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[エストニアの小説] 第6話 #11 カティとヤーク(全16回・火金更新)

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 カティは鳥のように家から飛び出していき、畑に向かった。着いたとき、息を切らせ、顔を赤くしていた。カティはニペルナーティの前に立つと、顔をあげることなく自分の手をじっと見て、口を閉ざした。ニペルナーティは大鎌を持っていた手をとめ、カティを見て訊いた。「なにかあったのかい? ここまで走ってきて、火事でも起きたみたいにハアハアいってる」
 「何も起きてない」とカティ。「あんたがどうしてるか、鎌で収穫してるか見にきただけ。あんたが鎌を使ってるのを見たことないから」
 ニペルナーティは鎌を手に、大きな動作でまた収穫をはじめた。そうしながら、ニペルナーティはカティから離れていった。カティはその後をついていった。しかしカティは口を開かない。ニペルナーティも何も訊かない。時間ばかりが過ぎた。

 するとニペルナーティは手をとめ、 笑いながら鎌を研ぎ、カティを見てこう尋ねた。「ふん、カティ、考え直したかな、どうしてここに来たか言ったらどうだい?」
 「何も言うことはない」とカティ。「ただ、おじさんが医者のところに一緒に行ってくれって。それだけ」
 「医者のところだって?」とニペルナーティ。「でもおじさんの傷はもうとっくに治ってる。まったくからだに問題はない。実際のところ、傷でさえない、ただの引っ掻き傷だ。取るにたらない、小さな傷だ。なんで医者なんかに行きたいんだ?」
 カティはイライラする。
 「あんたはよくないよ、トーマス」と不満の声をあげた。「なんでいつも、おじさんのことを悪く言うの? あの人はとてもかわいそう、痛みでうなり、ブツブツ言ってる。傷のせいで感染したのかもしれない。それに痩せて、顔色も悪くなってる。食べようとしないし、部屋の隅を見て、痛みでうなってる。悪いところがあるんだと思う」
 ニペルナーティは再び鎌を取り上げるとこう言った。「もしきみがそう思うなら、おじさんが嘘を言ってるんじゃないなら、一緒に医者のところに行ったらいい。そうすればいい。でも分別をわきまえてね」
 「じゃあ、行ってもいいのね?」とカティ。「あたしが連れていってもいいのね?」
 カティはその返事を待つことなく、興奮して家に飛んで帰った。ハンゾーヤの主人はすでに馬に馬具をつけて、カティを待っていた。「トーマスと話すのにずいぶん時間がかかったな」と不機嫌そう。「待ちくたびれたぞ」
 「こういうことは、すぐには終わらない」 カティは嬉しそうに弁解し、スカーフをつかむと主人の隣りに腰掛けた。そして手綱とムチを手にした。そして車輪を鳴らしながら二人は庭から出ていった。

 息子のヤーンは、父親がカティとハルマステまで出かけたと聞いて、畑から毒づきながら戻ってきた。
 ダメだ、このままじゃ済ませないぞ。カティが農場に来てからというもの、秩序などあったもんじゃない。父さんがメイドとハルマステまで旅するなんて、息子の自分が農場に置いていかれるとは、いったいどういうことだ。あの年寄りは頭がおかしくなったのか? 息子を家に残して、盗っ人みたいにこっそり家を離れるなんて。一言も言わずに、おべっかをあの女の子の耳に吹き込んで。父さんはいつも裕福な女を探してた。少なくとも10頭の牛に3頭の馬、家畜そのものか金にしてそれだけのものが、農場に入らなければならなかった。それなのに、ただの女の子だ、あの子には財産などあるように見えない。いやダメだ、あの年寄りが家に戻ったら、はっきりさせなければ。ヤーンは父親にそう指摘するだろう。父親は320クローンで雄牛を売って、ポケットに金を突っ込み、ハルマステまで旅行だ。父親と息子が旅するのに、何の問題があっただろうか。あー、あのアホのニペルナーティだな。あの男は、年寄りが自分の女を目と鼻の先からくすねてるのをわかってない。あいつは農場主なんだろうが、畑に出て農夫みたいに鎌を振るってる。金を要求するわけでも、報酬を求めることもない。鎌をつかって働いてる間に、年寄りにしてやられてる。

 ニペルナーティが畑から戻り、家族全員がテーブルにつくと、ヤーンがこう言った。「父さんはこの時間には戻ってるべきだ。父さんとカティは楽しい時間を過ごしてて、朝まで戻ってはこないだろう」
 リースはニヤついている。農夫のモールマーはニペルナーティの方を馬鹿にしたように見た。しかしトーマスは食事を進め、何も答えない。
 「あの年寄りは信用できない」 ヤーンが話をつづける。「夜になれば外はすぐに暗くなる、何が起きるか神は知ってる」
 「あんな病気の年寄りは、子ども以上に頼りない」とニペルナーティ。 
 「ヤークが子ども以上にひ弱ですって」 リースが笑う。「それに病気ですって? あの老いた熊をあたしは知ってる。雄牛もあいつに危害を加えられなかった。あの小さな傷くらいでやられるはずがない。何か他の、言えない理由があるんでしょうよ」
 ニペルナーティが唐突に立ち上がり、自分のスプーンを空のボウルに投げつけてこう言い放った。「わたしはカティをよく知ってる。あんたは黙ってろ!」
 しかしニペルナーティがベッドにすわってツィターを弾きはじめると、ヤーンがその隣りに腰を降ろした。
 「カティはいい子だ」 ヤーンは親しげな調子で言った。「でも親父は信用するな。あの子をあんたの農場に連れていくなら、その方がいい。ここの畑仕事もすぐ終わる。そうしたら自分たちで収穫物は管理する。父さんは明日かあさってには畑にやって来る。からだは問題ない。俺の考えはそうだ。一つ一つあげることはしないが、あんたはいいことをたくさんしてくれた。親父が俺なしでハルマステに行くなんて我慢できない。いつだって一緒に行ってたんだからな、俺が子どもの頃からだ。おむつをしてた頃だって、父さんは俺を連れていった。双子みたいなもんだ、片一方だけじゃ何もできない。ところがあの年寄りは、カティを連れて出かけていった。一言も俺に言わずにだ」

 夜になって、ハンゾーヤの主人とカティが戻ってきた。カティは家に入ってこなかった。荷馬車から自分の荷物をとると、ヤークにおやすみを言って、寝場所のある納屋に向かった。そこでロウソクの火を灯し、買ってきたものをベッドの上に置いた。そしてその前にすわって、新しい靴やスカート、スカーフを抱きしめた。主人の方は、両手にウォッカの瓶をもち家に入っていった。
 「ほらこれだ、ヤーン」 笑顔で息子にウォッカの瓶を手渡した。「おまえに新しいパイプも買ってきたぞ。これほどのものを見たことないだろう。リースにはショールときれいなドレスの生地だ。シンガーのミシンは今日は買わなかった。家にいるみんなのことを思い出した、俺が一人で町に行って楽しんできたなどと言われないようにな。だが俺には用事があった、医者に会ってきた。カティが馬を走らせて、買い物を手伝ってくれた」
 「医者は何と言っていた?」 膝の上にウォッカの瓶を抱えてヤーンが尋ねた。
 「医者は『大丈夫だ、家に帰っていい』、そう言った」 笑顔でヤークは言った。「『どこも悪いところはない』、そう言った。『ちゃんと治療されている。だが家でもう2、3日静かにしていた方がいい。そうでないと傷口が開く』、そう医者は言った。『用心することだ』とね」

 ヤークはテーブルにつくと、羊皮と上着を脱いで、陽気にしゃべった。
 「怒らないでほしい」 ヤークはニペルナーティに言った。「カティは分別ある娘だ。何も悪いことは起きてない。俺はあの子を子どもみたいに脇に置いていただけだ。だけどな、いいか、トーマス、もし結婚式をぐずぐず伸ばすようなことがあって、あの子を不安にさせたりすれば、俺にもあの子に言いたいことがある。一冬の間ずっと、りんごが木の上にあると思うなよ。熟したら、地面に落ちる、だから庭師は注意を怠ってはならない。わたしの言いたいのはそれだ。カティもこう言っていた。『トーマスはあたしのことを気づかってくれない。あの人は畑の方がずっと好きなんだ』 それで俺はこう言った。『心配するな。俺がトーマスと話してみよう。もしあいつが本当におまえのことを気づかわないなら、俺にも言いたいことがある』 するとカティがこう言った。『じゃあ、そうしてください』 それで俺も『わかった、そういうことにしよう』 それ以上、この話はしていない。で、俺はあんたに訊きたい、トーマス。俺を牧師と思って答えるんだ。あの子をどうするつもりだ? いつコトを進める予定だ? ごまかしなしで、はっきりと言ってくれ」
 「すぐだ」 ニペルナーティは厳粛な面持ちで答えた。「明日かあさってには、わたしたちはこの農場を出ていく」
 「ここを出ていくって?」 ハンゾーヤの主人はどもりながら訊いた。「カティもなのか? だめだ、こんな話は聞きたくない。医者はこうも言っていた。『あと2、3日は家で静かにしているよう。充分な手当と世話が必要です』 こう言ったんだ。それで俺はこう答えた。『大丈夫、世話をしてくれる人はいる。よくなるのは確かです』 今、俺のからだがよくなりつつあるときに、あんたはカティを連れ去るのか? ダメだ、あんたは大事な親戚、何があろうとも、ここを出ていくなんて問題外だ。あんたは俺の命を救った、俺のからだも治した。あんたは畑で働くことなどない。あんたはここの主人だ。お客のようにここにいればいい。俺の考えはそれだ」

 「自分のパンはいつも一番おいしいもの」 リースがそう言った。「どんだけ長くこの人がここで働くべきだと? すぐにでも未来の妻と結婚したいと思ってるに違いない。この人がここにこれ以上いるのは意味がないの」
 ヤークが飛び上がって、息子の妻を睨みつけた。
 「男が話してるんだ、女は口を挟むな!」 ヤークは厳しい調子で突っかかった。「おまえに新しいショールを買ってきてやらなかったか? ドレス用のきれいな生地をもらっただろうが。それを見てみろ、それに感謝して、男が真剣に話してるときに邪魔をするな。それともショールが気に入らないのか? カティはこう言った。『なんてきれいなショールでしょう、バラの園みたい』 俺もこう言った。『リースはどんだけ喜ぶだろうな』 生地については、『皇帝の妻も喜んでこれを着るでしょう』 そう言ったんだ。で、俺はこう答えた。『皇帝の妻だってこんな生地は持ってない』 こんな風に俺たちは話をしてたわけだが、おまえは酷い言いようでカティに文句を言い、侮蔑した」
 「文句言ったり、侮蔑したりしてなんかない!」 リースはそう答えると、夫からウォッカの瓶を取り上げ、腹をたてながらグイグイと飲んだ。「リースは誰も侮蔑したりしてない」 ヤーンが文句を言った。
 「今日はみんなして俺に楯突くのか」 ハンゾーヤの主人が怒りの声をあげた。「俺のいうことを聞くんだ。俺は病気の人間だ、興奮させるな。医者もこう言っていた。『傷口がまた開かないよう注意しなさい』とな。みんなであれこれ騒ぎたてたら、傷口が開いてしまうだろ。そうならないよう、気をつけていなくては」

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'Two Bluebirds of Happiness' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)

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