見出し画像

43歳 私らしいはたらき方に挑戦!

noteで#私らしいはたらき方 の企画が面白そうだったので、記事を書くことにしました。

テーマからして、読者の中心は10~30代の若い人が中心だと想像します。今年44歳になる僕が参加していいテーマなのか…という一抹の不安もありますが、人生100年時代。40代以上の人も、まだまだこれからのはたらき方を考えてもいいんじゃないかと思い、パソコンに向かっています。


はたらく=サラリーマンしかないと思っていた

僕の父は団塊の世代で、高度経済成長期に一つの会社で定年まで働いた勤め人です。

一方僕は、団塊ジュニア世代。大学卒業時は「就職超氷河期」でした。就職活動は困難を極め…ることはなく、第一希望として唯一応募した企業から早々に内定を得ることができました。実は超氷河期だと知ったのは入社式の日でした。

ごくごく普通のサラリーマン家庭に育った僕にとって「はたらく」とは、サラリーマンになることと同義でした。毎日通勤電車に乗り、会社に行って、仕事をして帰ってくる。土日は休みで、毎月決まったお給料が支払われる。それを定年まで続ける。と。

だから僕も、何の疑いもなく、学校を卒業したらサラリーマンになって、毎日電車で通勤し…となったわけです。

父と違うのは、30歳を前に転職をしたことです。「日本の福祉を変えたい」と息巻いて入社した最初の会社は、介護業界では民間で最大手の会社でした。大手なら規模の力で社会を変えられると考えたからです。

しかし、その考えは甘かった。大きな会社で大して仕事ができるわけでもない僕に、権限のある仕事は回ってきません。そこで、当時、介護が必要な高齢者の暮らしに新たな価値を提供するというメッセージに共感し、「ここなら自分の理想を実現できる」と高齢者住宅を運営する会社へと転職しました。もちろんサラリーマンとして。

入社時は創業間もなかったこともあり、この会社では現在まで様々な仕事や役割を経験させてもらっています。


会社の外の世界を知る

転職後、老人ホームの施設長となり、仕事の裁量が与えられるようになると、仕事を自ら調整して会社の外の人たちとのつながりを作る時間が取れるようになりました。

いろいろなコミュニティに参加し、介護医療業界の人たち、地域の人たちなど、知り合うことができました。

はたらく=サラリーマンと思ってずっと社会人をやってきましたが、ここで出会った人たちのはたらき方は、実に多種多様で自由でした。

独立して起業している人、本業ではデスクワーク中心の仕事をしながら、地域コミュニティの仕事をしている人、一つの業態に固定することなく複数の業種・業態で自由にはたらいている人など、本当に様々なはたらき方を目の当たりしました。

会社に勤めて給料をもらうことが「はたらく」ことで、自由なはたらき方ができるのは、ほんの一部の特別な人だと信じていた僕にとって、このような人たちとの出会いはカルチャーショックでした。

それと同時に、もしかしたら自分にもその可能性がある…?という気持ちが芽生えてきました。


僕は日本の福祉を変えたい

今は会社員として責任のある仕事を任され、生活するのに困らない程度の給料をもらっています。現状に対し、大きな不満はない状態です。

ただ、「日本の福祉を変えたい」という若かりし頃に抱いた野望の実現は、このサラリーマン生活の先にはないのではないか?という予感も強く感じています。

現在、日本人の約15%が75歳以上です。認知症のある人は全国の小学生の数と同じぐらいいます。障害のある人も人口の7%ぐらいいます。しかし、僕たちが日常生活をしている範囲には、その割合で高齢者や障がい者がいるでしょうか。

例えば、最寄り駅まで歩いたときに、小学生と同じぐらい認知症のある人を見かけますか?(もちろん認知症は見かけではわかりませんが)100人とすれ違ったら7人ぐらいの障がい者に会うでしょうか。

地域にもよると思いますが、特に都市部では、高齢者や認知症のある人、障がい者を見かけることはほとんどありません。ではその人たちはどこにいるのでしょう。「福祉」の名のもとに、認知症のある人、障がいのある人の多くは、地域社会とは隔離された”専門の場所”にいます。それは施設であったり、自宅であったり。

僕はこの人たちが”専門の場所”から出られる社会を実現したいと思っています。年を取って介護が必要になっても、障害があっても、本人が望めば、僕たちと同じように行きたいところに自由に行ける。やりたいことが自由にできる社会です。

日本の福祉を変えるために、僕に何ができるか

目指すゴールは明確です。

そしてそれを実現するための手段についての構想もあります。

僕は管理職として15年以上、介護現場のマネジメントを行ってきました。介護現場の管理職やリーダーの多くは、現場の介護職や事務職から昇格します。彼らの中には、リーダーになっても、マネジメントやリーダーシップについて学ぶ機会がなく、教えてくれる人も相談相手もいないという人がたくさんいます。僕も会社から”教えてもらう”機会はほとんどなかったため、本を読んだりセミナーに出たりして必死に学び、試行錯誤しながらマネジメントを身に着けてきました。

いいスタッフといいお客さまに恵まれた幸運もあり、数年かけて、心からお客さまに喜んでいただける高齢者施設を作り上げることができたと自負しています。


現場の介護職と管理職では役割が違います。介護の技術が高い、専門知識が豊富というだけでは良いリーダーにはなれません。(もちろんそれらは必要条件にはなります)それなのに、管理職あるいは管理職候補に対し、十分なマネジメント教育の機会がないというのが、日本の福祉の弱点です。

裏を返せば、福祉業界の管理職がマネジメントやリーダーシップを学び、その役割を果たせるようになれば、福祉業界全体の質は一気に向上するでしょう。業界の質が上がれば、福祉専門職から地域へ向けた発信や活動が増え、地域福祉の変革へとつながります。こうして日本の福祉を変えたいと考えています。

今までの経験を活かし、社会人人生の後半は、福祉業界の管理職育成に捧げたいと思っています。


サラリーマン一筋の人間が、40過ぎてはたらき方を変えられるのか

今年44歳。マンションのローンも残っています。子どもたちも養わなければならない。この状況で、今、新しいはたらき方へ踏み出していいのか。

ここが最大のネックになっています。

若いうちからサラリーマンとして着実にキャリアを築いてきた僕には、人生をかけたチャレンジの経験がありません。だから、「きっとうまくいくから大丈夫」というメッセージをもらっても、二の足を踏んでしまいます。

若いうちにもっと大きな挑戦の経験をしておけばよかったな。と思います。(この記事で唯一の若い人へ向けたメッセージ)

年齢が~。家族が~。というのは、挑戦をしないために僕自身が作り上げている言い訳なのかもしれません。でもやはり・・・と思ってしまうのです。


やりたいことをやるためには、大きく分けて3つのの選択肢を想定しています。

1.勤務先の会社に提案し、プロジェクトとして取り組む。または事業化する。

2.会社を辞めて独立起業する。

3.副業として、小さくスタートする。


一番リスクの少ないのは1です。会社員としての立場を維持しながら、やりたいことができるのは、いまの僕にとって一番都合のいいことです。ポイントは僕のやりたいことと、会社の方向性や利益と合致するかどうかでしょう。

最もチャレンジングなのは2です。独立起業がどれほど大変なのか、僕には実感がわきません。ただ、100%自分の思いで本当にやりたいことができるという意味では、最善の選択だと思います。

そして3。やりたいことが安定収入に到達するまで、生活費相当分を別の仕事でまかないながら、やりたい事業を成長させていく方法です。ただし、生活費相当分の収入を得るために費やす時間が多くなれば、事業の成長スピードが遅くなるというデメリットもあります。


最終的には自分で決断するしかありません。ただし、ギャンブルのような一か八かの決断はしたくない。「日本の福祉を変えたい」も「家族を守りたい」も両方やりたいことだからです。うまくいくことための戦略を考えるのは当然ですが、失敗しても本当に大事なものを失わない負け方をすることも、この年代の挑戦には必要な要素だと思います。


画像1


この話。身近な人に話したり、相談したりしたことはありましたが、公に出したのはこのnoteがはじめてです。表に出した以上、覚悟を決めて挑戦の道を歩いていきます。

このnoteが同年代の人たちに、ほんの少しでも勇気を与えられたならうれしいです。そして、そういうあなたを僕は応援します。

続報もnoteで届けていきますので、よろしければフォローお願いします。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。


立崎直樹

サポートいただいたお金は、介護医療現場で奮闘するスタッフの育成のための活動資金に全額充てさせていただきます。 サポートを通して、次代の介護スタッフの育成に参加しませんか。