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わいのセクシュアリティ


きっかけは、本当にたまたまだった。

ただ、そのたまたまが、自分のセクリュアリティについて考えるきっかけになった。


そのたまたまというのが、これ。



大阪大学の学生さんが作った、「anone」というセクシュアリティ分析サービス。

60個くらいの質問に応えると、2000通りのセクシュアリティから自分にもっとも近いパターンを分析してくれるとのこと。

最近、自分の恋愛観や女性としての生き方について悩んでいたこともあって。これが目に入った瞬間やるしかないと思った。


まずわいの結果に入る前に、次の4つのカテゴリについて理解しておく必要がある。


①「こころの性」

あなたが自認している性のことです。


②「恋愛的指向」

あなたがどんな人を好きになるか、そしてあなたが恋愛をどう位置付けているか、を指します。

③「性的指向」

あなたがどんな人に性的な魅力を感じるか、そしてあなたが性的な欲求をどう位置付けているか、を指します。

④「表現したい性」

あなたが「表現したい」性別のことです。表現したい性は、こころの性と必ずしも一致するものではなく、服装や、言葉遣いといった自己表現に出る性別のことを指します。

(出典:「anone」)


anoneでは、この4つのカテゴリごとに最も近いセクシュアリティを分析してくれるのだ。

そしてこちらがわいの結果。


①こころの性・・・「ジスジェンダー」

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まず、体とこころの性が一致していることに名前がついていることを初めて知った。こういう名前はセクシュアル・マイノリティにしかついていないと勘違いしていた。セクシュアル・マイノリティには分類されない、マジョリティに分類される人々の現象にも、名前がついているんだね。”普通”なんて存在しないんだっていうことを初っ端から考えさせられた。


②恋愛的指向・・・「ヘテロロマンティック」「デミロマンティック」

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どっちも初めて聞くぞ、、、どういう意味だろう?

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ほう。異性を好きになるという現象にも名前がついているのだね。ヘテロロマンティック。

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デミロマンティックは、強い信頼関係で恋に落ちることらしい。

これは、たしかにそうかもって思った。わいは人生で一目惚れとかしたことないし、する人の気持ちがわからない。普段から、人に対して恋愛感情が強く現れることはない。というか、「好き」っていう感情に、あまりならない。

なんでならないんだろう?自分は冷めた人間なのかなってずっと思っていたけど、それは自分とその人との間に形成される信頼関係に恋をしていたからなんだね。

わいは「好き」か「好きじゃないか」じゃなくて、その相手と自分の関係性に重きを置いている。だから、いきなり「好き」になることもなければ「好きじゃない」ってなることもない。

「気づけばよく一緒にいるようになってて、気づけば自分にとって大切な人になっていた。ああ、これが好きってことなのか」

という感じが、一番しっくり来る。

だから、デートを数回重ねて、どっちかが告白して、付き合って、恋人になるっていう流れが自分に合わない。それを薄々感じていたから、これを知れてすごくスッキリした。


③性的指向・・・「アセクシュアル」

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アセクシュアルってきくと、「他者に対して性的欲求・恋愛感情を抱かないセクシュアリティ」をイメージしていたけど、恋愛感情はあって性的欲求がない人もアセクシュアルに分類されるんだね。初めて知った。

そして自分のことをアセクシュアルだと認識したことはなかった(そもそも自分のセクシュアリティをカテゴリ化したことがなかった)から、この結果が出て驚いた部分もある。が、説明を読んで、しっくり来た部分のほうが大きい。

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「愛に体のつながりはいらない」のがアセクシュアル。

自分で認識したことがなかったから、あまりイメージを持てていないけど、たしかにセックスという行為そのものに魅力を感じたり、それだけをしたいという欲はあまりないような気がする。お泊り会の深夜に話すような生々しい下ネタは聞いていてあまりいい気持ちがしなかったし、そういう話で盛り上がれない自分は少しおかしいのかなあ、とか感じていたこともあった。

高1のときに初めて経験して、自分自身の心の準備があまりできていなかったというのもあって、なんでこんな変なことしなきゃいけないんだろう、人間はみんなこんなことするのか?と思ってた。なれるまで、その変な感覚はなかなかとれなくて、なんかそういう雰囲気になるのが少しこわいなあ、って思ったこともあった。

そのとき、私自身は、セックスがしたかったのではなくて、「相手の期待に応えたい」という気持ちのほうが大きかった。ここで断ったら、「必要ないって思われるんじゃないか」っていう不安が大きかった。でもそれは、今思うと自分を大切にできていなかったね。

正直、セックスという行為そのものに思い入れはあまりない。信頼できる相手とお互いの存在を確かめ合う、心理的により近づく手段としてのセックスであって、その行為だけが先走りしているときにすごく気持ち悪さを感じる。高1の時の違和感の正体はそれだったと思う。その手段は言葉であったり、音楽だったり、絵だったり、なんだってよくて。好きな人とご飯を食べるとよけいに美味しく感じたり、好きな人とショッピングにいくとよけいに楽しく感じたりするのと同じ感覚で、体を重ねて楽しく愛を感じられたら理想だな。

以上を踏まえてわたしは一般的にアセクシュアルといわれるものではない(し、分類自体は自分にとって重要ではない)けど、自分の性的指向について思考を整理するいいきっかけにはなった。


④表現したい性・・・「ノンバイナリー」

ノンバイナリーって初めて聞いた。こんな感じらしい。

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これは、まさにそのとおりだと思う。わたしは中性的なものに惹かれる傾向がある。服も人もけっこうぜんぶ。

女の子らしい服装をすることもあるけど、そういう日はなんかソワソワしてしまう。肌の露出は極力したくない。チノパンにシャツ、そしてベストにブーツ、みたいなインテリ男子大学生みたいな格好が好き。

洋服を買いに行くと、女性用の服よりも男性用の服のほうが可愛く見えてくる。私が一番好きな服装は、ユニセックスのデザインだったり、カジュアルなものが多い。お兄ちゃんが着ている服が可愛くて、たまにこっそり着ていたこともある。

またわたしは、自分の一人称がコロコロ変わる。小学生の頃は、家に帰ると自分のことを「おれ」と呼んでいた。

現在のレパートリーは、わたし、わい、わし、うち、ぼく、おれっち、、、

こんな感じだろうか。前よりも増えた。

わたしはその場の雰囲気、相手との関係性、その時に表現したい感情によってこれらの一人称を使い分けている。これは自分が”表現したい性”とも関連しているのかなと思う。

女性らしい自分を表現したいときもあれば、男性らしい自分を表現したいときもある。というか、女性とか男性とか関係ないんだろうね。


以上が、私のセクシュアリティ。

この診断を100%信じ込むわけではないけれど、こんなカテゴリがあるんだ!と知ることによって、自分のセクシュアリティについて考えるいいきっかけになった。

そして、自分は今のままでいいんだよって思えて、自己肯定感が上がった気がした。


普通な人なんて誰ひとりいない。

一人ひとり、違ったセクシュアリティを持っていて、それが当たり前になれば、多様性なんて言葉もなくなるのかも知れないね。






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