見出し画像

[エストニアの小説] 第7話 #6 ヨストーセの森(全10回・火金更新)

 「きみは夢見る乙女だ、空想家だ」とニペルナーティが、がっかりしたように言った。
 「あんたのカテリーナ・イェーとたくさんの船とおんなじようにね」 そう言ってマレットが笑った。
 ニペルナーティが怒って鋭い目でマレットを見た。「きみは考えてもみないだろう? わたしのカテリーナ・イェーの話は、きみを煙に巻くための作り話だってことを」
 「そんなことわかってる」とマレット。
 「そうか、きみは悪い子だ」 憤慨するニペルナーティ。「きみはものごとを信じない。神聖なものがないんだ。わたしのことをあざ笑ってるんだろうね、わたしの貧しさを喜んでさえいる。わたしは本心をきみに伝えてきた、わたしの一番の秘密をきみに教えた。わたしはペイプシ湖に住むカテリーナ・イェーのことだけを語っていたわけじゃない。きみにだけ、わたしの愛するきみに本当のことを言ったのに、きみは笑った」
 ニペルナーティはまた部屋をイライラと歩きはじめた。深いシワがその額に現れた。「くそっ」 ニペルナーティが怒鳴った。「きみはわたしの話を信じないんだな? わたしは今日にでも、叔母のところに手紙を書かなくては。そして荷を積んだ船をここに送るよう告げる。そうすればきみは、わたしが本当のことしか話してないとわかる」「だけど川は凍ってるし、船はここには来れない」とマレット。
 「川は凍ってる」 ニペルナーティが残念そうに復唱した。「そして船はここに来れない。だけどね、マレット、わたしと一緒に来れば、自分の目で、ペイプシ湖にどんな船があるか見ることができる。口答えはしないで、きみはわたしと一緒に来るんだ。そうすればわたしが嘘なんかついてないことがわかる。そこには叔母がいる、たくさんの船がある、網がある、荷船がある、船長もいる。わたしが少し誇張して言ったことがあるとすれば、それはカテリーナ・イェーの年のことだ。実際のところ、叔母はそこまで年とってはいない。だけど女性の正確な年齢など誰が教えてくれる、あるいは出生証明書を見せてくれる? 叔母は多分60歳、あるいは80歳、だが100歳かもしれない。女性の年齢というのは、神の偉業みたいなもの、誰も確かなことは知らない。だがカテリーナ・イェーの年齢は重要ではない。大切なのは叔母が今もそこにいることだ。叔母の船や財産と一緒にね」
 ニペルナーティはマレットの方へと歩いていき、こう言った。「わたしの叔母のことを信じたかな、それとも誓いを立てなくちゃいけないのかな。もしきみがわたしを信じないというなら、聖書に手を置いて、こんな風に、わたしが神聖と思うすべての名のもとにこう誓う。わたしの叔母、カテリーナ・イェーはペイプシ湖のそばのムストベーに住んでいます、叔母はたくさんの船、荷船、網、その他の財産をもっています。マレット、わたしに誓ってほしいかい? なんできみはそんなに疑い深いんだ。なんでわたしのことを信じようとしない。わたしの言葉のすべてが風に吹き飛ばされるとしたら、きみとどうやって小屋で暮らせる? わかったよ、マレット、聖書に誓うことは構わない、だけどわたしがここを出ていくときには、きみはわたしと一緒に来るんだ。いや、いや、今出ていくわけじゃない。きみの父さんは、きみなしでも生きていけるよ。それほど長くいないわけじゃない。あと2、3日、それについてもう少し書いたり考えたりしたところで、ここを出ていこう。わたしのそばにこんな可愛い女の子がいたら、叔母がどれほど喜ぶことか、きみにもわかるよ。叔母はずっと言い続けてきた。『トーマス、どうして結婚しないの? それをもっと引き伸ばそうっていうなら、あなたは年をとるばかりで、いい子はあなたのところにはやってこなくなる』 こんな風に叔母はわたしに言ったんだ」
 「わかった、あんたの叔母さんのことを信じる」とマレットは言い、立ち上がって、ニペルナーティの方へ歩み寄った。
 マレットはニペルナーティの目を覗き込むと、からだを寄せてこう言った。「でも叔母さんのところには、あんた一人で行って。丸太切りにヨストーセの森に行きたくないなら、叔母さんのところに行けばいい。だけど忘れないで、1年過ぎて、さらに2年、3年たっても、あたしはここであんたを待ってる。貧乏のまま戻ってきても、あたしは嬉しい」
 マレットは突然、ニペルナーティを追いやると、ベッドに飛び乗って泣き始めた。
 
 マレットは多くの時間を外で過ごした。最近はあちこちへと出掛けていった。今日はリストマエ、明日はシルバステ、あるいは浜へ、森へと。
 マレットはいつも頬を染めて走っていたが、夕方、家に戻るとむっつり黙っていた。ニペルナーティがその行ったり来たりのわけを尋ねると、蔑むような目つきで口元に笑いを見せてこう言った。「別に。ただカテリーナ・イェーの素敵な船がペイプシから来てないか、浜に見にいっただけ。あんたの自慢の叔母さんの立派な船が来るのを、すごく楽しみにしてるんだから」

 ある朝、マレットは白いスカーフを頭に、新しい靴をはいて、と着飾ると、ヤーノスに会いにヨストーセの森に行くと告げた。
 「背の高い松の木が雪の中にドサリと倒れるのは、面白いでしょうね。ヤーノスがそれをどうやってるか、見てこなくては。あたしを雇ってくれるかもしれない。仕事もなしで、ここであたしたち3人がいつまでやっていけるか。冬は長いし、食いぶちがいるのに、男たちは知らん顔」
 マレットは父親が止めるのも、説教するのにも注意を払わず、ニペルナーティの方を軽蔑の眼差しで見た。
 「あの子は思い違いをしてる」 娘が出ていくと、年老いた漁師が言った。
 「ヤーノスのことを好きなんじゃないかな」 ニペルナーティが不満げに言った。「そうじゃなきゃ、あんなに着飾っていくことはないだろう」「そう思うのかい?」と老漁師が元気づいて尋ねた。「そうであるよう、神に祈ろう。もう何年も、あの子にヤーノスと一緒になれって言ってきたんだ。俺は年老いた、もう多くのことはできん。そしてあの子の言うことは正しい。食い扶持は必要だ」
 マレットは夕方に帰ってきた。上機嫌だった。服を着替えながら、飛びまわり口笛を吹いていた。
 「ヨストーセの森は美しかった」 マレットは楽しげだ。「森の木は雪をかぶって、背の高い松やトウヒが倒れると、雪が雲みたいに舞い散って。あたしは丸太切りを1日中見ていた。ほんとにいい眺めだった」
 「だが森にはそれほど雪はない」 ニペルナーティが反論した。「ほんの少し雪は舞って、すぐに消えてしまう」
 「そう思う?」 マレットがイラついて訊いてきた。「すごく変なことよね。この浜にはまだ冬が来てないけど、ヨストーセの森はずっと深い雪におおわれている。ノコギリのシューッっていう音、斧のドスンという音を1日中、あそこでは聞くことになる。森で30人以上の作業員が働いてる。夜になると大きな焚き火をたいて、煙がモクモクと空に登っていく。あんな素敵な眺めは見たことがない」「だけど夜を過ごしてはないじゃないか」とニペルナーティ。「どうやって焚き火の火が燃えるのを見たんだ?」
 「ヤーノスが教えてくれた」 マレットが怒って答えた。「ヤーノスは自分の話していることがわかってる。ヤーノスは叔母さんだの船だのの自慢はしたことがない。自分の強靭な腕を見せて、こう言った。『見てごらん、叔母さんの財産なんかよりずっと価値がある』 それからあたしを呼んで、ヨストーセの森にはあたしにできる仕事があるって。切った木の小枝を集めて積み重ねる仕事。春までその仕事はあるって。まきを積んで焚き火にする仕事もあるって。古い手袋と靴をもったら、すぐに森にもどるの」
 「ヤーノスのいるヨストーセの森へだって?」とニペルナーティが訊いた。
 「そのとおり」 マレットは嬉しそう。「ここにどんな仕事があるっていうの?」
 しかし何日か過ぎ、マレットは森に働きに行くことを口にしなくなった。ニペルナーティのそばを通るとき、ブツブツと不平を言うだけだった。ニペルナーティは昼も夜も、何か書きつけていた。そして書き上げたものをポケットにしまうと、安堵のため息をついた。来る日も来る日も、ニペルナーティは出ていくことを口にした。ときに何も言わずに、リストマエに向かい、しかしまた帰ってきた。

#7を読む

'The Queen of Sheba' from "Toomas Nipernaadi" by August Gailit / Japanese translation © Kazue Daikoku

Title painting by Estonian artist, Konrad Mägi(1878-1925)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?