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キエフ = キーウは、バイリンガル都市?!

ウクライナの首都キエフが少しまえから、日本語表記で「キーウ」とすることになりました。キーウはアルファベット表記で「Kyiv」、キリル文字だと「Київ」となるようです。英語版Wikipediaによると、音としては [ˈkɪjiu̯] (参照音源を聞くと「キーユ」に聞こえる) 、ロシア語読みだとKiev (/ˈkiːɛv/ KEE-ev)になるそうです。
*タイトル画像はウクライナの作家アンドレイ・クルコフの小説の表紙

ウクライナについては今回の紛争が起きるまで、ほとんど何の知識もなく、知っていることと言えば、そうだなぁ、シェフチェンコ(引退した著名サッカー選手)とジンチェンコ(マンチェスターシティの現役選手)と、サッカー選手の名前くらいしか出てこない。あとシャフタール・ドネツクというサッカークラブがあって、これがウクライナのもの。ニュースでドネツク州という名を聞いて、あ、シャフタールだと気づきました。

あとは、、、現代音楽の作曲家で誰かいたような気がする。シルヴェストロフ! ドイツのチェリスト、アニャ・レヒナーとのアルバムでよく聴いていたことがあります。ネットで「ウクライナの作曲家一覧」というのを見たら、プロコフィエフとかショスタコーヴィッチの名前があってびっくり(weblio辞書)。でも名前をクリックして説明ページに行くと、どちらもロシアの作曲家となっています。わたし自身、この二人はロシアの作曲家だとばかり思っていました。

で、Wikipediaを調べてみると:

セルゲイ・プロコフィエフ:1891年にロシア帝国、エカテリノスラフ県バフムート郡のソンツォフカ(Сонцовка;ラテン文字転写の例:Sontsovka、現在のウクライナ、ドネツィク州、ソンツィフカ)に生を受けた。

Wikipedia 日本語版

なるほど、生まれた場所が現在のウクライナということなのですね(「ドネツク人民共和国」あるいは「親ロシア派反政府組織」という言い方もあるかもしれないが)。ショスタコーヴィッチの方は、ロシア帝国時代のサンクトペテルブルクで1906年に生まれていて、なぜウクライナの作曲家一覧に入れられているのかわかりません。一般的にもロシアの作曲家と思われていると思います。もしかしたら第二次対戦中、ウクライナの谷底バビ・ヤールで起きた実際の事件(ナチによるユダヤ人の大虐殺)を題材に交響曲を書いたから?

ロシア語とウクライナ語はどちらもキリル文字を使うそうで、一部違う文字はあるものの同じ東スラブ語、とてもよく似ているそうです。これはタイトル画像にあげた『ペンギンの憂鬱』という長編小説の「訳者あとがき」(沼野恭子)に書いてあったことです。沼野さんはさらに、こう書いています。

ひと言で言うと非常に似ているのだが、そうかといってどちらか一方をもう一方の方言と見なすわけにもいかない、それぞれ独立した言語である。

アンドレイ・クルコフ『ペンギンの憂鬱』訳者あとがきより

ああ、なんかロシアとウクライナの複雑な関係性が、少し見えてきた気がします。

このロシアとウクライナの類似性、混合性(共通性)は、歴史をよく知らない者にとっては戸惑うことが多いです。そもそもこの小説『ペンギンの憂鬱』の著者はウクライナの作家ですが(現代ウクライナの作家でこれほど世界中で名前の知られている人はいないそうです)、この小説はロシア語で書かれています。というかアンドレイ・クルコフはロシア語作家なのです。新潮クレストブックスのこの本の帯には、なんと「不条理で物語にみちた新ロシア文学」と書かれていたりします。え、この作品、ウクライナ文学じゃないの?! 
ロシア語文学というならまだしも。。。

この本の日本での出版は2004年、わたしの買った本は2017年出版のもので、なんと15刷。日本でもすごく読まれているんだぁ。

ネットでちょっと調べてみたら、いろいろな読書投稿サイトでこの本はけっこう読まれているようで、最新の投稿はみんなウクライナ紛争後のものだったりします。この状況に興味をもった人が、文学で何かを知ろうとしている当事国に近づこうとしている、ように見えます。(余談ですが、葉っぱの坑夫の『ロシア語ハイク日記 MOYAYAMA ぼくのほらあな』が、ある電子書籍の図書サイトで1位の人気になっていると聞きました)

さて『ペンギンの憂鬱』ですが、この作家はなんでロシア語で書いているのか。Wikipediaを調べたところ、生まれは1961年、ソビエト連邦時代のレニングラード(現:サンクトペテルブルク)で、3歳のときにウクライナのキエフに移住。キエフ外国語大学卒業。とのこと。ひょっとして両親がロシア人なのか? 訳者の沼野さんによると、(クルコフは)学習によってウクライナ語を身につけたとのこと。小説を書くくらいだから、やはり母語はロシア語なのでしょう。ウクライナではロシア語で小説を書いたり、出版したりすることは普通のことなのか。

もちろんウクライナにロシア系の人が住んでいることは、最近の情報を通じて知ってはいました。が、ロシア系であることと、ロシア語を母語とすること、つまり日常的にロシア語をつかうこととは少し違います。ロシア系であっても(ルーツや家族が)、言葉はウクライナ語ということは充分あり得ます。

たとえば日本に住む在日朝鮮・韓国人の人たちは、日本生まれで日本語しか話せないという人も多いはず。あるいは家庭では朝鮮語を話すこともあるが、母語は日本語であるとか。たとえば元サッカー北朝鮮代表の鄭大世(チョン・テセ)選手は、おそらく日本語が母語です。朝鮮学校に通っていたので、朝鮮語も堪能のようですが。ただ読み書きがどこまで出来るかは不明。

文章を書く、それも小説を書くとなると、相当その言語と文化に精通していないと不可能と言われます。わたしの友人のスペイン人作家は、エッセイなら英語で書けるけれど、小説は無理と言っていました。何年かまえにジュンパ・ラヒリが『別の言葉で』という小説をイタリア語で出したときは驚きました。インド系アメリカ人であるラヒリの母語は英語です。長年のイタリア語への愛と、数年間のローマへの移住によって、この難しいミッション(というか「夢」でしょうか)を果たしたようです。

話がずいぶん跳んでしまいました。ウクライナとロシアに戻ると、文字は同じキリル文字、でも言語としては違うもの、類似性はあるけれど同じ言語の範疇には入れられない、という理解でいいのでしょうか。

『ペンギンの憂鬱』のクルコフはロシア語で書くウクライナ人作家ということですが、では政治的な立ち位置はどうなのか。ロシア語を使うからといって、つまりロシア系ウクライナ人だからと言って、親露派ということになるのか。そこのところはわかりません。でもロシア語が母語であれば、多くの影響をロシア文学やその他のアートから受けてきた可能性はあるし、日常的に読んでいる新聞などの情報源は、ロシア語のものかもしれません。

再度、沼野さんの「訳者あとがき」を見てみます。クルコフは「ロシア語で書くウクライナの作家」と自任しているそうで、似た状況にあるゴーゴリとの違いを沼野さんは指摘しています。ゴーゴリの方は「ウクライナ出身だがロシア語で書くロシアの作家」と言っていたそう。沼野さんによると昨今(2004年時点)ウクライナの民族意識が高揚し、ウクライナ語以外の言語で書く作家の立場が厳しくなっているとのこと。ウクライナ語で書かない作家は、ウクライナの作家ではない、といった民族主義的な風潮が広まりつつあると書いています。

クルコフの立場はこうです。

ウクライナ語だけでなく、ロシア語、クリミア=タタール語、ハンガリー語もウクライナの地で「文学の言葉」として使われている以上、いずれも「ウクライナ文学」の大切な構成要素と考えるべきだ(後略)

『ペンギンの憂鬱』訳者あとがきより

日本語に訳されたものを読む人間にとっては、原典がウクライナ語だろうがロシア語だろうがハンガリー語だろうが、あまり影響はなさそうだけれど、クルコフの言っている意味はよく理解できます。

沼野さんによると、(ウクライナは広いので地域によって言語の状況は変わるが)少なくともキエフ(キーウ)は、ウクライナ語とロシア語のバイリンガル都市であるとのこと。二つの言語が拮抗しているそうです。

バイリンガル都市!

そんな場所があるんですねぇ。バイリンガル人間は聞いたことがあるけれど、バイリンガル都市とは。

『ペンギンの憂鬱』は不思議な感触のある面白い作品ですが、ときどき?なことがあります。最大のものは、ストーリーの中でお金の話が出てくるとき、いつもドルなのです。100ドルとか1000ドルとか。主人公は売れない小説家で、新聞の(まだ死んでいない大物人物の)追悼記事を書く仕事をしています。報酬としてやりとりされる通貨はいつもドル。それ以外の日常のシーンでもドルが使われていて、ドル札の束が出てきたりもします。

ウクライナの通貨を調べてみたら、フリヴニャ(UAH)とコピーカ(補助通過)だそうで、1UAH=3.85円(2020年)とか。旅行者にとってはドルかユーロが便利で、これがあればウクライナのどこででも両替に困ることはないそう。ただ今の(終わりまであと20ページくらい)ところでは、これらの現地通貨は出てきません。まるで市民はドルで日々暮らしているような印象さえ受けました。

読んでいてすごく気になったので、読書投稿サイトをのぞいたりアマゾンのレビューを見たりしたけれど、誰もこの点について特に問題視していないようでした。

街の呼び名の変化から一つの国の使用言語、通貨まで、フラフラとあっちへこっちへとさまよってしまいました。

紛争後、いろいろな立ち場で書かれた情報を読むようにしてはいるのですが、この問題についてまだまだよくわからない状態が続いています。それもあってウクライナ人作家の小説を読んでみた、ということなのですが。ただこの小説はずっと前に書かれたものだし、政治的な小説とは(たぶん)言えないと思うので(最後の20ページに差し掛かったあたりから不穏な空気に包まれますが)、その意味で特に参考になったり、今の状況を理解するヒントにはなりません。それでも「訳者あとがき」からは、いくつかのことがわかりました。ウクライナ語とロシア語の現況についてなどです。

ちょっと思ったのは、この本の帯には現在「不条理で物語にみちた新ロシア文学」とありますが、出版社の新潮社は今後は、「不条理で物語にみちたウクライナ文学」に変えるかも?と。ウクライナは現在、世界中で最も検索される言葉かもしれず、ウクライナという国を知らない人はほぼいないはず。以前なら「新ロシア文学」とした方が、多くの人の興味を引いたかもしれないけれど、今なら「ウクライナ」じゃないかな。

* ロシア語話者ながらクルコフは、ツイッターの発言を見る限り、親露派ではないようです。ウクライナ人の作家やサッカー選手の不遇の死について、ロシア軍侵攻による街の惨状などを画像入りで伝えています。使われている言語は英語でした。

*恵比寿駅の案内板にあったロシア語の乗り換え案内の文字が、紙の覆いをかぶせて見えないようにしてあったそう。乗降客からロシア語が不愉快だという苦情があったため。が、SNSでそれは差別につながるという意見が出てきて、恵比寿駅は覆いを取り外して謝罪したようです。キリル文字=ロシア語と思ったのでしょうが、ウクライナ語もキリル文字。ウクライナ語とロシア語の語彙は62%の共有率とも言われているそうで、案内板の文字を隠すという行為は、日本に住む(いる)ウクライナ人にとっても不便な要求になってしまった可能性もあり。クレーマーの人もJRの人も知らなかったのでしょうね。JRの見識の低さ(乗り換え案内の文字を隠すなんて!)にもびっくりです。いったいどんな考えで公共の駅というものを管理しているのでしょう。(NHK Podcast4月14日のニュースから)


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