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就職・転職不安

  三ヶ月、何の根拠もないというのに、友人の助言を真に受けて、ただひたすらに前向きに生きた結果、失業保険が間もなく終わる…という直前に就職が決まった。前向きに生きることが、天を味方につけたのか、一応五倍という倍率を超えて得た仕事だったので、嬉しくなかったとは決して言えない。
就職が決まったからといって、全く問題が無いわけではないので、手放しで喜べないのも心の内だ。しかし当面の生活費は工面出来る。どんなに前向きに生きていたって、収入がゼロになれば身も心も有意義では決していられないのだから、やはりもっと喜ぶべきなのかも知れなかった。
 そもそも私は新しいことか苦手だ。本来なら、ひとつのことに集中し、慣れた場所で平平凡凡に生きていたい。退屈であっても、安定していればそれに越したことはないし、退屈な日々の中に生まれるほんの細やかな刺激があれば充分。退屈であれば、その日常の中で、私なりの楽しみを見付けることは、どちらかといえば得意な方なので、どうせなら人生の荒波は避けて通っていたいのだ。
 なのに今まで、浮き沈みのない日々は無かった。全身全霊でお断りしたいのに、落ち着く島が私には無い。たった一つ、あればそれで幸せなのに、それ以上の贅沢を望んだりもしないのに、私は常に何かに揉まれて生きていた。
 今回の就職は、天職を捨てての転職だ。
 意に反する生き方しか出来ない私が、それならば…と、自ら荒波に身を委ね、浮いたり沈んだりしながらも、波の狭間から希望を見出そうと懸命にもがいて、生きることが許される孤島を目指す。泳ぎは得意ではないので、半分溺れているし、何度も辛い水を飲み込み、激しく噎せ返る。
 苦しみに翻弄されながら、様々なことが脳を過ぎる。その殆んどは不安でしかない。
 何処に行っても何かはあるであろう、人間関係の不安。
 通勤の不便さと体力的な問題。
 天職を捨てて転職することへの迷いと、自身の決断に対する疑念。
 前向きに生きた日々から逆戻りし、再び〝職場〟という小組織の中に飛び込むことで発生するであろう、目先の困難に翻弄されることへの恐怖。
 私は不幸体質なのだろうか…。心配性過ぎてしんどい。
 しんどくなりながら自問自答する。
 金と自由、どちらが大事でどちらが必要か?
 実は答えはずっと以前に出ている。私にとってはお金より自由が大事。
 家での生活は気楽だ。自らに科した様々なノルマはあれど、常々煩わしいと感じていた社会という柵から、遠く離れて一種傍観しているかのように生きていられる心地良さと、家事を代行することで親の役に立てる充実感を得、愛犬とふたりの慎ましやかで平和な日常は、私の心を解放した。
『プライベートを切り売りしてでも、一生書き続け。』
 そんな決意は、書きたいことに集中出来る…という、無謀と言われても希望を持って生きることに因る心の安定を約束した。何の根拠も無いのに、私はとても前向きで、何の結果も出していないのに、私はそうやって、これからを生きて行く気満々だった。
 就職が決まった時、取り敢えず当面の生活費を確保出来ることに安心した。今も、収入が少なくとも、ゼロではないことに対し、「助かる」と思っている。しかしこれで本当に良いのだろうか…。迷いを捨て切れないのは、代償となる自由を失うことへの恐れと、〝書く〟ことに対し、確実に集中出来なくなることへの懸念だ。
『これは行くべき道である。』
 自分で自分に言い聞かせる。
 天職を捨てての転職。何故か、五人の中で私が採用された小さな奇跡。歩いてみなければならない道なのかも知れない。
 自分に自信の無い私だ。やってみて、ダメなら別の道が待っている。そのくらいの心構えで臨まなければ、何処へも行けそうになかった。
 わかっているのだ。きっと、収入が本当にゼロになれば、単純に前向きでもいられないことに…。けれど、自分を大切にしながら働かなれば、私は自分も、本来の夢も見失う。そのことを肝に銘じておかなければ、きっと今までのように、目先のことにばかり心を奪われて、今後の人生を台無しにする。あらゆる意味で、新たな一歩を踏み出すべきなのかも知れなかった。

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