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週に一度はいらしていたのに 突然お見えにならなくなったお客さまのお話

週に一度、早めの夕方にご夫婦でご来店されるお客様がいらっしゃいました。
必ずシナモンたっぷりのカプチーノを2つ。
お持ち帰りの袋に入れます。
滞在時間は短いのですが、レジで会計し、ドリンクを作って袋に詰めるまでのその数分間
いつも笑顔でいろいろなお話をしてくださいました。
ジーパンにTシャツというラフなファッションをオシャレに着こなすスタイルのいい奥さま。
いつもくしゃっとした笑顔で、明るく挨拶してくださいました。
ご主人はとてもガッチリされていて、日に焼けたお顔に伸ばした髭がよくお似合いで
ラグビーかアメフトでもされているのかな?などといつも想像していました。
おしゃべりな奥さまと、口数は少なめだけれどかっこいいご主人さま。
また来るねー!と毎回笑顔で手を振ってくださいました。
ご夫婦が帰られてもしばらくはバーカウンターがシナモンの香りでいっぱい。
短いけれど明るく華やぐようなその時間が、毎週楽しみでした。

ところがある日ふと、しばらくお2人がいらしていないことに気づきました。
他のスタッフと、あのご夫婦最近いらっしゃらないね…と気にかけていました。
1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、お2人はおいでになりません。
何か粗相をしてしまったのだろうか…お気に障るようなことを言ってしまっただろうか…
待っても待っても、ご夫婦がご来店されることはありませんでした。

冬の夕暮れの訪問者

季節はホリデーシーズンになっていました。
ご夫婦をお見かけしなくなって、半年以上過ぎていました。
日没がすっかり早くなり、外がもう真っ暗になった夕方、店の扉が開きました。

「こんにちは…」
そっと店内に入っていらっしゃったのは、あのご夫婦の奥さまでした。
「お久しぶりです…!!」
驚きと喜びで仲間のスタッフが駆け寄ると、彼女はアッと小さく声を上げました。
奥さまの後ろに、人影がありました。ご主人でした。
とても痩せられて、どなたかすぐには分からないほどでした。

「どうされてるかなって、ずっとみんなで気にしてたんですよ…!」
1人のスタッフが涙声で言うと、奥さまが
「ごめんねぇ、心配してくれてありがとうねぇ。ちょっと病気しちゃって。長いこと入院してたのよ」
奥さまはいつものくしゃっとした笑顔で、明るくおっしゃいました。
ご主人は少し照れたような表情で、笑っていらっしゃいました。
わたしは、なんと表現していいかわからない感情で心の中が乱れてしまい
泣くのを堪えるのが精一杯で、何も言えずにいました。

仲間がいつものカプチーノを作り始めました。
お帰りになる前に、何か伝えなくちゃ…
わたしは、レジに置いてあるホリデーギフト用のカードを一枚引っ張り出しました。

“お客様はお客様でありながら
お客様以上の存在であることを
今日はっきりと実感しました。
お2人の笑顔にまたお会いできて幸せです。
このような感情を教えてくださって
心から感謝いたします。”

正確な文言は少し違うかもしれませんが、このようなメッセージを書いたと記憶しています。
お客様はお客様でありながら、お客様以上の存在である
これは、この日心底実感したことです。
お店で出会うすべてのお客さまが、お店を出たあとも幸せであってほしい。
日々そう願いながら働いているつもりでしたが
自分の思いが真実であることを、実感する出来事でした。

お客さまの笑顔が生きる力をくれること

お客さまがご来店されると、できる限りの真心をもって接客したいと思っています。
自分のできる最良を模索して日々勤務していますが
いつも実感することは、お客さまのためにと思って行動しても
結果としてお客さまの笑顔によって自分が生かされている、ということです。
ちょっとオシャレだな、コーヒー飲めるかな、そんな気持ちで働き始めたカフェの仕事は
いつしかわたしの、生きる意味になっていました。
お客さまが自分や仲間の接客によって笑顔になってくださること、喜んでくださること、ホッとしてくださることが
自分の心をしあわせでいっぱいにしてくれるのです。
カプチーノのご夫婦は、そのことを強く強く感じさせてくださった、大切なお客さまです。

その後お2人はお引っ越しされて、お会いすることはなくなりました。
お名前をお伺いすることもないままでしたが、今でもお顔を思い出します。
お元気でいてくださることを心から願っています。

お会いすることがなくなっても、ふと思い出されるお客さまの顔がたくさんあります。
お元気でいてくださいますように、笑っていてくださいますように。
そう思えるお顔がたくさんあることは、長年カフェで働いてきたわたしの、この上ないしあわせです。

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