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[エストニアの小説] 第6話 #16 惨敗(全16回・最終回)

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 ニペルナーティは素早く起き上がると、はしごを降りた。農夫はニペルナーティが家の方に走っていくのを耳にした。それからシタンのパイプを手にすると、あくびをし、それを吸いはじめた。1時間ほどすると、ニペルナーティが戻ってきた。ハアハアと息をつき、疲れた様子で農夫の隣りに寝そべった。
 「ヤークを片づけてきたのか?」 農夫のモールマーが訊いた。
 「いや、やってない」 ニペルナーティが腹立たしげに答えた。「あいつらは鍵をかけていて、わたしは中に入れなかった」
 「じゃあ、今まで何してたんだ?」 農夫が不思議そうに尋ねた。「あいつに借りを返したんだと思ってた」
 「わたしは窓の下に潜んで、耳をそばだてていた」 ニペルナーティがあえぎながら答えた。「何をささやいているか、耳を澄ませていた。ひそひそ声といちゃつき、あの盗っ人の頭領とわたしのカティがだ。心の中で何かが猛烈に騒ぎはじめて、わたしは耐えられなくなった。で、わたしは走りに走った、頭のおかしい男が真夜中に、真っ暗闇を走りまわるみたいにね。正直なところ、今晩、これ以上どうにも耐えられそうもない」
 「俺なら家に火を放ったな」とモールマーが静かに言った。
 「あんたなら家に火を放つ?」とニペルナーティが高熱で震えているみたいな声で、その言葉をなぞった。「そうだな、いいアイディアだ。家に火を放てない理由はない。二人の最初の幸せな夜を、楽しいものにしてやろう。あー、神さま、何かわたしはしなくては。モールマー、マッチはもっているかい?」
 モールマーはポケットを探り、マッチを取り出すとニペルナーティに手渡した。
 「藁を少しもっていくといい」 モールマーが教えた。「そうしないと、家に火は放てない。まず軒下に藁を差し込んで、それから火をつける」

 ニペルナーティはまたはしごを降りると外に出ていき、長い時間戻らなかった。ニペルナーティが納屋に戻ると、モールマーは手にシタンのパイプを握ったまま、いびきをかいていた。
 「モールマー」 ニペルナーティが農夫を揺り起こした。「モールマー、火が家につかない。風がひどく冷たくて、マッチは役に立たない。火が消えてしまう前に燃え上がらないんだ。聞いてるかい、モールマー、どうしたらいいんだ」
 ところがモールマーはぐっすり穏やかに眠ったままだ。ニペルナーティはしばらくそのそばに立っていた。ため息をつき、出入り口のそばに腰をおろした。秋の風がヒューヒュー音をたてるのを聞き、ブルブルと震えながら、ぼうっと暗闇を見つめていた。そこで長い時間すわっていた。それから深いため息をついて、モールマーの隣りに横になった。そして眠りについた。

 ニペルナーティは朝遅くに目を覚ました。モールマーはずっと前に畑に出ていた。ニペルナーティは起きると、出入り口を見下ろした。秋の朝、雨が降りしきり、風は嘆くように、うなるように吹いていた。ニペルナーティははしごを降り、敷地に出ていった。カティがそこにやって来た。
 「もう、出ていくの?」 近づきながら、カティがそう訊いてきた。「ニペルナーティが出ていくときは、見送ろうと思ってた。農場の端までは、一緒に行こうかとね。だけど見えるよね、あたしの手はいっぱいで、少しの間もここを離れられない」
 「元気でね、カティ」 ニペルナーティは悲しげに言った。「夕べは遅くまで起きていた。もっと早くにここを出ているはずだったのに」
 「ダメ、ダメ」 カティが抵抗した。「こんな風にして出ていってほしくない。ちょっとの間、中に入って、出ていく前に温まって。この季節、夜はすごく冷え込んでる、外に出たら凍えてしまう。ほら、あんたすごく震えてるじゃない。ダメ、こんな風に出ていかせることはできない。ちょっとでいいから、中に入ってかまどのそばで温まっていって。あったかいから」
 カティは元気よく先を歩いていき、ニペルナーティはその後につづいた。

 家に入ると、カティは小さなベンチを少しかまどの方に寄せ、こう言った。「ほら、すわって、トーマス。すわって温まって。何か食べるものを探してくるから」
 カティはテーブルに、パンと肉とマグに入れたミルクを乗せた。そしてテーブルをもう一度見ると、バターを運んできた。
 「コーヒーとパンケーキもあったんだけど」と、カティは申し訳なさそうに笑みを見せた。「だけどあんたが遅くまで寝てたから、他の人たちが食べてしまった。それにヤークが出かけるんで、少し持たせたから」
 「ヤークは家にいないのかい?」 ニペルナーティは小さな声で驚いたように言った。「ヤークは家にいないのかい?」 同じことを今度は嬉しそうに、背を伸ばして訊いた。
 「あの人はいない」とカティ。「ヤークはあんたにさよならとありがとうを伝えてって。それから結婚式のときにはまたここに来てほしいって、もちろん、あんたに時間があって、来たかったらのことだけど。あたしたち、大きなパーティはしないつもり。何人かの友だちと親戚を呼ぶの。この季節、道は泥道だから、だれも遠くまで旅したくはない。でもぜひ来てほしい、なんとかして、気持ちがあるならね」 ニペルナーティは結婚式への招待に礼をいい、こう尋ねた。「ヤークはどこに行ってるの? 街まで指輪でも買いに? 結婚式用のドレスでも持って帰るのかな?」
 「いいえ」 カティは笑った。「指輪を買うのはまだ少し先。ヤークはあたしの母さんと弟たちを迎えにいった。ヤークは家族全員をこの農場に連れてくる、みんなで一緒に住める。本当はそうしたくなかった、そうヤークに言った。『1頭の牛で最初は充分、牛1頭と豚1匹をあげれば。あと穀物の袋を2つ3つ積んで、この冬を越すのにそれで充分だから』ってね。だけどヤークは何も持たずに、こう言った。『黙りなさい、カティ。きみはどこにいる、妹や弟もここにいなくては』 こうも言った。『今年ほど収穫があった年はいつのことだったか。みんなにパンはたっぷり行き渡る。部屋に余裕はないが、ひと冬くらい、なんとかできるだろう。ヤーンとリースは2、3ヶ月、サウナに移った方がいいかもしれない。だが春になったら、新しい家を建てればいい。そして春には、農場を二つに分ける。ヤーンが半分とり、あとの半分は俺たちのものだ。森は俺たちのものだ、それは誰にもやらん。森はいま、価値が高いし、ここの森は立派な木ばかりだ。幹は抱えられないほどの太さだ』」

 そこでカティが声をあげた。「あー、なんてこと、あたしったら、おしゃべりばかりして。テーブルについて、トーマス、食べてちょうだい。この先、長い旅があるんだから」
 「心配無用」とニペルナーティ。「いま、それほど食べたくはない。で、母さんたちはみんな、ここに来るのかい? 小さなピープによろしくね、金色の髪を撫でてあげたい。それで牛や馬や豚を手に入れて、みんなの願いが叶うんだね」
 ニペルナーティは顔をそむけると、手で涙をぬぐった。そしてにっこり笑った。

 「ほんとうに、あんた、食べなくていいの?」 カティがどうしたのかと尋ねた。「一口も? ミルクもいらないの?」
 「そうだな、ミルクだけ」とニペルナーティ。「でもほんの少しでいい。一口二口飲むだけでいい」 ニペルナーティはマグを手にとると、すぐにカティに返した。そして出発するため、立ち上がった。
 「かわいそうに」とカティ。「雨の中、泥道を行くんでしょう。もう少し先なら、あんたを馬で家まで送るのに。こんな風にあんたを送り出すのは、とても恥ずかしい。あんたはすごくよくしてくれたし、どれほど助けになってくれたことか。だけどヤークが馬2頭で出ているし、ヤーンもハルマステに馬で行ってる。若い種馬がいま馬小屋にいるけど、その子に馬具をつけて荷馬車を引かせたくはない。ヤークがこの馬を取っておいて、結婚式の馬車として使うと言ってもね」
 「何もいらないよ」 ニペルナーティが笑いながら言った。
 そして突然、カティを抱き寄せると、くちびるにキスをし、出ていった。
 「あんたは狂ってる!」 カティが驚いて言った。「ヤークがこれを見たら、あんたを殺すと思う、ぜったいに」
 「かまわないさ」とニペルナーティ。「いずれにしても、わたしの働きに対して、起きたことのために、何かもらう必要がある」
 二人は外に出ていった。

 「幸運を祈ってる、カティ」 ニペルナーティが言う。「結婚式には、わたしの立派な邸宅から来るからね。約束したとおり、レイヤをプレゼントに、それから何かもっといいものも持ってくる。待っていてくれ、カティ。それからこの先、ヤークの腰が曲がり始めたら、たびたびここに来るよ。じゃ、いい日を、カティ」

 ニペルナーティはくるっと向きを変えると、門から出ていった。自分に目をやっているカティに見せつけるように胸を張った。ニペルナーティは悲しそうにも、傷ついているようにも、カティには見えないはずだった。自分の邸宅に向かって、自信満々で帰っていく男に見えただろう。ありあまる金や女性を手にしてるんじゃないのか、この男、トーマス・ニペルナーティは?
 ニペルナーティは振り向いて、カティに最後の笑みを送ろうとした。

 ところが、カティはもうそこにいなかった!

 なんてやつだ! するとニペルナーティは縮こまり、小さくなって、震えはじめ、みじめな様子で頭をがくんと落とした。
 ニペルナーティは雨に濡れながら、泥道を歩いていった。秋の凍る風が、男のからだに冷たく突き刺さった。

 *第6話「幸せの2羽の青い鳥」はこれで終わりです。楽しんでいただけたでしょうか。この話の終わり方(〆)、面白いと思いました。(訳者)
第7話「シバの女王」は8月8日(火)からスタートの予定です。

'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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