可愛げがない女

 「あんたは可愛げがない」
 少学校高学年頃だったか、祖母に言われた言葉である。
 当時私は酷く傷ついた。自分を可愛いとか、可愛くなろうとか考えて行動したことはまるでなかったが、大好きな祖母からのあまりに直球な一言に、本気で悲しくなった。そして追加された言葉は、更に私を傷付けた。
「もっと人に甘えられるようにならな」
 人に甘える…。それが私に許された時期があったとしたなら、一体いつのことだったのだろう。
 物心ついた時から、誰かに何かを頼ろうすれば、必ず嫌な顔をされた。私の中でそれは『人に頼ってはいけない。甘えてはいけない。何でも自分で出来るようにならなければ…』という構図を描き、確固たる意志へと成長していく。
 そうは思っても、やはり子どもに出来ることには限界があって、どうしても親に頼らなければいけないこともある。私はぎりぎりまで自分で何とかしようとした上で、最終的にかなり気を遣いながら、下手に出て頼るという方法を取るようになったが、嫌な顔をされることに変わりはなかった。
 私は三人きょうだいの長子で、三つ下の弟と、四つ下の妹がいる。手の掛かる下二人の上に、決してしっかり者とは言えない、内向的で泣き虫な、ぽやんとした長女が居ることは、親にとってみれば苛々の元凶となったかも知れない。一人でも少しは大きいのだから、しっかりして欲しい…そう思ったとしても仕方がないと、今では思う。
〝内向的で泣き虫な、ぽやんとした〟自分が、私自身、とても嫌いであった。
 幼稚園や学校で、快活でバリバリ何でもこなすタイプの子どもを見ては、『あんな風になりたい…』と心の中で思っていた。そういう子に限って大人から可愛がられているように見えたし、うじうじした自分の姿と比べて、とても明朗に映ったからだ。又、うちの末っ子である妹が、我が家の変わり種として、明朗活発だったせいでもある。彼女は飛び出して行ったら帰って来ないお転婆娘であったことから、別名「鉄砲玉」などと呼ばれていたが、そんな彼女に適するように、誰もがサバサバと接していた。〝無鉄砲〟とか〝破天荒〟という言葉がぴったりの、我が家の子どもとは思えぬぶっ飛びキャラだった妹…。それに対する周りの様子は、私に対するそれとはまるで違っているように見えたのである。
 最近ようやく落ち着いてきたきらいのある妹と、子ども時代の話をよくする。彼女は彼女で色々と思うことはあったようで、実は抱えているトラウマが、私以上に大きいのかも知れないと思うことも実は度々あるのだが…。
 
 あれから二十年余り。現在の職場に於いて、次年度の継続雇用から外れた私に対し、嘗て祖母から言われた同じ言葉を、職場の先輩から投げ与えられた。
「あんたは可愛げがない」
「よく言われるんです」
 今回は傷付かなかった私が、苦笑い半分に返した言葉に対し、彼女は追い討ちをかけた。
「そういうところが可愛げないって言うねん!すぐ自分を守ろうとする!」
 悪意で言っているのではないとわかっていたので、嫌な感じはしなかったが、どうして良いのかわからなかった。可愛げないと言われたところで、可愛げある女になろうという意識に乏しい自分が、その言葉に何の危機感も持てないせいでもあった。
 私は子ども時代の、内向的でうじうじした泣き虫をとうに脱しており、人の言葉を借りれば「何でもテキパキきちんとこなし、サバサバして男みたい」な自分を好きになっていた。それに、自分を非難する言葉を素直に認めることが、何故自分を守ることになるのかも、正直理解出来ない。もし私の返した言葉が、無意識に自分を守るための言葉になっていたのだとしても、逆に何故それが非難されなければならない事なのか…。私は思った。自分で自分を守らないのだとしたら、誰が私を守ってくれるというのだろう…。
 彼女は続けた。
「人間、アホにならなあかんこともある。長いものに巻かれた方が上手く行くこともあるねん。心の中で思ってることと違ってもな!あんたは素直すぎるんや」
 私は自分を賢いと思ったことは無いし、むしろアホやと思っている方だと思うのだが、周りにはそう見えていないらしい。彼女に因れば、私と職種を争った相手が軍配を挙げたのは、〝人となり〟の違いだと言うことらしかった。
 因みに、その勝者とは実はある意味裏の顔を持っている人なのだが、その本性を実際に知っているのは私だけなので、彼女は見事に素晴らしい〝人となり〟をした人物として、この職場での地位を確立したのであろう。
 嗚呼…難し過ぎる世の中よ!社会とは、私の住める世界ではないのかも知れぬ…。
 念願だった職種を失ったことは、私の心を打ち砕いたが、泣いて喚いて手に入るものではなし、結果が入れ替わるわけでもない。試験官の心を掴めなかったのは私自身であるし、誰かが必ず地位を失うことは理解していた為、受け入れなければならないものでしかなかったのだ。
 先輩は言った。
「あんたはまだ変われるんやから、変わらなあかん」
 愛ある言葉である。
 しかし私は泣きたくなった。自分を好きになっていくのと反するように、私は社会から受け入れられなくなっているように感じる。転職の度、どんなに身を粉にして働いたところで、〝再雇用〟や〝契約更新〟を獲得出来なかったことを思えば、彼女の言葉は間違いではないのだろう。
「ありのままの私を愛して」なんて口が裂けても言わないし、望みもしない。しかし、どんなに仕事で成果を上げても、真面目に努力しても、必ずダメになって行く現実を見れば、私は社会不適合者なのだろう。仕事とは、仕事が出来て何ぼではなく、人に可愛がられて何ぼなのだと言われた気がした。
 もし、私が人を雇う立場だとしても、私ではなく、一般に〝人となり〟が良いとされる器用な人間を選ぶだろうか。素直すぎて不器用だとされる人間を、小なりと考えるのだろうか。
 現実は悲しい。変わりたいと思えず、自分を殺して変わらなければならないと考えなければならない現実に、頭がおかしくなりそうだ。
 しかし、社会の現実を抵抗させることなく諭し、頑固者の私の脳みそを若干緩和させた先輩の言葉は、それが出来るか出来ないかに限らず、真摯に受け止め、心に留めておくべきかとも思う。
 本音を言えば、永遠に「熊のように冬眠したい」くらいではあるのだが…。

 

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