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こころのなまえ

朝の気分、考えること、体の状態。
カウントしたことはないのですが眠るまでにいったいいくつの変化があるのだろう?
仕事がしっくり完了したり、良い知らせが届いたり、他人や家族とうまくコミュニケーションをとれたり。
様々な正の状態、感情はもちろんいくつかあります。
しかしながら負の状態がことさら目立ってあるように感じ振り子のように感情がいったりきたり。しかもそれがあまり表に出ず心のなかでうごめいています。

それでもなんとか今は日々の暮らしを維持しています。

およそ16年前、娘の不登校に悩んでいたピークの時、心の振り子を自分でかわすことができず感情に振り回されて注意力も散漫、怪我をしたり外へ出れば他人の目が気になり心臓をつかまれるような焦燥感に苛まれていました。
このままではいけないと心療内科に駆け込み診察を受けたところ「双極性障害」などというおどろおどろしい病名を知らされました。
「以前はそううつ病などと言われていたんですよ。気分の浮き沈みがことさら激しいのです」とその医師は言いました。それから一年くらい通院しました。しかし毎回少し問診があり「お薬だしときますね」。
ただそれだけのことで改善に向けてのヒントは得られませんでした。
通院をやめて、というより医師より「大分落ち着いてきたみたいだから今月でとりあえず終わりにしましょう」といわれ薬も処方が終了。
なにか、狐につままれたような感覚でした。
本当に病名をつけられるほどの状態だったのか。ただ、自分がろくでもない弱々で甘々な人間だからなのか。
でもそういわれればそのことによるアクシデントなどは減ったような気がし、妙に納得したものでした。

ただ今はそういう心の有り様なのだなと漠然と理解しています。
そしてその振り回されることによるキモチの辛い状態を緩和するために
頭の回路のどこかを麻痺させる薬を飲むのだな、それも楽になるには大事なことのひとつなのだろう。
などと当時を振り返って思っています。

近頃やっと「今はそういうキモチなんだな」「明日になれば、いや何分か後にはまた違うキモチに塗りつぶされるんだろうな」などとおもえることが増えました。

長く生きていると案外自分の変遷と言うものを客観視できるときがあるのかもしれません。現在の日常を書いてみるのもアリですが、
過去を書いてみるのも良いかもと、おもっています。
今につながるなにかが見つかるような気もするし、ただの思い出話になるような気もしますが。


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