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[エストニアの小説] 第7話 #7 ヤーノス・ローグの脅し(全10回・火金更新)

 日曜日の朝、ヤーノス・ローグがやってきて、老漁師の小屋の前で足をとめた。「おーい、シーモン・バーよ、あの浮浪者は出ていったか? もし出ていったなら、出てきて教えてくれ。でもあいつがまだ、メンドリみたいにコッコッと鳴いてそこにいるなら、あんたの敷居をまたぎたくはない。ペイプシから来たあの男が嫌いなんだ。あいつの顔など見たくもないからな。そうであればシルバステの居酒屋に行って、酔っ払ってくる。だが今晩、ここに戻ってきたら、心の準備をしておけよ。俺は酔っ払ったら、手に負えない男だ。そうなれば全能の神でさえ、俺をなだめることはできない。俺は荒れ狂う海みたいに激しいからな。おーい、老いぼれバーよ、家にいるのか、いないのか? 返事をしろ、俺を待たせるんじゃない!」
 
 ニペルナーティはヤーノスのわめき声を聞いて、外に出た。
 「そこにいたか、ペイプシから来た年くった網引きめが」 ヤーノスは親しげな声でさらに言った。「俺はお前に言ったよな、もうとっくに出ていったと思ってた。だがまだ老いぼれバーの小屋に居座ってる、この冬の間中、ここにいるつもりなんじゃないのか?」
 ヤーノスは歩み寄り、ニペルナーティに手を伸ばした。「俺と一緒に居酒屋に行かないか? なんでこの汚い小屋で縮こまってる。おまえ、カビ臭いぞ。人間の顔をなくしてる。あんたは友だちだ、居酒屋に行こう、ヨストーセの森の仕事や賃金のことで、あんたに言いたいことがある。雪の中に飛び込んで、でかい松やトウヒの木を切り出すのがどんなか、考えもつかんだろう。森全体に、ノコギリの音、斧の立てる音が響きわたる。そして1本、また1本と地面に木が切り倒される。明日の朝早く、俺と一緒に森に行かないか。ヨストーセの森にいれば金が入ってくる。あそこではいい稼ぎになる。なのに俺はしょうもない相棒と一緒だ。たいした年寄りで、ノコギリ一つ満足に引けない。咳き込みならがパイプをやってる。咳き込んでは、パイプだ。ああいうのとは、森で木を切り倒すんじゃなく、墓掘りをするんだ。あんたなら、あいつの代わりになれる。どんだけの間、バーの小屋で仕事も金もなくしけ込んでるつもりなのかい? 凍る冬が来たら、破れた靴とボロボロのコートでどこへ行く? それともあんたは、俺の女友だちに恋でもしたのか?」
 「わたしは出ていくんだ」とニペルナーティ。「ここにいるのはもう数日だ。シルバステからいなくなる」
 「ペイプシに戻るのか?」 ヤーノス・ローグが疑わしげに訊いてきた。「あそこだって仕事なんかないだろう?」
 「あそこには金持ちの親戚がいてね」とニペルナーティ。「裕福な叔母が住んでるんだ。カテリーナ・イェーという名前だ」
 「カテリーナ・イェーだって?」 ヤーノスが笑った。「そんな名前の人間が、本当にいるのかい? 確かに、ペイプシにはおかしな名前があるのは事実だ。そうじゃなきゃ、あんたがニペルナーティなんて名前じゃないはずだ。最初にあんたの名前を聞いたときは、死ぬほど笑ったよ。だが、ここを出ていくのはいい考えだ」
 「あんたが俺の未来の嫁と、同じ屋根の下に住んでることには全くのところ賛成できんからな。マレットは俺のところにきて、あれやこれやと不満を言っていった。あの子が言うには心底あんたが嫌いだってさ。怪我しそうなサウナブラシみたいだって、あいつが言ってたぞ。だから今日にでも、すぐにでも、ここを出ていくのは理にかなってる。これから俺は居酒屋に行く、そこで酔っ払ったら、あんた酷い目にあうかもしれんぞ。夜ここに俺が戻ってくるまでに、なんとかしろよ。友だちとして言ってんだ。そうでもしないと、あんたは先がないと思え、俺が手足が動かなくなるまでぶっ叩くからな」
 「狩猟用ナイフがあれば十分だな」とニペルナーティが笑った。
 「狩猟用ナイフをもってんのか?」 ヤーノス・ローグが驚いて訊いた。「だが俺に見せたことがないだろ。おまえの持ってるのは妙なナイフだったし、それはナイフとも言えないようなやつだ。ハサミだった、いやハサミでさえない、つまようじだ。どこで狩猟用ナイフなんか手に入れた? 今晩ここに戻ってこれるかわからん、リストマエに行く用事があるからな、それに明日の朝早くに、森にいる必要がある。だがマレットには、部屋の窓に板張りをしておけと伝えてくれ。森に戻って、酔っ払って、ここを通るとき、あいつの窓をぶっ壊すことになるからな。こういうことのすべてに、あんたが俺の未来の嫁と住んでることにも、あきあきしてる。で、俺と一緒に居酒屋に行かないのか?」
 「いや、行かない」とニペルナーティ。
 「で、森にも来ないのか?」 ヤーノスが尋ねた。
 「森にも行かない」 ニペルナーティが答えた。
 「そりゃ残念だな」とヤーノス。
 「そうだ、わたしにはもっと大事な、他にやることがあるからね」 ニペルナーティが自慢げに言った。
 「もっと大事なことだって?」 ヤーノスが驚いたように言った。「じゃ、元気でな。マレットに俺のことを伝えてくれ。あんたが明日までに出ていくか見てみよう。あんたが狩猟用ナイフをもってるなんて信じないからな。言ってるだけだろ」
 ヤーノスはじゃあ、と言うと、シルバステの方に向かって足早に去っていった。

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'The Queen of Sheba' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


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