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己を守れ、バカになれ。その四

初めて利用者の死と遭遇した頃、
NHKで「お別れホスピタル」というドラマが始まっていた。もう完結したのだがつい先日録りためていた全4話をやっと見終わった。

末期や行き場のない患者が過ごす療養病棟の日々を綴ったドラマで、
見慣れた役者さんたち、それもみていて安心できる、力のあるかたたちに囲まれてヒロインの岸井ゆきのが彼らの演技に見事に応えた良作だったと思う。
なかなかにシビアな場面が連続していて見終わって重たいものが心に沈んでいくようだったが、まずは岸井演じる看護師の辺見が寒空のもと帰宅したとき自分に目を向けてくれていないと感じていた母親から「あんたすぐはなの頭赤くなる」という声をかけられたときの表情を見て私は心底ほっとした。
見ているよ、というメッセージさえ伝われば自分ももしかしたらメッセージをうけとった相手も少しばかりは救われるのかもしれない。
辛い日々を過ごす患者たちが理不尽を言ったり泣き叫んだりいろん形で自分を表現している。
そこで悪戦苦闘する看護師や介護士たちを見ていると確かに理不尽で恐怖と心の痛みと虚無感さえも感じる。
それでも条件反射的に病室へ飛んでいき、ともに泣き笑い、最後は予定調和もなにもない終末に立ち会う。
こっちを向いてほしい。
見ているよ。
この切実なやりとりを生から死への過程のなかで淡々と受け止め業務を続けているのをみているとそれがひいては逝く者へのリスペクトにつながってるように私には見えた。
あくまでもドラマだから演出は当然あるが「はい、ここまで」と線引きされる死の描写がリアルだからこそ見届けるものの視点が丁寧に描かれているように思えた。
それは哀しみの過程をいくつかの段階で分析するグリーフケアにも似て、職員たちが自らを救うための見えない手段になっているのかもしれない。

私が利用者との関係が切れたときまず思ったのは「なぜ、そうしなかったのか。できることがあったはずなのに。仲間や関係業者に何といわれようとも、必要以上に医師が介入することを避けていたとしてもアクションを起こすべきだった」ということだった。これまでもきちんと向き合わなかったことで後悔した別れがいくつもあったのに自分の学習能力のなさにほとほと嫌気がさした。
しかし本当は「かもしれない」世界線などありはしないのだ。
そのように後悔することもなにかができたとしてもそれは自己満足に過ぎない。
私は私がやらねばならないことを毎週丘の上のあの家を訪問してこなしただけなのだ。そして時間が経過しものごとが変化しただけなのだ。
それでもなお私の心のなかでは動揺が波のように寄せては返している。
このままだと立ち止まったまま、あるいは宙に浮いたまま劣化して風化してしまうような危機感に襲われている。
自分が壊れないようにするために私ならどうしなくてはならないのか。
そして性懲りもなく次の場所へ向かうためには?


ここまできてもまだ覚悟が決まらない。
決まらないまま次の利用者のもとへと
明日も仕事は待っている。





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