[広場①]まちづくりにおける広場の役割とは
僕は、今後、せわしない都市に安らげる空間を提供する立場として「まちづくり」に関わって行きたいと思っています。
しかし、単にまちづくりと範囲が膨大です。そのため、学生の立場としてどこから何をやっていけばいいのかを模索しているところです。
そのため、今やっているところとしては、「交通」だったり、「サードプレイス」とか「観光」とか、そういう要素を1つ1つ知識をつけていって、それをnoteで発信していくことで、まちづくりへの知見を深めていこうと思っています。
今回はその中でも『広場』というものにフォーカスをあてて解説していこうと思います。
広場の変遷
文明開化以前
文明開化以前には実は広場と呼ばれるものはなかったといわれています。しかし、広場の機能をもった場所はありました。それは、「名所」「城下町」「神社の境内」このような呼ばれ方でありました。
サスペンスドラマとかで、神社の境内で遊んでいる子供たちがいますよね。今の公園などの要素は、神社の境内が担っていたのだと思います。
近代(文明開化~2000年代)
この近代という時代で広場の形を大きく変えたのは車です。車による影響は大きく分けて2つです。
1.素材がコンクリートやレンガなどの丈夫なものに変わった
2.屋外空間の人が減った
1.素材がコンクリートやレンガなどの丈夫なものに変わった
文明開化以前の広場は石や木など、昔からある日本の伝統的な材料で作られていました。しかし、車の登場により車に耐えられる材料を使う必要があり、材料が変わりました。。それにより、日本の広場は既にその材料を使っている海外の広場を真似をするようになりました。しかし、日本のような繊細な空間にはヨーロッパのような壮大な空間は似合いません。そのため、近代で広場は日本に馴染まなず少しずつ衰退していってしまいました。
2.屋外空間の人が減った
また、車の発展により徒歩の移動範囲は大きく小さくなりました。様々な駅前は交通の便を最優先し、人が滞在するための屋外空間はなく、人が移動するためだけになりました。
現代(2000~)
これからの広場は、「文明開化以前の日本らしい広場を最先端技術を用いて復活する」と思っています。
昔の広場に戻るという理由は大きくわけて2つあります。
1.外部空間の需要
2.材料の発展
1.外部空間の需要
情報革命によって部屋の中で多くのことが出来るようになりました。コロナによってこの影響はより進展したでしょう。
だからこそ、「自身の体で体験する」というものの価値が高まっています。そんなとき、自然を体験できる外部空間の広場は今後また、需要が高まっていくと思います。
2.材料の発展により可能
今日の木材の構造的な発展はめざましいです。集成材などを始め、木という材料を使えるようになりました。こうなることで、昔から日本人を作ってきた感性の中で、広場を作っていけます。ヨーロッパの真似をせずとも昔から日本の文化から作っていけます。
このような2つの理由のため、また、日本らしい広場が戻るのではないかと思いました。しかし、単に戻るという訳ではなく、今の時代に合わせて、以前の「日本らしさ」が復活されていくのかとおもわれます。
次回はこの「日本らしさ」を現代にどのように復活したのかを事例を踏まえて紹介していこうと思います。
参考資料
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