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楽器の生音や情感のこもった歌声が苦手な理由

別にまったく聴かないわけではないが、生っぽい楽器や歌声が苦手である。アコースティックギターの音とか、アカペラとかハーモニーとかは特に。そもそも聴かないけど、おそらく演歌も。
音が波を生んで空気を震わせるようなリアル感、ひとの体温や熱意を感じる声や演奏を、からだが受けつけたがらない。

何でそうなったのか、考えてみた。

洋楽はほとんど聴かないが、J-POPは嫌いじゃない。ただ好みで言えば、EDMとかテクノとか音や声が加工されたジャンルが好きなだけで。
楽器演奏の面で言えば、わたしは5歳から18歳までクラシックピアノを習っていた。手がちっちゃいのでバッハとかベートーベンは苦手だったが、ショパンは好きだった。特に、弾いていると死にたくなるほど暗い気持ちになる曲が好きだし、得意だった。

ここまで思い出して、なんで生の音が苦手になってしまったのか、思い当たる節があった。

わたしはショパンの中でも暗澹とした曲調が好きで、弾きながらその暗さに包まれている状態が好きだった。まじめな生徒ではなかったから、13年も習っておいて全然上手じゃなかったけれど、ショパンの暗い曲は弾いてて心地よかったのを覚えている。
あの心地よさは、楽曲の持つ温度や感情に呼応して生まれたのだと思う。つまりわたしは、音楽の温度や感情を汲むことができたし、それに自分の感情を沿わせることもできていたということ。
だけど、世の中には多種多様な音楽がある。ミュージシャンのテクニックの高さだけでなく、歌声や楽器演奏の音にその人の情念のようなものが乗ってくると、わたしにはちょっとしんどい。それぞれにチューニングしてたら、大変で身が持たない。結果的に、その種の音楽に触れること自体が苦手になっていったのかもしれない。
その点、電子音や機械的に加工された音や声なら、誰かの感情や表現をダイレクトに受けずに済む、と、わたしは考えているのだと思う。

フィルターがほしいんだろうな。
EDMだってテクノだって、そこにはミュージシャンの体温や熱意が込められている。ただ、機械的な加工というアクションが一種のフィルターになって、音がそこを透過するうちに少し人の湿度が下がるように思う。
そうそう、温度よりも湿度がなおキツい。音や声の湿度は、受け取った時の手ざわりに影響を及ぼす。「湿っぽい話」という表現にあるような湿度を感じると、ゾワッとしてしまう。

逆説的だが、わたしは音楽に込められた温度や感情を受け取りやすいのかもしれない。受け取りやすいから、受け取りたくない。音楽の温度や湿度に呼応しちゃうから、聴きたくない。言葉はうまく透過させられるけど、音楽はダメみたいだ。透過も反射もせず自分を変質しそうになるから苦手なのだと言ったら、大袈裟だろうか。

とりあえず、こういうことのようです。

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