会議に出る ③

 今回の会議は現実として、ひとり一分と決めていても、五分、十分と間延びする議題に於て、タイマーを用いるなどの努力は見られたものの、他では明らかに、横道逸れて時間の無駄になっていると感じる場面の目白押しであった。
 無駄が多すぎる。それに時間が掛かり過ぎだ。
 市から、寄贈の本や、去年まで各校司書が単独で行っていたが、今年度は市で作成することになった増刷分の読書ノートが配布される。仕分けはこちらの作業。担当の指導主事が、何度も階段を上り下りして運んだ大荷物だが、私を含め、マイカー通勤者でない者は持ち帰られない。
「連絡ボックス(市からの配布物などが入れられ、誰かが其々の職場に持ち帰る)に入れておいてください」そう言って、申し訳ないが、全て突き返したので、小柄で真面目そうな新指導主事は、一抱えの大荷物を再び持ち帰らざるを得なくなった。
 
 怒りがエネルギーに変換されるのをしっかり自覚したのは、最近になってからかも知れない。それまでも度々、腹が立つと意欲が増す…という経験をした記憶は何度かあったが、長らく怒ることから遠ざかっていたせいか、負をパワーに変える方法でなく、正エネルギーから更に上昇する癖がついていた。それがこの三ヶ月、振り回され、疲弊し、無気力になった上から負の圧力が掛かることで、自身の核となる場所からマグマのような猛烈なエネルギーが爆発を待つように湧き上がるのを感じている。
 真っ当なことを言ったはずでも、逆に「キツイ」と批判されるような、言葉も方法も知らない質が災いし、生きながら損ばかりしてきたが、そんなことも最近はどうでも良くなってしまった。
 市への幻滅から新年度が始まり、ひと月以上経ったが、未だ任用通知書さえ届いていない。雇用条件も明示されないまま勤務し、最初の給料は既に振り込まれた。給与明細は届いたが、わからないことばかり。元号変わりの十連休を越した後、職員の事務取扱要綱とやらがデータとして届いて波乱が起きた。変更点があると記されたメールタイトルの一文だけでなく、データ書類の中には、誤解を招くような記載がいくつも登場したのである。
〝変更〟とあるが、そもそも変更以前のデータを誰も受け取っていないし、見せてもらった覚えさえ誰もない。このような要綱があるらしきことは、毎年の任用通知書の中に見て取れたが、資料として配布されたことは一度もないまま複数年勤務していた。こういうことは、雇用される側から訴えるべきことなのだろうかと疑問が浮かぶ。最初に明示を求めるべきかと考えたことは何度もあるが、記載されているような問題が起こったことが過去に無かっただけに、訴えるまでには至らなかった。傍から見れば、そういったこちら側にも、原因があると捉えられるかも知れない。
 勤務時間の削減イコール、司書全員の終業時間が45分早まったわけではないのだと、この場においてはじめて知った。中学校に出勤する人は通常より始業が早まるため、16時5分には終業するらしい。また、始業自体を遅くして勤務時間を削減したという司書が一人だけ居た。他8名がサービス残業という憂き目に遭う時間帯、彼女に関しては勤務時間内ということになるのである。誰も何も言わないところを見ると、理不尽さに苛々しているのは私だけかと思ったら、17時を過ぎた頃、同じく会議に出席していた市立図書館のスタッフが口にした。
「今の時間って皆さんにとったらどういう時間になるんですか?」
 誰かが応じる。
「さぁ?サービス残業ちゃいます?」
「ボランティア…かも。」
「いやいや、遊んでるってことになるんでしょ。」
 自嘲に満ちた返答の応酬に、市の正規職員である彼女は目を丸くした。
「じゃあ、今、災害が起きて被災したら?帰り道に事故に遭ったら?何の保証もないってこと?」
 考えられへん…と付け加える。開いた口が塞がらないらしく、目まで真ん丸に見開いたままだ。
 事は簡単には起こらないし、起こる確率は天変地異にも等しいという読みなのだろう。実際その通りだと思う。なので実際、起こったときにあたふたし、後日各方面から追及を受けて問題が大きくなるのだ。天の神は、もしくは世の中は、基本的に強いものの味方なのだな…と少し思う。弱者の地位が確立されて天地が引っくり返ることこそ、この世の天変地異なのだから…。
 次回の会議は、またもや乗り継ぎの連続だ。しかも開始時間にはまだ授業が終わっていない。欠席すると伝えるのは直前まで待とうと思うが、きっと、責めを負うのは私なのだろうな…。

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