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[エストニアの小説] 第6話 #12 結婚話(全16回・火金更新)

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 ヤークは椅子の背にもたれ、むっつりと不機嫌そうな顔をした。自分の家族が敵ででもあるかのように、怒りの目でにらみつけた。誰かにパンチをくらわせるみたいに、拳を握りしめた。パイプを持つ手が震え、灰が落ちて火花を放った。
 「こんな風に」 自分に言い聞かすようにヤークが言った。「しゃべり過ぎるのはよくない。俺は大事な親戚に話をしたい。あんたは今、これについて黙っていていい。いいかな、トーマス、家族の無駄話は無視しろ。ハンゾーヤでは主人の言葉こそが意味ある。で、その主人が明日も、あさっても、あんたはここから出ていかないと言ってる。あんたは客であり、好きなようにここで過ごせばいい。俺がすっかりよくなったら、ここを出ていけばいい。そうすれば俺が馬で送ってやる。荷馬車の前に2頭、馬をつけて引かせてもいい。お客として送っていく。さっきの結婚話は真面目にとるな。結婚っていうのは簡単なことじゃないからな。しっかり考えなければならないことだ。カティは少しの間、待つだろう。何も急ぐことはない」
 ヤークが親しげな態度で、肩をポンポンとたたき、にっこり笑ってニペルナーティにウォッカを注いだ。

 「だがカティはすっかりあんたに夢中だ。間違いない」とニペルナーティ。「カティはわたしにも農園があることを信じようとしない。あんたのハンゾーヤのことばかり言ってる。あんたの牛たち、バイオレットにジンジャー、スウィーティにサンウィールのことをね。わたしはカティにこう言った。『カティ、わたしのハンゾーヤのことも少しは話したら』 しかしカティは『あんたの農園、ハンゾーヤね』 わたしの農園のことなど関心がないんだ。カティはあんたの牛の名前を全部覚えてる。なのにわたしの牛の名前はまったくだ。カティはこう言った。『でもトーマスは新しい家を白い丸太でつくるんでしょ、あたしのためにね』 それでわたしはこう言った。『ちゃんとした家もだ』 カティはわたしの顔を見て、笑いながらこう言う。『どんな家をたてるの? 敷地の隅に小屋をたてるってことじゃないの』 で、わたしはこう返す。『ちがう、真面目な話、自分の手で、大きな広々とした家を建てる、見ててごらん!』 するとカティがこう言う。『まあ、それを目にすることはないでしょうね』 で、わたしはこう返す。『いや家は建てる!』 カティはすると『だけどトーマスは、自分のおじさんがすごく怒りっぽい人だと言っていた。それって本当のこと?』 わたしは答える。『これに関して、トーマスは正しい。おじさんは酷い人だ、1ペニーの価値もない、ゴロツキだ!』 するとカティは笑って笑って、笑いころげて、ひっくり返らないようにわたしの袖をつかんだ。やっと笑いが収まると、こう言った。『いい、あたしはそんなこと信じない』 で、わたしはこう言う。『信じるんだ、このおやじは、とんでもなくさもしい男だ』 ところがカティはこう言う。『そんなこと、あたしに言わないで!』

 するとヤークがテーブルを拳でドンとたたいて、「いい子だ、あんたのカティはな。5頭の牛に3頭の馬をこの子にやっても惜しくない。いやいや、この農場をやったっていい、そこに住むようにな、もしあの子を俺が手にできるならな。俺は火の中を歩いていって、奴隷になる」

 ヤークは息子のヤーンの方に目を向け、リーズをしばし見て、こう言う。「息子のヤーンよ、俺はおまえを羨んだりしない。おまえが結婚したばかりの甘い時期に、寝室の外からこっそり覗いていた。ひそひそ声を聞いてやきもちを焼いていた。こう思った。なんで俺が寝室にいて、息子がドアの外に立ってないんだ。だが今はもうそんな風には考えない。カティのような娘を手にできないなら、誰も俺はほしくない。この世を去るまで、農場を手放すまで、みじめな男やもめのままだろう。そして悲しみはいかほどのものか」
 「あんたはもっとずっと前に、この農場を手放すべきだった」 リースが言った。
 「あ、このチビのカラスが、俺を邪魔してまたギャアギャア言ってるな」 ヤークが腹をたてた。「今日のところは、高価なプレゼントをカティのところに持っていって終わりにしよう。ショールと生地をカティに渡そう」
 「あー、それはダメ!」 リースが驚いてショールと生地をつかみ、チェストに仕舞いにいき、鍵をかけてポケットに入れる。

 「父さんは今日はずいぶんと機嫌が悪い。冗談がわからないんだから」とヤーン。
 「わからんね」 ヤークが言い返す。「今日、冗談は言いたくない。心がそれを受けつけない。息子のヤーンは農場をせがんだりしてない。キリスト教徒のやり方で、利益を分け合ってきたからな。だがおまえの妻がギャアギャア言い立てて、農場についてあれこれ言いつのるなら、物分かりのいい息子として、妻を膝に乗せて、尻をひっぱたかねば」
 そのときまでにすっかり酔っ払っていた息子のヤーンは、あっさりと同意する。
 「リース」 肩越しに妻の方を見て言った。「ベッドにすぐ行くんだ。そうじゃないと手を下すことになるぞ」
 「よく言った」 リースが文句たらたら部屋を出ていくと、ヤークは言った。「こんなところだ。まあ、おまえには不満はない。こんな風にことを片づけてくれれば、嬉しいかぎりだ。なんで俺がいつもいつも話さなくちゃいけない? おまえも何か言え、息子よ。ニペルナーティに言うんだ、ここを出ていくなんて、問題外だとな。こいつのところのカティが、もう1、2週間は必要なんだから」
 「そのとおりだ」 ヤーンが言う。「なにも急ぐことはない、もう少しいればいい」
 「いや、ダメだ」 ニペルナーティははっきりと返した。「どういうことなのか、わかってる。あんたはカティにいてほしい、だからわたしを止めるのだ」
 ヤークが拳でテーブルを叩いた。グラスやウォッカの瓶が鳴った。
 「いいや、そうじゃない!」 ヤークは怒ってそう言う。「あんたのカティがほしいわけじゃない。俺はカティにいてほしいが、カティはそうじゃない。俺にこう言ったんだ。『言わないで、あたしにはトーマスがいる』 で、俺はこう言った。『だがもし、トーマスがあんたを取らなかったら?』 するとこう返した。『それならいいけど』 で、俺はこう言った。『トーマスと話す』 するとカティは『そうして』とな。で、こうして今話しているわけだ。カティと結婚したいのか、もしそうなら、そうだと言ってくれ。もしそうじゃないなら、俺にも考えがある。カティもそれをわかってる。さあ、答えてくれ」

 「なんで未来の花嫁をあんたに渡さなくちゃいけないんだ?」 ニペルナーティは驚いて尋ねた。
 「確かにそれは愚かなことだ」 ハンゾーヤの主人が認める。「カティはこんなにいい子だ。世界中探しても、こんな子は見つからない。あー、息子よ、いい娘とはどんなものか、おまえはそれすら知らない。リースを嫁にしたが、あいつは叩いて、叱りつけて、馬のように働かせるのに向いてるだけだ。俺が言ってることは本当じゃないか、それとも間違ってるか?」
 「間違ってないさ」と息子のヤーン。「だけどリースだって結構いいやつだ、それ以上の女は望めない」
 「それ以上のものを知らないだけだ、バカなやつだ」 ハンゾーヤの主人が返す。
 ここで父と息子の言い争いがはじまる。二人はすくっと立ち上がり、二本の古木のように向かい合い、ウォッカの瓶が二人の手の間で行き交った。そばにいたニペルナーティはあくびをして立ち上がり、出ていった。

 ニペルナーティは誰もいない敷地の真ん中で立ち止まった。夜空は明るく、星々が輝いていた。暖かで静かだった。牛が反芻する音と落ち葉が舞い落ちる音がときどき聞こえてくるくらい。納屋にはまだ灯りがともっていた。ニペルナーティはそっと納屋に近づき、ドアの隙間から中を覗いた。
 カティはベッドのそばに座っていた。膝の上に真新しい靴とスカーフとスカートを置いていた。順番にスカーフやスカートをなで、靴を片方ずつそばに引き寄せた。目はキラキラと輝き、頬は赤く染まっていた。宝物を手元から離すことができないようだった。こんな豪華なものを手にしたのは、これまでの人生で初めてのことだろう。宝物に囲まれた女王のように感じていた。カティは立ち上がると、服を脱ぎはじめ、灯りを消そうとしていた。が、また宝物の方に目をやり、歩み寄った。歩み寄り、スカーフやスカート、靴を手にとり、それを抱きしめた。カティは幸せで、その幸せを手放したくなかった。

 ニペルナーティがドアをノックすると、カティは抱えていた宝物をベッドの足元の方に置いて、その上に毛布をかけ、ドアを開けにいった。
 「あんた……こんな遅い時間に!」 カティは頬を染めた。「あんたが来るなんて思ってもなかった」
 「本当に?」 ニペルナーティが笑顔で尋ねた。「きみが今日の旅のことを話したいんじゃないかな、って思ったんだけど」
 「別に言うほどのことはないけど」 カティは不安げに答える。「ヤークがお医者に行って、あたしは馬のところで待っていた。それだけ」
 「きみはアホだな」 ニペルナーティは諭すように言った。「なんで真新しい靴をわたしに見せようとしない。わたしは喜んでるんだ。カティは今すごく幸せだろうな、って思った。それとも幸せじゃないのかい?」
 カティは毛布の下から宝物を引き出し、チェストの上に並べた。
 「これだけど」 そう言うと、靴にも服にも興味がなくなったとでもいうように、そこから離れた。
 「あー、素敵じゃないか!」 ニペルナーティが声をあげる。「これは全部、おじさんからの贈りものなのかい?」
 「悪くとらないで。おじさんがこんなものを買っているなんて、知らなかったんだから。リースのために買ってるのかと思ってた。支払いが終わって、馬車に戻ったときに、おじさんがこれはあたしの物だって。あたしは欲しくなかったから、もらえないと言った。だけどおじさんが言うには、あんたに借りがあるからって。あたしは後であんたに請求するんだと思った。あんたはあたしに靴や服を買うって約束してたから、だから品物を受け取った。後であんたがおじさんに支払うとわかってたから。だからおじさんからの贈りものだなんて思わないで。あんたがおじさんに支払わなくちゃ」 カティが言った。
 「払うよ、もちろんね」 ニペルナーティが自信ありげに答える。「それになんでこれっぱかりしか貰わない? シルクのスカーフとかシルクのスカートとかを買わないんだ? 靴だってもっとあっていい。秋の泥道を歩くには、一つじゃ足りないだろう。帽子だって買えたはずだ。教会に行くときとか、長い休暇にはあったらいいと思うけどね。ほんのちょっとしか買ってないんだね。わたしの雄牛があれば、もっとお金を使えたはずだ。とはいえ、わたしは嬉しいよ。もうカティは寒さを我慢しなくていいし、着てる服を恥じなくていい。牧師のところにすぐにでも行こうか?」
 「いつ?」 カティが即座に訊いた。
 「明日ってのはどうかな」 ニペルナーティが笑う。「わたしの考えでは、明日だ」
 カティが服をなでながら、慎重な面持ちで言う。「明日……ちょっと早すぎるんじゃない。ウェディングドレスも作らなくてはいけないし。それに家畜の世話もたくさんあって。そんなにすぐに服が縫えると思う? 少し待たなくては、トーマス。あたしは裸同然で家を出てきた。ちゃんとしたシャツもスカートも持ってなかった。あれやこれや、自分で作ろうと思ってる。いい、トーマス、もし牧師のところに今のみすぼらしい格好で行ったら、きっと村の人たちは、ハンゾーヤの農園主はコジキと結婚するって言いはじめる」
 「人がなんと言おうと、わたしは気にしない」とニペルナーティ。
 「それでもそれでも、あれこれ他の人たちに言われたくない。それに急ぐこともないし」とカティ。
 「じゃあ、1週間くらいのうちに?」 ニペルナーティが尋ねた。
 カティはちょっと考えてこう答えた。「1週間じゃ、準備ができないと思う。それに今、日にちを決める必要がある? あたしの準備ができたら、あんたに言うから、そうしたら牧師のところに行けばいい」
 ニペルナーティはベッドに腰かけると、ため息をつき、がっかりしたように言った。「きみは変な子だ、カティ。母さんの家にいた時分は1日も待てないようだったのに、今はぜんぜん急いでない。何か他に理由があるんじゃないか。きみはわたしより、ヤークおじさんの方が好きみたいに見える」
 するとカティの目に、涙があふれた。
 「どうしてそんなことを言うの」 カティはそう言うと、泣きながらベッドに身をなげた。頭を枕につっこみ、肩を震わせて泣いていた。ニペルナーティはその頭をなでてこう言った。「どうして泣くんだ、カティ。わたしがどれだけきみを愛してることか、もしおじさんの方がきみを幸せにできるなら、きみはおじさんを選ぶことだってできるんだよ。言わなかったかな、ここにやって来る間、秋の夜を過ごしているとき、わたしの農園で、きみは幸せと平穏なときを見つけられるってね。もしきみがわたしのおじさんといる方が幸せなら、わたしは農場を出ていく、これを最後に出ていくよ」

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'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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