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不登校の始まりから受け入れるまで

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娘が3年生から学校を休むことを選んで、5年生になりホームスクールを選んだときのこと
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不登校の期間は、水面下で確実に、大きな成長を育んでいる。

現在6年生の娘は 進学のことを悩んでいました。 悩んでいたのは なんとなく感じていたけれど 話しかけるタイミングも 大切だと感じていたから そっと見守る時間も大切に。 けれど 本格的に動き出す必要のある リミットが近づいてきていたから それとなく それとなく そんな話を振っては 様子を見てくりかえしていました。 ある時から 生活習慣のととのえかたや 学習への取り組み方が ガラリと変わりました。 自分の考えていることも オープンに話すようになりました。 担任

HSCで不登校の子どもの心の中

娘が学校に行きたくないと 言い始めたとき 言葉では 伝わらないこともあるから その気持ちを 絵に描いてもらったことがあります。 娘から許可をもらったので こちらでシェアさせてもらいますね。 心の中が真っ黒小学校2年生の時に描いた絵で 同じクラスのお友だちの声が 響いて頭が痛くなったり 柔軟剤の香りで 体調が悪くなったり 娘が言われているわけじゃないけれど 荒々しい言葉が 矢のようになって 自分に刺さる感覚があると 言っていた頃です。 学校に行くと 重たい感じ

不登校といろんなバランス*今がしあわせならそれでよし♡

娘が本格的に学校に行かなくなって9ヶ月ほど。 休みがちになってからは、約2年。 やっとこ、 いろんなバランスがととのってきたような気がします。 わたし自身のバランス。 娘自身のバランス。 娘とわたしの生活のバランス。 家族のバランス。 学校とのバランス。 まわりの人たちとの関係のバランス。 自分の『今』の感情を大切にすると、これまであった枠組みがとても生きにくく感じることもあって、学校に行かないという娘の勇気は、たくさんのバランスを生む必要がありました。 今

学校に行かない選択をしている娘と過ごして感じたこと

我が家の繊細な娘は、 ココロの動きを感じながら、 トライアンドエラーを繰り返して、 今は学校に行かないことを選択しています。 勇気を出して行ってみて、 自分の感覚を確かめての結果。 不登校っていうと、 日本ではあまりいいイメージがない感じがするし、 なんだか重たいイメージを感じるのだけれど、 娘をみていると、 楽しそうだし、 しあわせそうだし、 学校に行けないんじゃなくて、 学校に行かないことを選んでいるんだなー、 そう感じています。 大人は体調

受けいれたら変わった、親のものの見かた

変化を受けいれてゆだねることは、 たくさんの心地よさや豊かさやしあわせを運んでくれる。 これが大丈夫という感覚につながったという話です。 不登校あるあるだと感じますが、 学校行事の参加をどう受け止めるのかということ。 昨日は学校の宿泊研修でしたが、 娘は参加しないことを選びました。 去年あたりまでは、運動会とか、学習発表会とか、遠足とか、 行事に参加するのだろうか、しないのだろうかと、 正直、 気になる気持ちもありましたが、 いろんな生き方があっていいと

不登校の娘の通知表、評価はもう気にしない

ホームスクール中の娘の前期分の通知表を最近受けとりました。 先生から受けとってきたよと娘に伝えると、見ることもなく、 もうそういう、評価とかね気にしないんだ。 だって学校行っていないしね。 みんなが『たいへんよい』何個だったとか言い合っているのが、 前から嫌だったし、 学校に行く回数が減るたびに、 『たいへんよい』が『よい』に変わっていって、 なんかもうね、どうでもいいって思うようになったよね。 と話していました。 今年はすべての項目が斜線になっていて、時々会う担任の

すべては鏡、自分の人生を生きること

最近、不登校の母を経験してよかったなって感じるんですよね。 不登校という現象の、ドラマの中にどっぷりと浸かっていたときは、つらさを感じるものだったけれど、目の前に起こっていることがすべて鏡として映し出してくれていること。 そうやって俯瞰し続けてものごとをみることができるようになったとき、くるしさが次々と癒しと学びに変わっていく。 深いところで腑に落ちていく感覚がありました。 わたしの学びは、自分を大切にすること、自分の人生を生きることに尽きます。『自分を大切にすること

不登校の母を経験して感じた、気持ちと強くなったと感じること

分散登校が終わってから学校に行かないことを選択している娘ですが、 母であるわたしはわたしでいろんな感情の動きがありました。 学校に行かなくてもいい?と言い始めた頃、完全に受けいれることができるようになるまでが、しんどかったように感じます。 学校に行くことに期待があったときは、行くと言いつつ結局行かないことになって、落胆したりイライラしてみたり 笑 娘が家にいることで、仕事のあり方を見つめ直す必要がでてきたり、学習のサポートをしたり、わたしひとりだったら好きなときに食べる

分散登校が終わって、学校に行かないと選択した娘

分散登校が終了して通常の登校に戻ってからすぐに、学校に行くのをやめました。ひとクラス40人の環境で過ごすことはきつかったみたいで。 娘にしかわからない感覚だけれど、頭が痛くなったり気分が悪くなったり。分散登校中はそれほどでもなかった感覚も、また強くなってきたようでした。 学校が嫌いなわけではない、勉強だってしたい、ともだちとも遊びたい、でももうこれ以上苦しくなるのは嫌だと。 冗談交じりに、時々本気で、「あ〜学校辞めたい。」っていつも言っていましたね。 本気だったとして

不登校ぎみの娘にとっては過ごしやすい環境が今の環境じゃないと覚悟をもったとき

4年生の終わりから休校になってそのまま進級した5年生。 休校や分散登校があったりイレギュラーなときだったけれど、1つの教室に40人いた人数が半分になり、さらに机と机の間に距離ができたこと、長時間学校で過ごさなくてもいいことは、繊細さをもつ娘には少しだけ心地よさを感じる環境だったようです。 休みが続いていたあとの登校と、クラス替えがあり新しい人間関係がスタートする時。 いつもなら少し大変さを感じるときだけれど、『いつもよりも静かだから楽なの。』と話していて、帰ってきてからの元

不登校が始まった頃のわたしと夫との関係

娘が学校を休むようになって、どう過ごすことがベストなのかを夫と話すとき、お互いの考え方が違っていたので、いくら話をしてもわたしの中では何かこう平行線をたどっているような、そんな感覚がありました。 わたしは娘に休む時間が必要で、学校に行かなくてもしあわせになる道はいくつもあると深いところでは信じていたことと、なにより娘がそれを望んでいることを知っていたので、無理には行かなくてもいいと感じていました。 夫は勉強のことはどうにでもなるけれど、人間関係の学びをどうしていくのか、そ

不登校を受け入れるまで、わたしの気持ちをととのえるためにしていたこと

今のこの状況を完全に受けいれるまでいろいろとあって、はじめはなんとかなるでしょうと思って過ごしていたものも、わたしが創っていたここまでならOKという、壁というか設定というか。 それを越えたとき、大きく感情は揺らぐのですよね。 自分をととのえるために、いろんな方法を試していました。 1.瞑想放っておいたらいろんなことを考え出すので 笑 頭の中をリセットできるしリラックスしますしね。 もう何年も習慣にしていますが、両親の入退院の時期と重なったときには、思考が働きすぎていて

不登校中のママ友との距離感

わたしは常に連絡をとっているようなママ友はいなくて、お互いに必要なときに連絡をとりあうようなゆるい関係が多いです。 時間が合えばときどきお茶しに行ったり、会えば楽しく話をしたりしますが、積極的に何かを相談したりとか、そういう感じではないのかも。 娘が学校を休むようになると当然のようにクラスの子から、その子のママへ話が伝わることがあります。 買い物で偶然あったとき、参観日であったときに、心配して声をかけてくれたり、あえてそっとしていてくれることもあったり、周りにいるママた

娘の不登校であらわれた、わたしのインナーチャイルドと両親との関係

いろんな感情を、ジェットコースターのように味わっていた頃。学校を休んでいる娘とは関係のないようにみえるところから、感情を揺さぶられるような出来事が続いていました。 娘が学校に行っていないことは、わたしの両親にはしばらくの間伝えていませんでした。もともと過度に心配するところがあるので余計な心配をかけないという気持ちと、直接いろんなことを言ってくるわけではないけれど、繊細な娘もわたしも、離れていてもその心配を感じてしまうので、静かに時を過ごすため選んだことでした。 この頃に、