はじめに

 昨今の感染症流行による社会的混乱に伴い体調を崩した約2年間、多くのことを感じ考えてきました。このもやもやした社会に思いを抱えている人はきっといるはずだと思いながら、自分の安全な領域から出られずにいました。それでも私の思いに共感してくださる方と直接会って話すことでますます私の夢は現実味を増してきました。やっと安全地帯から一歩踏み出した今日を励みにするために、私の夢についてお話します。まずは私について。
 私は滋賀県在住の看護師です。病院で数年働きながら自分の夢について日々考える中、感染症流行が始まりました。流行以前から看護師を始めとする医療従事者の働き方に疑問を持っていました。多くの看護師は24時間365日豊富な知識と高度な思考、技術に基づいた安全安心な看護の提供が求められます。それらを獲得するために、日々の目の前の患者さんへの看護のみならず、家族さんへの真摯な対応、多職種との連携、院内外での研修、自己学習、技術習得など多くの時間と努力を要します。私は看護師としてしか正社員として働いたことがないのでわかりませんが、看護師以外の友人や家族からはいつも忙しいね、大変だね、私にはできないと言われてきました。きっと他の医療以外のお仕事も大変でしょう(それは別の機会に)。私は急性期病院の集中ケア部門にいました。いつ患者さんに生死に関わるような異常が起きないかという緊迫感、患者さんや家族さんの気持ちや人生を想像して寄り添うことの大切さと難しさ、自分の看護の方向性と医師の治療方針との板挟みなど様々な苦悩を経験しました。人間が生きる上でとても大切な場に居合わせることが多かったです。 
 そんな毎日の中でひしひしと社会の問題を感じるようになっていました。少子高齢化、医療の高度化に伴う生死に関わる選択、世界的な感染症流行への対応、物資不足、生活習慣病への個人の捉え方、医療従事者の過酷な労働状況などなど。日々の業務に追われる中で積もり積もった疲労や違和感はコロナ禍の荷重労働により緊張の糸が切れるように、私の中から溢れてきてうつ状態になります。療養を始めて2年になります。発症当時は世界中の医療従事者が潰れてしまうのではないかと本気で心配していました。今では冷静に物事を考えられるようになりましたが、近いうちに日本の医療体制の崩壊する可能性があることは想像できます。何故なら少子高齢化による圧倒的な人材不足、医療の高度化による高度な人材育成の必要性、過酷な労働環境による離職、医療費の財政逼迫などのこれらの要因が挙げられます。こういう切実で悲観的な現状ばっかり考えて辛くなる日がずーっと続きました。しかし、これらの問題を医療従事者や福祉保育などの人間の生活に直接関わる職種だけではなく、社会全体で考えればもっと楽しくて継続的な対策ができるのでは、と考えるようにかりました。やっと夢の話になります。

 ひとつめの夢は看護を日常の生活レベルまで地域の中に持っていくことです。多くの看護師の就労先は患者さんを対象とした病院、施設、訪問看護などになります。私は親戚の中に医療従事者がいない中で看護師となり、日常的に家族の健康上の些細なことを話し合ったり、祖父母からの相談に乗ったりすることが嬉しかったです。少なからず家族も頼りにしていたのではと思っています。看護師は多くの知識や経験を持っています。コミュニケーションスキルも高いです。そして何より人と関わることが好きで良い意味でお節介な人もいます。そんなふうに地域にいつでも何でも話せる保健室の先生や図書館の司書さんみたいな人がいたらみんなもっと気楽になれるかなと考えたのです。家や学校職場以外の第三の居場所に看護師がいること。それは生活習慣病になるひとつ手前から一緒に食事や運動について考えたり、人間関係に悩んで孤独を覚えたときに少し話し相手になってもらったりといろんな可能性が広がるんじゃないかなと思っています。最終的には看護師や医療従事者以外の人に看護の視点を持ってもらいたいのです。看護の対象は全ての人間です。誰しもいつでも調子の悪い時はありますから。看護の担い手も全ての人間であると考えます。人は誰しも自分と大切な人の平穏と健康を願うのではないでしょうか。自分のこと、大切な人をどうやって大切にすればいいのか、それを誰かと一緒に考えて悩んで実践することが私は看護だと考えています。看護師はそういう看護の視点を導く人であってほしいのです。

ふたつめは誰もがなんの垣根も無く楽しく気楽に関われる、そして結果として助け合える場を作りたいということです。私にとって想像しやすい場を挙げます。地元の本屋さんでの書店員さんとの会話です。何気なくおすすめを聞いたら教えてくれて少し自分のことも話してみたり。そんな一時で私のうつな気分は和らぎましたね。よく目にする光景では田舎の喫茶店で常連さんと店員さんが体調の話や世間話をしているような空間です。そんな場が第三の居場所としてほしいんです。なにより私が。社会人になって仕事と家の往復になり、学生時代の友達は様々なライフイベントを迎える中で感染症流行で閉塞的な生活になりました。自分は社会に関わっているという実感は職場に行って同僚や患者さんと関わることでしか得られませんでした。自分が何に歓びを感じるのかもわからなくなりました。小さくてもいいから人と関われる公と私の中間地点が欲しかったんですね。私は本と音楽と古民家が好きなので、理想は古民家×本×音楽×看護×地域の場を作りたいですね。まあ何でも好きなもの入れちゃえってことで盛りだくさんで良いのです。そしてゆくゆくは困っている人弱っている人が無条件に助けを求められる一時的な避難所にしたいです。食事や寝床も簡易ながらもあるような。そしてまたその人たちがまた別の人を助けたいと思えるような空間にしたいです。

 長くなりましたが今のところの大きな夢は2つです。個人的な夢や希望は細々ありますが…。こういう夢って人に話すと反応がそれぞれで面白いんですね。すごいなーって感心しつつも無関心な人、共感してくれる人、応援してくれる人、無理は禁物だと忠告してくれる人がいます。少し前はいろんな反応に敏感になってこの夢は無謀なのかなと悩みました。でもnoteで小さな公共を目指して活動されてる方の記事を読んですごく勇気が出て今日noteを始めてみました。今日はお付き合いありがとうございました。みなさんどうか自分を大切に。


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