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悪口や批判との向き合い方 〜人それぞれの幸せの形〜

人に言われた理不尽な批判や嫌み、陰口や悪口、

このようなことで悩んでいる方々へ

いつも誰かの、陰口や悪口を言っている不幸そうな人や

なぜか上から目線で批判してくるちょっと偉そうな人っていますよね・・・


本当に誰かのためを思って言っていたり、誰かのためになっていれば、

まだ理解できるんですが、理由もなく・・・

ただ自己快楽の為に批判している方も多いように思います。


この場合の、批判や悪口の内容は理不尽で、意味不明がだったりしますよね。

批判されたところで、どこに改善点があるのかすらわからないことや・・・

つじつまが合わなくて、思考が停止するようなことを平気で言っています。


ネットでの匿名性を使った、有名人の方の誹謗中傷問題も似たようなことですね。

自分は顔も名前も隠し、誰かを傷つける・・・

批判することで、優越感を感じ快楽を得ている。

ゲーム感覚で、他人の心を踏みつけたり、ナイフや針で刺してもなんとも思わない人達

やっている側は、深く考えずにやっているのかもしれませんが・・・

受け手側は、当然深く傷つき悩みます・・・


他人を変えることは無理ですし・・・

「気にしないようにしよう」で、簡単に気にならなければいいのですが

それも、難しいので、誹謗中傷や陰口との向き合い方を考えましょう。

言う側にも言われる側にも悪口や批判はとても危険です。


どう危険かを、2パターン説明していきます。

①悪口には依存性がある

 ・アルコールやタバコ、薬物などに近い。

 ・悪口を言っている脳内はドーパミン(快楽物質)が放出され気持ち良くなる。

 ・ドーパミンにより悪口がやめられない依存症のようになってます。

○自分でコントロール出来ず、繰り返してしまう。

 (お酒やタバコを止められないのと同じですね・・・)

【自分の心や身体が負の感情にコントロールされてしまっている】


②悪口は自分への呪いになる

 ・私たちの脳は、「主語」を理解出来ない。

「〇〇は馬鹿だ」「〇〇は落ちこぼれだ」「〇〇はなにも出来ない」

言葉では主語を話していても、僕らの脳内は主語を理解できずに

無意識のレベルでは、他者のことなのか自己のことなのかわかっていない・・・

○馬鹿、落ちこぼれ、なにも出来ないが自分に擦り込まれ理解し始める。

 (ストレス解消のようで自分への呪いになっている)


人の悪口を言っている人の顔を見ているとわかりますよね。

相手を傷つけることで、気持ち良くなりたいんでしょうけど

自分で鏡を見ながら、その悪口や批判を言い出したらビックリするでしょうね・・・

※自分の耳は誰よりも自分の口の近くにあります、誰よりも自分の言葉を近くで聞いています。


言葉の呪いを受け取るかどうかは、言われた側に決定権があります。

言われたことを真に受けてそのまま自分の中に取り込んでしまえば、

その人に根付き、大きなダメージになりますが。

受け取らなければ、酷い言葉を撒き散らし自分の耳で聞き、

酷い顔で生きていく、まるで呪いが跳ね返ってくるかのように。


どう向き合えばいいかのか?

・悪口や批判が生まれる構造を理解する。

・構造をイメージして、無視(スルー)すること。

簡単に無視(スルー)することが出来ないから悩むわけですが・・・

悪口や批判を浴びせる人の危険を知れば、少しは違うかと思います。

自分の人生を楽しく生きていれば、他人の誹謗中傷などで無駄な時間を使う必要はないんです。


幸せになる手段は人それぞれであって

悪口やタバコ、薬物で勝手に幸福感を手に入れるよりも

人を愛したり、芸術や読書を楽しんだり、自然と触れ合ったり、人と心を通じ合わせたり

このようなことで、幸せの形を見つける方がより有意義な時間な気がしますね。

悪口や誹謗中傷を幸せと感じる人とは関わらないようにしていきたいですね。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


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