見出し画像

メディアに取り上げられない世界の日常 v.2


目まぐるしい毎日に癒しと落ち着きを取り戻すため第2弾やります。海外って全てがキラキラしているわけじゃないし、単なる国際交流じゃなくてしがらみがあるからこそ感じることもある、カオスや汚さもある、そしてその中で生きる人々がいる魅力が伝われば嬉しいです。

🍄🪵🍄🪵🍄🪵🍄🪵🍄🪵🍄🪵🍄🪵

絡まった電線は狂ったように愛おしい/北京,中国

画像1

私が旅している時に見たい風景はもちろん美しい自然、でもそれと同じくらいカオスやアンダーグラウンドの世界を覗けることを求めている。自分にとっては綺麗なモノより汚いモノのほうが想像力が豊かになる。タイムズスクエアに行った時は写真の世界がそのまま自分の目に映ったけれど、「この錆びれた建物に住む人」や「このゴミだらけの土地に毎日通う人」のことはわからない。さらに人が住んでいてインパーフェクトな世界になっているからこそゾクゾクするのだろうなぁ。

イー君の撮りたかったもの/バッタンバン,カンボジア

画像2

カンボジアの孤児院に一人で飛び込むことは当時15歳だった私にとって孤独感に溢れるものだと思っていた。しかし、そこにいる子どもたちは私にとって「助ける対象」などではなく単なる家族だった。その中でも仲良くしてくれた私の同い年のイーくんが私に向かって「そのカメラを貸して」と声をかけてくれた時があった。「彼の目に映るのはどんな世界なんだろう」「何を撮るのだろう」とワクワクが止まらない。そんな時にイーくんが一枚目をカメラに収める瞬間、私の手をとった。たった一枚で「国境だってしがらみだって関係ないんだ」と訴えかけてくれ、思いで溢れる。

私の帰路/ダルエスサラーム,タンザニア

画像3

タンザニアの私の働いていたNPOからホームステイ先までの帰路はハリーポッターに出てくる迷路のようだった。私は珍しい外国人で人々の視線を感じながら少しビクビクしながら一人で歩くのも、知らない人に声をかけられるのも、気になるものがあったらすぐに足を止めてしまうのも倍以上かかってお家に着くのも一つ一つがストーリーであった。しかし何よりも「自分はアフリカにいるんだ」と思わせてくれるアフリカにしかない自然、人、色彩すべてが私には興奮と快適さが詰まった魂のようなものを注いでくれ、ただの帰路でしかないけれど、絵本の主人公になったような気分だった。

時間よ、ゆっくり動いてほしい/桂林,中国

画像4

常に単身で海外で仕事をしている父をもつ私にとって家族旅行は聞き慣れない言葉であったが、17歳の冬、私の突とした中国放浪旅に途中から中国にいた父と日本から来た母が合流した。私の無茶振りで父と相談して母には現地に着くまで目的地を伝えず、広い中国大陸の中で向かった先は偶然インスタに出てきて行くと決めた桂林だった。大雪の北京とは裏腹にベトナムと隣接し東南アジアの匂いのする桂林で、「あそこも行きたい」「これも食べたい」と止まらない。でも何より、隣を見たら父の運転する横顔、後ろから母の声が聞こえるその居心地が私にはあまりにも新鮮で、ずっとずっとこの時間を噛み締めていたかった。次の目的地まで一旦商店に入ったお母さんとお父さんを助手席から横目にそんなことを考えて。

次の日の朝/桂林,中国

画像5

翌日、私たちしかいない民宿でお母さんとお父さんが向かい合って朝食をとっていた。このひと時で、今日も私は安全で幸せで生きれるんだ、と保障される。


🪶🕊🪶🕊🪶🕊🪶🕊🪶🕊🪶🕊🪶🕊

来年は私の目にどんな世界が映るんだろうなぁ。 
ワクワクしながら第二弾はおっしま〜い。

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?