言葉は『どこそこに行くとイチゴがあるよ!』『あの丘の先にイノシシの群れが多くいるよ!』…といった具体的事象を伝えるための道具として進化したものだ。

感情や思想を伝えるにはいささか荷が重い。
それに、ヒトとは己の聞きたいことしか聞こえず、見たいものだけしか見えない動物だ。

己の作った妄想(世界)の監獄の中でしか生きられない動物だ。
全生物中最も愚かな動物と言える。
こんな動物間で真のコニュニケーションなど望むのはどだい無理な話。
私には犬とのコニュニケーションの方がよほど簡単に思える。



※1 新藤兼人
戦後の混乱期から高度成長期にかけての日本社会を鋭く切り取った作品で知られ、「裸の島」(1960年)や「楢山節考」(1983年)など、国内外で高く評価された作品を数多く手がけた。昭和40年代には、彼の作品の多くが社会的なテーマを反映した内容で、日本映画におけるリアリズムの流れを牽引していました。彼の脚本家としての才能は、映画だけでなく、テレビドラマにおいても影響を与え、多くの後進の脚本家に影響を与えた重要な人物です。


※2 倉本聰
『北の国から』は彼の代表作の一つとして広く知られています。このドラマは1981年から2002年にかけて放送され、数多くのスペシャルエピソードも制作されました。深い人間ドラマと美しい北海道の風景描写で多くの視聴者に愛され、日本のテレビドラマ史において特別な位置を占めています。倉本聰の作品は、人間関係の微妙な心理描写や家族の絆をテーマにした作品が多く、日本国内外で高く評価されています。


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