[エストニアの小説] 第7話 #5 カテリーナ叔母さんとマレットの真珠話(全10回・火金更新)
「だけどマレットはこう言う。あー、この自慢屋のクマの子は。あたしはあんたと船に乗ったりはしない。あんたの古い荷船はいくらなの? 100クローンの価値もあるもんなの? こんなものはここの海岸にいくらでも転がってる、誰も気をとめたりしない。代わりにあたしのところの小屋に来たらどう、見た目、ボロボロで粗末な小屋に、嵐で屋根があちこちすっ飛んでる小屋にね。だけど中に入って見てごらん、びっくりしてのけぞるようだったら、あんたは男じゃない。あんたが海をさまよっているとき、マレットは浜辺で真珠の山を見つけて、それは浜辺の土や砂と同じくらいたくさんあったんだ。マレットはそれを見つけて、小屋に持ち帰った。トーマスの目をくらませ、船長として家に戻るという思い上がりを潰すためにね。船長はひとたびあたしの小屋の中を見て、恥ずかしさから床に崩れ落ち、こう言う。『ああ、マレット、わたしの荷船について自慢したことを許してほしい。あんなものたいした価値もない、あれは海でユラユラしていたただのヒビの入った桶だ』」
「なんてことを」 ニペルナーティがもどかしそうに言った。「バカバカしい真珠の話なしに、きみは話をすることができないのか? わたしが何度も言わなかっただろうか? 海が真珠を岸に洗い流すことはない! 頭の悪いご婦人か宝石商が真珠を手に海底に沈没したとしても、宝石はそこから動かず、神様だって手をつけやしない。きみとは良識ある話というものができない、きみはいつも真珠のバカげた話をしてばかりで、わたしの気分を台無しにする。わたしの知るある男は、川に行って真珠を探そうとするくらいのアホだった。そいつはロシアの女帝カテリーナの時代に、川で真珠を採った人がいるという本を読んだことがあったからだ」
「あんたの船や船長の話のどこがマシなの?」 マレットが腹立たしげに訊いた。
「船や船長についてのわたしの話だって?」 ニペルナーティが驚いた。「だけどそれはただの話じゃない、本当のことだ。わたしが海から戻ったら、起きることなんだ。もし心から船長になりたい、どうしてもなりたいと願ったら、船乗りが船長になれないなんてことがあるだろうか。あらゆる学校とか機関や施設はそのために存在する、まさにね。そしてひとたび船長になったら、船をもつことは奇想天外でもなんでもない。船長はいい金を稼ぐ、そして何年か精を出して働けば、自分の船を港につけることなど簡単だ。なぜそういうことが、わたしにも起こらないと言える?」
「だけどそうしたら、あんたは10年とか20年、ここに戻ってこないんだよね?」 マレットが悲しそうに訊いた。「そうだな、誰にもわからない」 ニペルナーティが考え深げに言った。「わたしが船長になりたいとすれば、時間がかかるだろう」
マレットは手をニペルナーティの髪に入れると、腹をたててクシャクシャにかきまぜた。
「あんたっていうのは、そういうやつなんだ!」 マレットは目を光らせ、鋭い調子で言った。「あんたは20年の間にやって来て、あたしの胸が今も火打石みたいに固いか、ジュニパーの根っこみたいにからだが頑丈か訊くんだ。あたしをバカにしようとして来るんだ、あたしの年をあざけるために。あたしはそのときにはババアになってて、息子たちが漁の網をもって海に出ているってこと。なんであんたは自慢をしに、ここに帰ってくる? 誰があんたの船や船長の身分を気にする? あんたはどんだけみじめで、運が悪いんだろう。あんたはここを離れたがってる、そして20年のうちに帰ってくるって。だけど帰ってこないほうがまし、あたしは息子たちに、あんたを野良犬みたいに捕まえてくるよう言いつける、そして自分であんたを罰したい!」
マレットはニペルナーティの髪を腹たち紛れにかきまぜ、蔑むように突き放した。
「ちがう、ちがう、何を話せばいいのか」 マレットは心乱して言った。「あんたは風みたい、しっかりしがみついてるしかないんだ」
そしてまた、目に涙をため、枕に頭を押しつけてすすり泣いた。
ニペルナーティはマレットのそばを離れ、部屋を歩きまわり、震える肩を見てまた戻ってきた。
「マレット」 ニペルナーティは優しく言った。「わたしはまだここを出ていかない、きみを見捨てるなんてことはしない。だけどどんな男も、何者かになりたいと一度は思うものだ。船長だったり、農夫だったり、船主だったりね。このことは別に悪いことじゃない、そうだよね。それともきみはこのみすぼらしい小屋に、一生住んでいたいと思ってるのかい? いいかい、来る年も来る年も、この煙でくすぶる低い天井の、オオカミの目の窓をもつ、冬の嵐がヒューヒュー吹きつけるこの小屋で。ここにいれば、きみはすぐに年とって髪は白くなり、鋭いタカの目は春の吹雪のあとみたいに霞んでぼんやりしていることに気づきさえしない。今はまだ、きみは若い、浜辺や森できみは時間を過ごす。だけど息子が生まれたりすれば、この殻の中に引きこもり、十分な空気も光も手にできない。いいかい、マレット、だからわたしはここをすぐにでも離れなくては、と言ったんだ。もちろん10年、20年ということではないが、1年はかかる。もっとたくさんのお金を手にいれる必要がある、どこかもっと運がある場所に行ってね。ヨストーセの森で丸太を切るより大きな運だ。船乗りとして海に出ることはおそらくない、結局のところ。実際のところ、ここできみが悲しげにしているのを見ていると、わたしの気分も海への意欲も落ち込む。以前は、海を突っ切っていったものだ、外国の土地や人々を見てまわった。どれくらいの間、わたしは世界をさまようことが可能か。わたしが仲間に呼びつけられなかったことは、いいことだった。今、手紙が届いたとしても、封を切ることもないだろう。船酔いするのは嫌だ、死ぬよりつらい。それに船乗りの給料はいいってもんでもない。ほんの数クローン手にして、ウォッカやタバコのために使う。いや、そりゃない、わたしはもっと別の運を見つけなければ」
「ペイプシ湖に住む叔母がいる、カテリーナ・イェーという名だ。金持ちで、船や荷船、網をもってる。20人もの漁師が叔母のところで働いている。3人の船長が、エマヨギからペイプシへ、ペイプシからエマヨギへと、お客や荷や魚を積んで、叔母の船を走らせている。ムストベーの浜のことを聞いたことがあるかい? そこにわたしの裕福な叔母、カテリーナ・イェーが住んでいるんだ。叔母はもう相当な年で、目は炎症を起こし、背中は曲がり、歯のない口ではまともに話すことができない。たくさんの召使いたちに命令したり、指示を出すときには、モゴモゴとあれやこれやとつぶやいてる。叔母はいつもわたしを家に招いてくれて、こう言っている。『トーマス、もう十分にあちこち回ったんじゃないのかい? わたしのところに来て、召使いたちに指示をしておくれ。だけどわたしが死んだら、財産はあなたのものだからね、もちろんのこと』 だけどわたしは生意気で、こう返した。『いや、まだです、十分に世界をまわったとは言えない。まだあなたのところに来たくはない。もう何年か待ってください、あなたの100歳の誕生日には戻ってきますから。だけどもしその時まだ、わたしが帰らなかったら、さらにもう何年か待ってください。わたしはあなたの125歳の誕生日には、必ず戻ってきますから』」
「で、そのときがやってきた。わたしの叔母、カテリーナ・イェーはきっと苔の生えた切り株になってる。わたしが今行って、叔母の家のドアをくぐると、大喜びするのは間違いない、わたしのやることと言えば、財産を受け取ることくらいだ。わたしは叔母の唯一の親戚だ。牧師も教会も叔母に近づくことはできなかった。だけどまだそのとき叔母は死なないということも起こり得る。そうであれば、わたしは叔母と1年間、一緒に暮らす。船長たちに命令を下し、漁師たちに指示を与え、小切手を現金化する。そんな風にそこで暮らして、わたしの愛する叔母、カテリーナ・イェーが目を閉じて、永遠の眠りにつく日がやってくる。120歳まで生きたという人のことを聞いたことがあるからだ。だけどそれより長く生きた人のことは、まだ聞いたことがない。だからわたしにはわかる、1年のうちに、わたしがここに戻るだろうとね。だが破れた靴と破れたコートで戻ってはこない、落ち葉で寝床をつくろうと森に行ったりはしない、わたしにはどこの小屋のドアをノックしたらいいかわかっているからね。わたしのすべての船や荷船、網、わたしの船長たち、漁師たち、召使いたちを、一緒に連れてここに来るんだ。マレット・バーの小屋に入る前に、こう言う。『ほら、まだ1年はたってない、でもわたしは戻ってきた。おいで、愛するマレット・バー、おいで、わたしと家を建てたいかどうか、向こうの松の木の下に大きくて頑丈な家を建てたいか、教えてほしい。きみがもし来るなら、父さんも連れておいで、年老いたシーモン・バーを、一緒にね。まだ父さんは斧を持ち上げることが、少しはできるだろう』 1年のうちに、わたしが戻ってきたときに言う言葉がこれだ」
「だけど、わたしならこう返すだろうね」 マレットがニペルナーティの声色を真似て言った。「こう返すの、『いいえ、愛するトーマス、あたしは松の木の下には行かないし、父さんを連れてもいかない。あんたはもう見知らぬ人、おしゃれな靴をはいて、黒ラシャのコートを着てる。そんな男は見たことないし、知らない。1年前に、一人の男がここに住んでたけれど、その人は惨めで貧しかった、破れた靴から10本の指が全部見えていた。その男は擦り切れたコートを着て、汚いズボンをはき、シャツはといえば、それがただの布切れなのかシャツなのか見分けがつかなかった。あたしはその惨めな男を愛した。その男の小さな小屋で、あるいは木の根っこのところで、一緒に暮らしたいと願っていた。でも目の前にいるあんた、それは知らない人。だめだめ、あんたが立派な船を持ち、人に命令を下すような人だったら、いったいどうやって愛することができる? わたしと過ごす時間なんかないにきまってる。あたしには頑丈な二つの手がある。この手であたしは一生を送ると思う。この手で自分を養って生きていける。それ以上のことは望まない。そして大きな夢が、望みが現れたら、浜辺に何度も走っていく、海が何かあたしのために運んできてくれてるかもしれないから。そして風と一緒に走ったら、家に戻って自分を励ます。昨日も、今日も、何もなかった。でも嵐はすごく強くて波はとても高かった、だから明日までに真珠の山を届けてくれるに違いない。それがあたしの知りたいことなの』」
'The Queen of Sheba' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku
Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)
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