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ひっつかむ


#創作大賞2024 #お仕事小説部門

目黒から品川、品川から総武線に揺られて50分、千葉を経由して、さらに外房線、内房線、総武本線、成田線と線路は伸びている。
高度経済成長期、農村部から都市部へと流入した人々は、東京都の中心部では収まりきらなくなり、東京オリンピックで高騰した土地は労働者には手の届かないものとなり、吐き出された人たちは当然の帰結だが埼玉、千葉のどちらかの県へと落ち着き先を求めることになった。職場の近さで千葉、を選んだ私の両親、のもとに生まれた私は成長し、進学、就職の時を経て、この千葉から東京へ向けた路線の上で揺られることになるのだった。
私が学生服を着ていた頃、レールの上の人生なんてまっぴらごめん、というフレーズが歌謡曲やロックの歌に乗せて何度も繰り返されていた。
そう歌い叫んでいるその人が、実は生まれも育ちも裕福な家であったことは、ずっとずっと後になって知った。
レールの上の人生。
本当に、まっぴらごめん、だろうか。
さあ。
レールのない人生に比べたら、あらかじめ敷かれたレールがあるなんて、なんて恵まれた人生なのだろうと、今は思う。
それに、どんなレールであるかも、乗ってみるまでは、わからないだろう。
ビュンビュン飛ばす快速か。それとも数十分遅れの鈍行か。
どんなにゆっくりな電車でも、途中下車を余儀なくされるよりも、ずっといいだろう。
電車はどんどん伸び広がり、臨海部の工業地帯を走り、澱んだ空気や騒音から目を背けるためか、神奈川まで続く橋や、娯楽施設を途中途中に置く。山を切り開き、土地を切り刻み、幾つかの建売住宅ができて、下り電車のその先の、無人駅しかなかった田舎にも、ニュータウンができた。
そういうときに、中学を卒業し、高校を卒業し、大学に進み、就職活動に差し掛かり、その後。
待っていたはずの、「レールの上の人生」は、いつのまにか消えていた。
気がつけば、レールはどこにもなく、くるはずのない電車を、バスを、私はずっと待つことになった。
真面目に働けば、何とかなると信じて、来るはずのない電車を、バスを待ちながら、とりあえずは千葉を経由して、総武線快速に押され、もみくちゃになりながら品川へ辿り着き、山手線に乗り換える。
やりきれない、そんな思いを持ったら、この旅は終わってしまう。
電車も、バスも来ないのだとわかってしまう。

必ず来るはずの、今まで見たこともないレールの上の人生を待つ「ふり」を続けるために、私には必要なことがあった。
誰にも迷惑をかけず、私自身の生活を脅かすことのない程度に、必要なこと。
それは、駅ビルの、バーゲンセールの衣類を買って帰ること。
5900円、4900円なら、何とかなる。3900円、これは買い。
今月は、飲み会が少ないから、何とかなる。
そうやって、どうしようもない怒りや、ムカつきや、虚しさを、私は、色鮮やかなセーターに変えてきた。
いいようのない不安を、夏の日差しに似合うボーダーTシャツに変えた。
先を越された悔しさを、ピンクの化粧ポーチに変えた。
頼りにしていた先輩がついにやめて栃木の実家へ戻った時には、下の階のお菓子売り場へ行って、寂しさや心細さをー、花柄のクッキーの詰め合わせに変えた。
どんなときも、絶対に忘れなかったのは、電車の時刻のことだった。
あと7分、この快速を逃したら、千葉で乗り換えなくちゃならなくなる。
どうせなら直通で帰ろう、あと25分ある。
急げ、急げ、電車が来ちゃう。
そんなに急いで買うなら明日にすればいいのに、どうしてもそれが今日ほしくて、今、買って帰りたくて、バッグから財布を出し、受け取った物をひっつかんで、ホームへ向かった私。
そうこうするうちに、数十年が過ぎ、私にはもう絶対に電車も、バスも来ないし、世の中にはてくてく歩いてもどこにもつかない人と、新幹線や飛行機で行きたいところへ行ける人との2種類の人たちがいることがわかった。そして、私はどの乗り物のチケットも持っておらず、てくてく歩いてもどこにもつかない種の側であることも。

でも、まあ、いい。まだ、歩き続けていられるうちは。

くたくたな夕暮れに乗った快速。
今日も絶対に座れないと思ってぼーっと立っていると、ふいに目の前の人が錦糸町か船橋あたりで降りてくれることがある。ふいに訪れるラッキーチャンス。
目の前に座る、同じようにくたびれた誰かが、私より先に降りてくれたら、ほんの少しだけ座って目をつぶれるなあ、ということのほうが、大切。
荒川を渡る平井大橋の上で、少しだけ遠くを見ている。
過ごしてきたたくさんの毎日が、夜の光に優しく映し出されて、流れていく。



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