選ばないことを選ぶということ

 いまの自分に不満がある、ひどくがっかりしている。同時にそれは自分に期待をしているということでもあると思う。
 振り返ると学生時代、友達関係で悩むことはあっても、日々がつまらないと思ったことはなかった。テスト前はしんどいし、持久走の前日は本気で休む方法を考えるくらい憂鬱だったし、バイトでいびられることを思うと行きたくなかった。どの瞬間を切り取っても悩みはあったし、毎日最高とは思っていなかった。でもとびきり面白いときや楽しい瞬間があって、何かしらに興味があった。中学時代は本に夢中だった、高校時代は友達とのバカ騒ぎや生徒会活動に夢中だった、大学時代は新しい出会いを通じていろんな価値観を知るのに夢中だった。決められたルールや枠の中で、自分が少しでもワクワクを感じるほうを選ぶことが楽しかった。あのときこうすればよかったなと思うことはあっても、振り返って深く後悔した出来事はない。嫌だと感じることからは逃げたし、苦手な人からはすぐ距離をとったし、心地の良い状態に持っていくことを無意識に選んでいた。嫌な気持ちを我慢することをずっと選んでこなかった。それは私にとって心を守るすべだった。
 就職してからは驚くほどに我慢、我慢の連続だ。(給料をもらっているからという話は一旦おいておいてほしい。)こんなにも我慢をしなければいけないことが衝撃だった。いや、こんなに我慢をしている自分に驚いた。静かすぎて雑談をすること以前に声を発することさえにも怯えていること。一言も声を発さずに一日が終わったこと。上司に誰かが𠮟咤されているのを聞いて辛く苦しく感じること。周囲を伺って意見を押し殺すこと。同僚の年休取得日数にあわせて年休をとること。年休をとれない時期が多いことを諦めていること。業務量の多さを周囲のほうがもっと働いているからと辛いといえないこと。体調が悪くても熱がなければ言いづらくて働いてしまうこと。お腹すいたとか、疲れたとかそういう感情を無視してしまうこと。知り合いも増えずにどんどんひとりぼっちになっている気がすること。
 そもそも不器用だったからということもあるが、自分の気持ちにほどほどに正直に生きてきた。そのうち素直であることや自分に嘘をつかないことが心地の良い状態であると気づいた。そんな自分が好きだった。それが就職して数年、自分をごまかし続けているように思う。休日に友人に会っても口を開けば仕事の愚痴ばかりで、そんな自分が嫌であんまり人と会いたくなくなる。嫌なことを嫌だといえないこと。問題があるなら解決方法を考え行動するべきなのに現状維持でいること。嫌なことがたくさんあるのに、我慢し続けていること。初めて毎日がこんなにつまらないと感じること。そんな自分が好きじゃないこと。
 あるときドイツの方が言っていたことを思い出す。私と日本人の友人が、欧米とは違って日本では同調圧力というのが強くて周囲にあわせることが必要な場面が多くて辛いという話をしたときに、「圧力があったとしても、その状況はあなたが選んだのだ」と言われたこと。確かにその通りだと思った。圧力がどれほどあったとしても、それに抵抗するか、逃げるか、受け入れるかは自分の選択でしかない。誰にも今の状況を強制されていないのだから。自分が本当は逃げるという選択をしたいとは思っていても、行動しない言い訳に使っているにすぎないのだなと思ってしまった。行動しない言い訳は山ほど用意しているから。キャリアを考えたらとか、今後の目標とかワークライフバランスとか、やりがいとかいろいろ考えることはあるのだけれど、本当に極論、いま好きな自分でいられるかどうかが私にとっては重要なのだと思う。「定数をどうにかしようとしてもできない。変数をどうするかに労力を割くこと」という言葉も忘れないようにしたいな。私の解釈だけれど、今の問題において定数の部分が要因ならあきらめ別の道を選ぶのも肝心、変数の部分ならそこに力を注いで変えることもまた道。こうやって文章にすると考えがまとまって少し整理がついた。


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