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[エストニアの小説] 第7話 #4 お伽話(全10回・火金更新)

 「きみはいい子だ」 そうニペルナーティが嬉しそうに言った。「だけどわたしがきみのところに来ることはないだろう。とはいえ、年老いた船乗りは海を越え陸を越えたずっと北の土地、地球の端っこギリギリのところできみを待っているだろう。一つの船がそこで沈んだ、ずっと北の土地だ。そして老いた船乗りを岸に打ち上げた。だけど船乗りはもう年老いていて、ふるいか何かみたいに顔がシワだらけだ。船乗りは苔と白樺で作った小屋に住んでいて、その頭上には星々とオーロラが輝いている。来る年も来る年もそこで暮らし、そして待つ。で、いいかな、ある朝のこと、大きな太鼓の音と戦闘笛を耳にして目を覚ます。船乗りは固唾を飲んで、小屋の入り口へと走っていって、そして見た。アラブ馬とたくさんのラクダが、シバの女王の隊列が、こちらに向かってやって来る。兵士たちの金色の盾が太陽に反射して、尖ったヘルメットの群れが森みたいに塊になって突き出ていた。しかし兵士たちの中央には、12人の黒い肌をした奴隷たちが担ぐ象牙の輿があり、その輿には、ブルーのサファイア、赤い碧玉(へきぎょく)、緑のエメラルドの輝きに包まれた女王がすわっていて、春の陽光のようだった。すると老いた船乗りは目をくらませ、小屋の前で崩れ落ちて膝をつき、目をおおってこう叫んだ。「偉大なる神よ、この夢を覚さないで。シバの女王が俺のところに来るなんて、あり得ないことだから」 夜が来て、隊列はテントを張り、あちこちに焚き火を起こし、そこでご馳走をつくった。しかし女王は輿を降りると、話をはじめた」
 「その女王って誰なの?」 唐突にマレットが尋ねた。
 「きみのことだよ、もちろん」 ニペルナーティが言う。「きみは輿を降りるとこう言う。『わたしの隊列が焚き火のまわりで休んでいます。あなたはキャラバンと財宝が見たいのでは? 見てごらんなさい、わたしのテントはシルクとオフィルで採れた金とアルガムの木でできています。兵士たちの盾は純金製で、どれも600シケルの重さがあります。奴隷たちはヘルメットをかぶり、それは1キロ半の金でできているの。さあわたしを見てごらん、あなたのからだ中の血が泡立つのでは? 幸せのせいで口を開いて、声をあげるのでは? わたしは若い雄ジカみたいでは? エンゲディ(「子ヤギの泉」の意で、イスラエルの町の名)にあるブドウ園の熟れたブドウの房みたいではないですか? わたしは庭園の噴水や、あなたの渇いたくちびるが求める泉のようではないですか?』 そしてわたしはきみを見て、その美しさで目がくらみ、こう答える。『そなたに幸せを、名高いシバの女王よ!』 ところがきみのくちびるが、秋の風に触れられたように、突然震えだす。涙が目に溢れ輝いて、こう尋ねる。『わたしにもう言うことはないのですか?』 わたしはきみのコートの真珠の刺繍にキスをして、こう答える。『あなたを愛しています、あなたがシルバステ海岸の貧しい漁師の娘だったときから、ずっと愛しています』」

 マレットがニペルナーティの膝から自分の手を引いた。そして震える声で尋ねた。「いまもシルバステ海岸の貧しい漁師の娘なのに、どうしてそんなことが言えるの?」
 しかしニペルナーティの目線は、窓の方へと向いた。外では柔らかな雪が降っていて、浜辺は白く覆われていた。
 「いや、そうじゃない」 ニペルナーティは不機嫌そうに言う。「これはちょっとしたお伽話だ。きみはシバの女王じゃないし、わたしはユダの王のソロモンじゃない。きみが意味なく海岸で真珠探しをしてるって、どれだけわたしに言わせるんだ?」

 マレットはニペルナーティの方へ歩み寄ると、その頭に手を置いてこう言う。「話をつづけて、トーマス。船乗りがそう言ったら何が起きたの?」
 ニペルナーティはベンチから立ち上がると、部屋の中を行ったり来たりした。
 「いや、いや」 ニペルナーティが不機嫌そうに言う。「わたしはお伽話は得意じゃない。王たちの物語に書かれていることをただ話してるだけだ」
 「次に何が起きるか、いいたくないのね」 マレットが強い調子で言った。ニペルナーティはマレットに背を向け、答える。
 「聖書に書いてあることを自分で読めばいい。シバの女王がユダの王、ソロモンを訪ねていく描写がある」
 ニペルナーティは帽子をとると、外に出ていく。が、マレットは聖書を繰りはじめる。ニペルナーティは浜辺を長いこと歩きつづける。雪は止み、浜辺は暗くなっていった。柔らかな雪の上に、大きな足跡が残されていく。ニペルナーティは肩越しにそれを見て歩いた。海は黒く、空は灰色で、漁師の小屋は雪の中に、ほくろのようにポツンと立っている。煙突から、灰色の煙がまっすぐに登っている。

 夜になって、ニペルナーティが小屋に戻ると、マレットがベッドの中で泣いているのを見つけた。
 「ほら見たことか」 ニペルナーティは父親のような口ぶりで言った。「お伽話などするんじゃなかった。きみはおかしな子だ。誰かが話をすると、きみは全部信じてしまう。お伽話でさえ、本当のことと思ってしまう」
 「お伽話のせいじゃない」 マレットが涙声で言う。「あんたが悪い。あんたがあたしを苦しめて、あたしを放っておく。友だちとして近づいたら、あんたはあたしを追い払って、ヤーノスに押しつけた。お伽話さえ終わりまで話してくれない。聖書を読めばいいと言う。だけどカバの木の小屋や年老いた船乗りのことなんかどこにも書いてない。あたしが森であんたの寝床を壊したから、こんなことをしているんだ」
 ニペルナーティはマレットの隣りに腰かけると、波打つ髪をなで、ため息をつく。「きみは全く、エンゲディのブドウ園の熟れたブドウの房みたいだ」 ニペルナーティは真面目な調子で言った。「きみはカラスの子のくちばしみたいなワシ鼻と若い雄鹿の目をもってる。だけどきみはわたしを理解しなければ、マレット。いいかい、1ヶ月以上も、わたしは船からの手紙を待ちつづけている。それなのにまだ手紙は届かない。船はわたし抜きで海へ出てしまい、仲間の連中は、わたしのことをすっかり忘れてしまったんだ。海が光る氷で覆われて、白い平原が永遠につづいているときに、わたしはここで何をしたらいい? 仕事もなくここで暮らせば、きみのところの食糧をわたしが食い潰すことになる」
 「海になんか行かないで!」 マレットがそう叫んだ。「代わりにヨストーセの森で、丸太の切り出しをしたらいい。ここからそんなに遠くはない。あたしは毎週土曜日にあんたがここに戻ってくるのを待って、月曜の朝には森に送りだす。冬はそんなに長くはないから。ある日、春の風が吹いてきて、氷の割れ目が海の上にできて、白い平原みたいな氷は遠くに流れていく。そうしたら海はまた青緑色になって、太陽の光があたりを覆うようになる。そうしたら父さんとあんたは網を持って海へと出ていく」
 「いや、だめだ」 ニペルナーティが言った。「船乗りが木を切るなんて、小屋に住むなんて似合わない。漁師かヤーノスのような男たちがすることだ。船乗りは船の上が家だ、揺れる海に出ていることが幸せなんだ」
 「やっぱりね」 マレットがまた頭を枕に突っ込んだ。「やっぱりそうなんだ、あんたは悪いやつ、あたしのことなんかどうでもいい。あんたがヨストーセの森に行って、ヤーノスの相棒になると信じてた。ヤーノスの相棒は年寄りで、ノコギリを引いたり斧を持ち上げたりがもうできないって、あたしは聞いたんだ。それに丸太積みより、賃金もずっといいって。どうして森に行って働こうと思わないの。新しい靴だって買えるし、新しい服だって買える。船の人たちは、そんな格好のあんたを船に乗せたりしない。だけどわかってる、あんたはあたしのことはどうでもいいんだ。だからここを出ていこうとしてる」
 「そんなことはない」 ニペルナーティが悲しげに言った。「きみはジュニパーの根っこみたいに頑丈で、胸は火打石みたいに固い。だけどわたしは船乗りだ、やつらはわたしが船に乗るのを待っている。きみを、わたしの可愛いカラスの子をどこに残していったらいい? きみは長いこと待たなくてはならない。冬の間、そして夏も待つことになる。そうしたらわたしは緑色のドル札で財布をいっぱいにして、海から戻ることになる。そしてきみの小屋の前に立って、こう呼びかける。『マレット・バーという娘はここに住んでいるかい』 きみは気づく、わたしは偉大なる主で、きみの小さな小屋には入れない。わたしはこの娘に少し言うことがある。もしこの娘が家にいるなら、自分を恥じることはない、外に出てくるんだ。船長自らがこの娘に話かけることがある。『あー、あたしの、あー、あたしの』 きみは声をあげ、ショールを肩にかけ、走り出てきて、そして立ち止まり、わたしを恐れをもってじっと見る」

 「ちがう、ちがうってば」 マレットが遮る。「あたしは恐れてなんか全然いない、あんたが入り口に立ってるのを見て、あたしはあんたの首に手をまわしてこう言う。『ちょっとちょっと、ニペルナーティは何を自慢げにあれこれ言ってるの。あんたはここの小屋に入れたし、今だって充分入れるの』 だけど船長やら偉大な主やらの話はないの!」
 「で、わたしはこう答える」とニペルナーティがつづけた。「きみの戯言などいかほどでもない、ほら、港にいるわたしの立派な船が見えないのかい? そうだろう、そうだろう、きみの目は節穴だった、きみの思い上がりはここへきてぺしゃんこだ。わたしは船長であり、主であり、もしマレット・バーというこの娘が火打石みたいな固い胸をもっているなら、ジュニパーの根っこみたいなからだであれば、わたしと一緒に外国へ行くことになる。船乗りの生活がどんなものか、きみに見せてやろう。一緒にすぐに、来なければならない、船長はこの娘のために来たのだから。こんな風に、わたしは言うだろう」

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'The Queen of Sheba' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


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