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幸せ博物館で「幸せ」探し

デンマークコペンハーゲンにあるHappiness Museum (幸せ博物館)。2020年7月に民間研究所Happiness Research Institute(CVR: 39680203)がオープンした小さな私設美術館で街中の半地下のスペースを手作り感たっぷりに展示スペースにしている。日本のメディアでも多々報道されているから(Greens, Ideas For Good)知っている人はいるかも。

どんなところ?

しあわせ博物館は、地理・政治・社会・文化・医学・歴史・哲学といった様々な視点から、幸福度やウェルビーイングについてレポートしている博物館だ。科学的な実験・研究結果などもあれば、インタビューによる定性的なレポートもあり、多くの世界各国の調査を集約して、わかりやすく可視化し、タンジブルにそして訪問者に参加を促す工夫が凝らされた展示をしている。詳細は、日本の記事(Greens, Ideas For Good)がとても詳しく解説しているので、そちらを参照していただくのがいいと思う。

期待しすぎちゃいけない

しあわせ博物館には「コペンハーゲンで1時間空いた」などの時にちょっとふらっと覗きに行くのがいい。期待値を高めすぎずにいくのが良い。たくさんの人たちが訪問していることもあるだろうが、ちょっと壊れていたり、機能していない展示物とかもあったりして残念なこともあった。何よりも、幸せ博物館で1時間過ごして学んでも、別に幸せになれるわけではない。心構え絵としてこれは忘れちゃいけない。ただ、その場に行って、幸せについて色んな視点を手にして、一緒に行った人とアレコレ話すことに大きな意味があるんだろう。

衝撃の「しあわせ」科学

Midlife Crisisの証拠:”先進国の男性は、47歳の時にもっとも低い幸せレベルである”

例えば、一緒に行った50代デンマーク人男子は、科学的に分析した結果「一番不幸せな時期」が先進国男性は47才(女性は41−42歳前後)である、ということに衝撃を受けて、その後3時間ぐらいその話をしていた。「子供が少し成長し、仕事も安定している時期なはずなのになぜだ?」と述べていて、女性が42歳ぐらいで一番幸せ度が下がるという記載にも、同様の反応をしていた。*ちなみに最も不幸せな時は、Uカーブの底辺で、その後幸せ度はアップする。

中年の危機(Midlife Crisis)」と名前が付けられているその時期は、自分を振り返ってみると納得がいったし、特に疑問にも思わなかった。結婚してしばらく経っているとか、子供の問題がちょっと種類を変えてきているとか、仕事もしばらく同じことをしていたら中弛みがありそうだなとか…、逆に危機に近くても不思議じゃないと思わされた。それよりも、これから私は上り調子か〜!とちょっと幸せな気分になった。同じ調査結果を見ても、全く違う反応が出てくることは面白い。

街をもっと幸せにするためにどうしたらいい?

個人的には、「幸せをもたらすまちづくり」の文脈で、「コペンハーゲンの幸せな街を体現する場所」のリスト中に、麻薬を安心して打つことのできる場所がリストにあがっていたことに衝撃を受けた。中毒になってしまった人たちを更生させる施設であると同時に、注射針の使い回しなどで病気になることがないように、無料で薬が提供される場所らしい。コペンハーゲンの一角にそんな場所があるということを聞いたことはあったし、麻薬中毒の自分でも「受け入れられている」「いていい場所がある」という感覚が、「幸せ」をもたらすという見解を否定はしないけれども、それが、コペンハーゲンを「幸せな街」にしている一要素とされているとは。
*追記:「ハイになる=幸せ」という意味ではなく、「人として受け入れられている」という意味合いなので、念の為。

"Injection Room: taking drags off from the street"

その他、幸せの重みはどこにあるかということで、教育や金など7個ほどの選択肢があり、何か幸せに最も寄与しているかを体感できる仕組みや、笑いが幸せをもたらすことそして笑いの連鎖を人工的に作り出してみた実験などもあった。出口で渡されたカードには、今から実践できる幸せ生活の行動指針が一覧にされていて、どれも、やってみたいと思わされたりもした。

人生に影響を与える要素。どれが一番重いのか?

アジア人の、そして日本人の幸せ

アリストテレスからキリスト教、現代のビジネスで使い尽くされてきた「しあわせ」表現まで、多様な「幸せ」哲学に関しての展示を閲覧していてふと気がついた。アジア人にとっての幸せの記述がない。招き猫や七福神のちょっとした説明があったりもしたけれども、結局、主に調査され言及されているのは、「欧米で模索されてきた幸せの姿」だ。

歴史上初めて幸せ研究をした人

中国の思想や儒教などでは幸せはどのように言及され、定義されてきたのか、仏教や神道では幸せはどのように捉えられていたのか、日本の現代の文脈では、幸せがどのようにプレゼンされてきたのか?全く違っていると言いたいわけではないが、やっぱり違うロジックがあってもいいような気がした。

アリストテレスの幸せ論やキリスト的な「天国での幸せ」は、学術的知見として理解はできるものの、何か足りないという感覚を拭い去ることはできなかった。欧米的思想に基づいた幸せ研究では、もしかしたら日本人である自分の幸せの感覚を説明することが難しいのかもしれない。日本人(アジア人)としての私の幸せの位置付けやルーツはどこに求めたらいいのか、どこにあるのだろうか?比較対象としてのアジア人にとっての幸せの調査は、絶対に必要だ。

幸せと言われて、私の頭をよぎるのは、若かりし明石家さんまが歌うキッコーマンの宣伝だったりする。

しあわせってなんだっけ、なんだっけ?ポン酢醤油のあるウチさ、ポン酢醤油はキッコーマン、ポン酢醤油はキッコーマン

キッコーマン

という歌を覚えている人はそれなりにいるんじゃないかと思うが、ここから見えるのは家族の団欒だ。お鍋を囲む日本の家族が80年代にどれぐらいいたかは定かじゃないが、それが目指す姿みたいに考えられていたんだろうか。幸せ博物館に展示されていた「妻の幸せ」を体現する50年代の米国の洗濯機の広告やマクドナルドのハッピーミールからみえる幸せは、やっぱりちょっと日本宣伝されてきた幸せとも違う気がした。

欧米は何を「幸せ」として定義してきたか?そして私たちは?

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