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素の感情でしか届かない想いがある


皆様も下記の表現を、一度は目にしたり耳にしたりしたことがあると思います。

「怒るのではなく叱る」

はい。

教育現場では盛んに言われています。

「感情で怒ってはいけない」と。

確かにそうだと思います。

私も16年間の教師生活で、感情的になって生徒と向き合うと、泥沼でしたね・・・。

怒りはしなくても、感情的に話すと水掛け論になりました。

そして、「叱る」もそうですが「諭す」という姿勢で臨むとうまくいくことが多かったです。

このように、「怒るのではなく叱る」という表現の的確さを身をもって知る私ですが、「怒る」ことが必要な場面があるということも身をもって経験しました。

そのことについて、以下に述べていきます。

瞬時のいじめ対応

それは私が小学校6年生の時のお話です。

小学生の時から教員をやっていたわけではありません。

はい。そんなことは百も御承知ですね^^、

失礼しました。

実は、その6年生の時の出来事が、教師として働いてる時に思い出されて以降、今も節目節目で思い出すのです。

それは、いじめに対する教師の対応場面です。

その教師を、M先生としておきましょう。

M先生は5年生の担任だったのですが、児童会役員をしていた私にとって児童会担当教師の一人であったM先生は親しみのある先生でした。

長身で眼鏡。スラムダンクに出てきたような・・・感じです。

口数は少なく、少々猫背でニコニコされている方でした。

ある日の放課後、児童会の仕事で分からないことがあったので5年生の教室へM先生を探しに行きました。

教室へ向かうM先生の姿を発見。

そして、M先生が自分の学級を除いて0.8秒後(多分・・・)、M先生の口から驚きの発言が!!!!!!!!

「おんどりゃーっ」

私は凍り付きました。

その時、「こおり鬼」選手権があれば優勝した自信があります!!

冗談はさておき、

顔を紅潮させ、こぶしはブルブル震えているM先生。

横で、恐怖にブルブル震える私。

さて、

「おんどりゃーっ」発言の前に私が見たのは、羽交い絞めにされた一人の児童をびんたする二人の同級生の姿でした。

M先生もその様子を見たのです。

0.8秒で・・・「おんどりゃーっ」と。

先生の言葉、表情、体から分かるのは、怒り、そして悲しみです。

「いじめは絶対に許されない」

「いじめは絶対に許さない」

「被害者も加害者も悲しすぎるだろ・・・・」

そんな気持ちだったのではないでしょうか。

当時の私は、「M先生が怒った」という認識しかできませんでしたが、教師になって、その時のM先生の心情を慮ることができました。

M先生は、その後、何をしたか。

被害者、加害者を大きな腕で抱き寄せました。

これこそ、教育的愛情だと思います。

いえ、「教育的」をとっても良いでしょう。

人としての愛情ではないでしょうか。

優しい言動だけが愛情表現ではありません。

人が道を踏み外しそうな時、心から指摘するために「怒る」ことができる。しかも瞬時に。

何の忖度もないその行動は尊いと思います。

当然、濫発はよくありません。

いつもいつも「怒る」ようでは、児童生徒はついてきませんし、イライラをぶつける怒りでは、しらけてしまいます。

M先生の怒りの感情は、今も私の脳裏に焼き付いています。

全員でいじめ犯罪をなくしましょう

「いじめは犯罪」と言われて久しいですが、悲しい事件が後を絶ちません。

事件です。児童生徒の命がいじめ犯罪で失われるのです。

学校だけではなく、教育委員会、いえ、社会全体でいじめを断たねばなりません。

また、本気で向き合う先生が非難されることはあってはなりません。

皆で、知恵を出し合い、すぐ行動する文化を醸成しましょう!!!




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