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今一度学びなおし得られたもの


というわけで昨日はレッスンに出かけてきた。

『ライオンズゲートの日にレッスンにくるなんてさすがあっこちゃんだなぁ』
なんて先生に言われつつ…

宇宙新年の昨日、今年の私の課題が見えた。
うまく言えないが、壁っていうのは一度逃げても手を替え品を替え、同じ壁が現れるのだな。
壁を乗り_超えてまたひとつステージを上がれるようにがんばろう。

甘い線香の香りは今までも感じたことがある。
大学を卒業してアルバイトを始めたマツモトキヨシにも線香の香りは何度か漂った。(品出し中とか)
おばあちゃんも心配して来てくれたのかもしれない。

最近のレッスンでは昔やった曲を今一度勉強しなおしている。
今やっているのは『リゴレット』のアリア“慕わしい人の名は”
これは20歳のときに勉強して以来寝かせていたから(ものは言いよう)、15年ぶりにうたっている…!
当時は楽譜に書いてある音を出すので精一杯、音楽に振り落とされないように必死だった記憶しかない。

そんな記憶がこびりついていたので、もう一度うたい始める時は怖かった。
うたえなかったらどうしよう、できなくてイライラするあの感じをまた味わうのは嫌だ、そういう思いが頭を巡っていた。

それと同時にずっと耳にこびりついて忘れられなかった“慕わしい人の名は”の歌唱がある。
ハンガリー出身の歌手 アンドレア・ロストのものだ。
この曲を勉強していた当時、東京文化会館へソフィア国立歌劇場のリゴレットを観に行った。そこでジルダを演じていたのがアンドレア・ロストだったのだ。

ロストのジルダはひたすら可憐で素敵だった。色で例えるなら真白。
初恋の初々しさ、好きな人に出会ったときの胸のときめき、それを歌声でこんなにも表現できるのかと衝撃を受けた。
感動した私はその勢い収まらず、同じ会場で上演していたロストがデズデーモナ役を演じていたの『オテロ』のチケットを購入して観に行った。

私はあの感動をもう一度再現したかったのかもしれない。
今ならあの感動に自分の声で近づけるかもしれない。

✳︎

レッスンでは思ったよりも、するすると音楽が口から出てきた。
以前より身体にメロディーが寄り添ってくれていた感覚。
後半の音の動きが激しいところはさすがに体力不足だったけれど、先生から頂くアドバイスは当時のそれよりグッと踏み込んだものだった。

20の時よりいくらか成長できてたんだな。素直に嬉しかった。

『ホップ・ステップ・ジャンプみたいな感じでね、今のあなたぐらいの年齢で歌えてれば一生歌えるわよ。それが50歳ぐらいでもう一回来るんだけどね。そこも越えればもう一生。』

✳︎

うたでもピアノでもなんでも一度○をもらったからと言ってそれでおしまいではない。
むしろそこからがスタート。
譜面通りにうたうことのなんと難しいことよ。

同じ曲でも自分の状態、周りの環境、学ぶタイミングで全く違うことを得られる。
何度も繰り返して学ぶことの大切さを感じた。

どんなにかかっても、私も歌詞の行間をうめられる歌い手になりたい。


今日もくちびるに歌声を。

最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!